六甲山での『バリアフリ−・クライミング企画』実施時には、様々な方達に支援・協力して頂いている。 特に『新聞・関係者』には、素晴らしい写真を写して頂いている。 |
この『写真』は、山と渓谷・紙面の特集記事に使用された |
『六甲山の岩場』は70年代から『バリアフリ−・クライミング』の場として使われて来た経緯がある。 |
2006/04/14 (金) 0:38:06
『視覚情報』だけで生きている私達には、意外な自然に対する感覚を知らされる機会でもある。 |
芦屋ロックガ−デン『キヤッスル・ウオ−ル』にて |
六甲山『蓬莱峡・大屏風岩にて』 |
六甲山『仁川渓谷の岩場』 『ム−ン・ライト』にてバリアフリ−・クライミング |
初期の企画として、参加者・人数は多過ぎた。 サポ−ト・メンバ−に、もう少しクライミングの実際を知り、サポ−ト が行える『クライマ-』が、参加していれば・・・・ 企画面で、全く違った内容で更に、安全性も向上したと思う。 待ち時間の長さが、この時のプログラムでの最大の失敗。私は1日 精一杯、走り回り声を枯らしては、いたが・・・・・ |
MCS国際・山岳プロガイド 舟橋 健 |
『六甲山・範囲の岩場』は、歴史的に見ても最もロック・クライミングの活動が盛んで、大阪・神戸から クライミング目的で、各・岩場に集まって来る人達の人数は、他の地域・山域の同じ様な規模や高さの 岩場と比較すると、年間のクライミング目的の登山者に純粋なクライミング目的のクライマ−人数は 本当に多いのが、良く判る。そういった歴史も環境にも恵まれている『山』たが、自分達には関係ない と、思い込みたい人達や、他の都市と比べても人種的な差別意識は戦前から、関西は根強く教育機関 が、公表している、最近の『差別撤廃』情報にも、まだ変わらない悪習慣・と意識はメデイアにも知られている。自分達が、海外・遠征?登山や国体に関係していて教育や人権のス−ロ−ガンを錦の旗として活動 する事に、利益を得ている『組織』も、構成員に社会人・感覚・常識が疑われる人が存在している。 |
私が大阪の登山専門店でアルバイトを始め出した頃から、関西では聴覚障害者の登山・クライミング活動は徐々に組織化に向っていて、積極的な活動が始動する前夜的な感覚が感じられ出した時代だった。まだ『バリアフリ-』や『ユニバ-サル・デザィン』等の標語的な、言葉さえも誰も知らずメディアにさえも、そういった啓蒙的な視線や表現を見ることの少ない時代だったが、クライマ-と言う馬鹿な人種には傷害の有無や社会的な差別意識を撥ね退けられるパワ-を持つ、少数の若手は育ち始めていた。ただし、当時の関西が他の地域よりもチャレンジドに対する応援意識や理解が深かった訳ではない。特に、族に登山界と呼ばれる組織活動に参加して、登山・クライミングを楽しんでいるでいた、一般的な登山者には偏見や差別的な意識を持っていて、自分達の活動領域としてのクライミングや冬山へのチャレンジドの参加を、無知からの偏見や差別意識で、あからさまに拒否する者は非常に多かった。 又、意識面での啓蒙的な場所になる筈であった一部の『登山専門店』でも、個別の従業員の中には国籍に関しての差別を持つものも、確かにいて私は非常に不愉快な思いを、させられた経験を持っている。 チャレンジドへの偏見を持っていた大阪のR店の某氏に関しては、一度ならず大口論を店内で引き起こした。 70年代から友人達と楽しんで来た『クライミング』は、別に特殊でもなければ異常な形態の遊び方では無かったのに、最近は各方面の方達から注目を集め、問合わせも多くなって来た。時代の進歩は遅いものだ・・・ |