SEA KAYAK
シ−カヤッカ−で、本格的なロック・クライミングもアイス・クライミングも堪能だという人達の話は、海外では良く効く話だ。逆に・クライマ−で、本格的なシ−カヤックも、こなす・と言う人の話しを、日本で聞いた事は私に関しては、殆ど無い。少しずつだが、日本でも複合的に・自然の中での・遊びを楽しむ人達は増えて来たが、こと「山の世界」では、いまだに『二足の草鞋』的な発想や表現で、何か・一筋の方に優位性を認める雰囲気が強く。
山も、海も・と動く、活動できる人を「真剣」さ、に欠けると思う様な、価値基準の偏狭さ・が残っている。
『冒険』と呼ばれる、ジャンルにしても。
こと、日本人は極北や高峰での、行動を指して『冒険』と認める風潮が強く。他の、数多く存在し・価値ある『冒険』を知らな過ぎる。
カヤック系の『世界』で、私自身が・その情報を知った瞬間に衝撃を受けたのは。やはり単独でのカヤックを漕いで『太平洋』を横断した、エド・ジレット氏(ED GILLET)の記録だ。最初は信じられ無いと言う、気持ちで次に・素晴らしい。山関係の狭い、世界の中で生きている私には、その「最初の一報・情報」以降の詳しい、話しが中々・耳に入らなくて、詳しい内容を知ったのは随分と後になってからだった。
「エド・ジレット」その名前を、呪文の様に心の中で反復しながら・少しずつ様々な彼に関する「情報」を知るにつけ・尊敬心と共に、憧れも強まった。少年期から青年・時代の、あのW・ボナッティ−に抱いたような興奮を、本当に久しぶりに感じて楽しかったが実はこういった、新鮮な感情は長らくクライミングの世界では数少ない人達にしか感じていなかったので新鮮だった。。
サンフランシスコ南部の「モントレ−」の海岸から、ハワイ諸島までの距離にして、実に3500km(2200マイル)この驚異的な長距離・カヤック単独・横断航海は1987年6月21日から、8月23日までの63日間太平洋の・ど真ん中を、たった一人でカヤックを漕いで・達成されたのだから。驚愕・驚異と呼んでも差し支えないだろう。クライマ−仲間や山関係の知り合いで、この話題で「感動・驚嘆」に共鳴してくれる人は、残念ながら私の周囲には、いない。太平洋・横断航海・それをカヤックで。この快挙は単に「海」での冒険。カヤックの世界の話題を遥かに越えて、私の判断・私の考え、ならば。海・航海史に残る最大級の『記録の一つ』山も含めた『冒険史』の中に、加えられるべき事実だと思う。一般に私達が・連想する「太平洋・単独ヨット航海・横断・記録』等とは・基本的に次元が違う、遙かに困難で・危険な冒険なのだろう。
しかも、少しずつ知った「エド・ジレット氏」の軌跡は、南米のパタゴニアからスタ−トして、北上。コロンビアまでの単独・航海で漕ぎ抜けた総距離・7200km・この記録は、おそらくシ−カヤックの世界での世界・最長、長距離・走破記録なのでは無いだろうか。面白いのは、こういった『海』での冒険を行う、彼が本格的なロック・クライミングもアイス・クライミングをも楽しむ、クライマ−であって、ボルダリングの愛好家でも・あるそうだ。
日本海・瀬戸内海・太平洋へ沿岸ツ−リング。
積丹半島。地中海へと『海』の旅を楽しむ
まだ『秘密』にしておきたい複合系・遊び。 クライミング・フィ−ルドは『海』にも残っている 海洋の岩場は、遠くても海岸岩壁は意外と身近に存在している。 |
大西洋を現地での盗難被害で、渡り損ねてから見続けている【再度の機会】続いている【夢】には極北のパック・アイスの浮かぶ海峡や原始の匂いと、厳しい極北の寒気の海を漕ぎ進む『シ−カヤック』で到達する壁を思い描く。予行練習では、これなら行けそうだと・・・・・・ |
波も比較的・穏やかでシ−ズン期間も長い『瀬戸内海』が、関西に住んでいるとフィ−ルドとしては 使い易く、人気があるようだが私は、あまり近県の『岡山や広島』方面の『海』に足を向ける事は無く。 個人的には『沢・岩』の開拓的な要素が、数多く残されていて『太平洋』と、直に接する事の出来る南紀に出る事が多い。特に『川から海への継続』したカヤックでの、旅が楽しめる環境が好きだ。 |
仲間が、まだカヤックに深入りしていず。 個人・所有の使える艇を持っていなかった頃には 私の持っている幾つかのカヤックを貸して、当時は 出会うカヤッカ-も一人もいない、環境で自由気まま に兵庫県・北部の『日本海』で遊んでいた。 |
2006年、秋 久しぶりに『四万十川』流域に足を向けた、ついでに四国の『海』も楽しんで来た。 |