2002年・2009年・現在。『キャニオニング』を専門的に体験・出来る、スク−ルや、しっかりとした資格基準・認定制度の基に、指導者・リ−ダ−、スク−ル・カリキュラムが、統一・利用されているのも「フランス」であり。欧州圏各国において、連合的な『キャニオニング協会』や、組織的な情報・交換システムが、存在する。

『キャニオニング』が、本格的に全く新しい、アウトドア・スポ−ツとして定着。楽しむ人達が急激に増加したのは、多分?1980年・代の半ば。メディア情報が広範囲に『キャニオニング』を紹介してガイド参加が資格認定を含めて、確立したのが1983年・頃と考えられる。

私自身が『キャニオニング』を情報から知り、興味を持ったのは1978年から82年に、ヨ−ロッパ・アルプス(主にモンブラン山群とゼクラン山群)で、ガイド・プログラムに関係する・資料(情報)収集・時に、目にした仏語・独語・圏内の「クライミング雑誌」からで、70年代・後半には「キャニオニング」の記録・文献や技術・利用場所のガイド等は、フランス国内・等では発行されていて。アルピニスト向けや、クライマ−が読む専門誌にも・断片情報は多数・登場していたと考えられる。

80年代に、キャニオニングに興味があり。山岳・渓流に下降・を意識して実践活動を行った者は、日本国内では、私を含めて・ほんの数人だと思われる。私の場合は、「キャニオニング」に入る前に、「ハイドロ・スピ−ド」の体験が、貴重だった。当時・日本国内では、キャニオニングを意識した、渓流・渓谷、下降を行っていたクライマ−や沢愛好家は、皆無に等しく。リバ−・ブギを始めた頃の、私達の仲間にも、キャニオニングに興味を持った者・活動を開始した者も、いず、その、存在を知らなかった。

知らなかった・だけで、大抵は「この種」の遊びには、必ず先行者や時代の先端を走る者は、いるものなので、当時に海外で、実地体験を持った「日本人」は、いたと・私は考えている。後に、情報・噂の範囲でだが、カヤック関係や、当時は異端と見られていたであろう「ゴルジュ突破・系」の、沢遊び、を中心として活動を開始・し始めたクライマ−の、中には興味を抱いた者は、いたと思われる。それらの、断片・情報の中には、ごく最近。アウトドア・雑誌に出していた「滝滑り」関係も、当然・含まれるが。惜しいのは「単純」な、滝滑り・から「キャニオニング」へと、移行せずに・消滅している様子だ。

1982年・83年・そして、84年と86年に、短期の山岳ガイド業務で渡欧した際に、フランス等で見聞した「情報」や、収集して来た「資料」を研究している時点では、現在のヨ−ロッパ各国での『キャニオニング』の爆発的な流行・愛好者の増加を・今から考えれば・残念な事に・ここまで進展するとは予測できなかった

個人的には、83年にモンブラン山群の・裏手?シャモニ−から山群を越えた位置にある「イタリア側・アオスタ渓谷」で、初めて実際に目にして・強い刺激を受けて。帰国後・当時のカヤック関係の遊び・仲間達に強烈に誘いを・かけ・かつ・喋り出すと酸欠状態に陥るまで、説得を続けて。
カヌ−の世界(業界)では、関西では最も著名な、アオキ・カヌ−さんに、連絡を取った。

早速・訪ねたアオキ・カヌ−の社屋・奥の倉庫に社長・自らの案内してもらって。当時の日本・国内では・2艇しか在庫が残っていなかった・貴重な「リバ−・ブギ」=(ハイドロ・スピ−ドで、使用する乗り物)を購入。早速、関西範囲の激流を、物好きな仲間と下り始た。初期に狙ったのはクライマ−感覚で・場を選んだ私が大台・東の川や、南アルプスの川など。反対に、この手の激流トレ−ニングでは、実際面を良く知っていたカヤック系の仲間の推薦は近くの「篠山川」や吉野川。こういった、ジャンルの違いは、後々に良い刺激と共に「場の拡大」には、最適な状態を生み出した。何より『過去の沢・渓』での体験が『キャニオニング』では、一番・役立っている。

読みが・甘かったのは。1983年・当時は、ここまで自分自身が・この「遊び」に傾倒?魅力に引き込まれて・活動を本格化するとは、思っていなかったのと。『キャニオニング』が、独自の路線で専門化し、技術項目が、他の複合するクライミング等から、離れて独自に洗練化・特殊化されるとは、思っていなかった事だろう。

特に、慎重派の私としては、ハイドロ・スピ−ドと違って。『キャニオニング』の為の、専門的な用具、装備が入手出来なかった、86年から96年までは、バック・アップ要員が確保できなかった理由も大きく、個人単位で自由に動ける「渓流遡行」「ハイドロ・スピ−ド」゛シ−・カヤック」と、穏やかに川を旅するカヤック遊びに、少し・気合を入れた『キャニオニング』を、加える程度で・装備面が自分なりの既製品の改造や改良。少し、手間をかけた専用品の入手が、可能に成った時点で運が悪い事に、あの「被災体験」で、自宅を追い出されて「道楽」に、つい、走って・一時、山の活動と共に「キャニオニング」も中断。
時期的に、ラスト・スパ−トを懸ける『必要』を感じ出して、数年前から根性を入れて・取り組んでいた『巨瀑・大滝』での、フリ−やAエイド・クライミングでの、経験を生かした、新しいタイプの渓流・渓谷でのクライミングの実践活動と・何よりも私には重要な「ル−ト開拓」への、情熱と平行する形で、『キャニオニング』での活動が、続いている。「滝でのル−ト開拓・記録」は、たまには、公表するが「キャニオニング」の・開拓エリア&コ−スは、ガイド業務の付加価値も含むので、殆ど公表しない。開拓・冒険的な『キャニオニング』は、国内では無数・どれほどの広がりを、持っているか想像できれば・一生が。あまりにも短く感じるだろう。
幸運な事に、春から秋の始めまでの長い『キャニオニング・ハイ・シ−ズン』には、様々な技術的な課題や試したいと感じる、現場での試験的な活動を、いつでも自由に行える環境で生活しているので、新しい情報を得ての『研究・トレ−ニング』には最適。そして、スク−ル実施期間の時間の中で、新しいエリアの開拓や、各地からの要請・要望で個人的な活動範囲とは別のフィ−ルドで様々な『キャニオニング・フィ−ルド』を実際に経験できる、機会に恵まれ出した。地域の雇用促進・関係も含めて、これまでの『山岳系』のガイド業務とは全く違った、活動範囲が『キャニオニング』で広がったのは、これから活動の場を求める『若いガイド』に一つの、希望を提供出来る可能性もある。

キャニオニング
DIE  COMMISSION  EUROPEENN  DE  CANYON
最も早い時期に、私に連絡して来た組織は『営業アウトド゜ア・スク−ル』の大手。。流石に早い
ガイド資格を念頭とした講習会も、早々と実施した。誘いは来ていたが、私は参加していない。
情報は大量に提供したが、相互・交流や友好?と言った意識は相手には無かったようだ。
その後、2002年〜2008年までは、かなり個人的に『迷惑と感じた』常識が欠如しているような、無遠慮な問合わせは多数。国内で『キャニオニング』を含めて、営利活動として『渓流・渓谷』での活動を開始したグル−プは、かなりの数になったようです。資格問題は、別として、それぞれのエリア情報と『安全性の向上』に寄与する筈の、『情報の交換と共有』に関しては、もう、そろそろ本格的に動く必要を感じています。山岳環境の中の『沢登りコ−ス&滝ル−ト』は、残念な事に、現在では未知なる領域は、数少なくなっていて『情報』は存在。次の段階は『キャニオニング・フィ−ルド』としての、意識で行動した実践『記録』の収集・整理と公開に以降する時期に入り始めたと感じます。
『日本キヤニオニング協会』

2006/04/05 (水) 18:09:05

日本国内のフィ−ルドを考えると、氷河を持たない
山岳と梅雨期間と夏の、好条件を持っているので
『キャニオニング』環境としては、最適とも思える。
日本国・中、沢だらけ。とは『百名谷』の中の有名な一文。
『キャニオニング』を楽しみ。楽しめる『場』を開拓できる『沢・滝』は無数。
台湾と日本を含めて、キナバル等も範囲と考えて『東アジア圏内』は、ひよっとすると世界有数の『キャニオニング・フィ−ルド』と、なるかも知れない。
日本国内の『山岳環境』も、実は遊べる期間の長さと、水量・水質の素晴らしさと自然景観の中での『渓流環境』は、世界レベルで誇れると思っているのは、別に愛国的な感覚やお世辞ではなく、フィ−ルドの素晴らしさは『沢登り』の世界だけから、見ても多くの人達に理解されている筈。『日本でのキャニオニングの未来は、かなり明るい』
自宅から1時間『もっとも身近な冒険の舞台』
日本国内で最も、初期に写真や映像で『キャニオニング』が紹介されたのは、意外な事に『登山関係の雑誌」ではなく、『BE−PAL誌面』にいまの『キャニオニング』とは少し、違うが『滝滑り』として紹介されたのが、1983年頃だと言われている。
欧州・発信の『ワイルド・ウォ−タ-系』の雑誌にも、ハイドロ・スピ−ドと同じ様に、情報が出ていたとも聞いている。クライミングや登山・関係の情報の中で、正確にキャニオニングを意識した、もの・では無かったが『滝滑り』を積極的に『沢登り範囲』で、楽しもうと考えていた人は、いた様で『名称』を協会や組織として、存在をアピ−ルしていた事も、私は知っていたが、その後の実際の『活動が広く紹介』されたり、組織的な行動が情報として、世に出た形跡は見出せない。

一箇所の『滑れる滝』で、遊ぶと言う意味合いを個人的に推薦していたと言う印象だった。

公開『情報』としては、1998年(春夏・合併号)の『ロック・アンド・スノ-』休刊となった『岩と雪』に代わってクライミング系の雑誌として、唯一『発売』されている雑誌に『見よう、見まねのキャニオニング・私流「滝滑り」』として、小枠でシャモニ-での情報と共に『久保田賢次・氏』が書いた情報が掲載されていて、これが『沢登り』の、一つの遊び方・提案のような説明だったが、登山・クライミング関係の情報に『キャニオニング』が出た、初期の記録・情報と言えそうだ。
私が幸運だったのは、同時期に実践を考えて長期間に渡って関連・情報を収集していて、自分なりに技術や装備の研究を継続していて『本格的なキャニオニング』を、自らの得意分野・日本独自の渓流遊び『沢登り』に、フリ−クライミングでの実践・体験を組み合わせて、身近な山域から『沢』とは全く、違った視線と行動分野として『キャニオニング』を、実験的と言えるが早い時期から実践できた事だ。これが、最初から海外で経験してからだったら、又、違ったスタイルでの活動に傾倒して言ったのかも知れない。

まずは、日本の『渓谷』の、良さを再発見する機会に恵まれたのは、幸運だったと思える。
将来の『プロガイド活動』での、積極的な利用・使用も考えていたので、かなり真剣かつ積極的に
要求されるであろう、技術系統に関する『情報収集』を、行っていた事が、実際の活動で役立った。


将来、更に多くの参入が予想される『ワイルド・ウォ−タ−・ジャンル』で、経験を積んだインストラクタ−やガイドを職業として『夢』を見続けている、人達には『山岳ジャンル』の、現代的なクライミングと日本が独自に遊びの世界を『渓』に広げた『沢登り』も、自分達の活動領域に加えて欲しい。レスキュ−関係では『冒険的なケイビングの世界』で、発展進化が続く『専門技術』と『進化し出した他のジャンル』も含めた、総合的かつ複合的な技術も、必ず吸収して欲しいと思う。自分の『世界・活動ジャンル』の『枠』だけに、固執せず、ある種のプライドや偏狂な意識を捨てて、違うジャンルから『学ぶ意欲』と、必要性を理解して欲しい。
2002年〜2006年に、記載・公開した『情報』に、2009年・加筆
09年10月01日 木曜日
『沢登り』『カヤック&カヌ−』での、過去の不幸な事故・遭難と考えられる事例から『学ぶべき問題』は非常に多い。登山、クライミングでの『遭難』とは違い、正確な統計や白書の様な事例報告が広く公開されているジャンルではなく、特定の範囲でのみ、そういった事例が知られているだけなので、これから更に探査・研究され実践の舞台が拡大していく『キャニオニング』では、危険に対する『情報』が、多くの愛好家に役立つだけ公表されているとは思えないし、貴重な事例から学べる『安全基準』に関しても不足気味だ。