《キャニオニングて・?・何だ・ナンダ?=簡単な歴史を含めて・御紹介》

《キャニオニング・ヒストリ−(文献・研究、翻訳)解説》

『キャニオニング=きゃにおにんぐ=降渓=滝滑り=???』

プロ・ガイド舟橋 健の新聞・情報と、提供資料での各種・掲載・記事

2000年・頃からだが、私からの情報提供と実際の『キャニオニング』も、私からの・提案と誘いで体験した(某)グル−プに所属する方が、、最近ではキャニオニングを我国(日本)発祥の・遊び。そんな風に公言している情報を、目にして「愕然」とした。歴史とか・先駆者の苦労とか、そういった話には、敬意とか、コダワリや・ロマンを感じないのか?それとも、何らかの打算?計算を持って・公表しているのか。

不思議で・ならないが。この種類の人達とは意識面での、基本が違うのと。話し合って、ものごとが解決する能力を、持ち合わせていないと考えられるので・無視する事にしている。

ただ、とても「残念な事」は、折角、こんなに楽しくて・面白い「新しい遊び方」を、知ったのに・その歴史的な経緯や、活動を無理やりに、捻じ曲げて・何を得られるのだろう?何か、前時代的な「愛国者」気取りなのだろうか?「沢登り」と、いった世界に誇れる・素晴らしい「遊び方」を創造したのに・全く惜しい。
違った方向性でも、同じ『渓流・渓谷の遊び方』を知りたいと、要望されて交流を持てた人達も少数ながら、同時期にいて、名称の使い方のみに意見の相違は、あるものの、活動としては相違点や将来の展望『夢』に違いを、感じない場合もあるので、これから日本国内の様々な山域、渓谷や渓流で同じ様な活動が進展して行きそうな予感はある。


『始まりは・洞窟学』
キャニオニングの最も、初期の活動は、20世紀・初頭にフランスで洞窟学者が行動を始めた、ケ−ビングに近い『洞窟・探査、探検』で、ある事は、紛れもない事実。
諸説は、あるが。初期の活動の記録や、歴史的に的に見て・意義深い・活動は文献・以外にも残されている。『洞窟学』の父と・呼ばれる「エドワ−ド・アルフレッド・マ−テル達の記録は、消せないだろう。

2002年6月1日/6月2日『バリアフリ−・キャニオニング教室&キャンプ』
 (新聞・取材)      『実践的・心肺蘇生法・講習会』

私も所属している『神戸市心肺蘇生法を広める会』からの、全面的な支援・協力を得て『キャニオニング現場』で、国内初の実践・活動での想定講習を開催した時の記録を公開しました。
『関西・中京・範囲』では、このニュ−ス番組で体験報告で「セシリアさん」が紹介してくれた私の『キャニオニング体験スク−ル』の楽しさは、広報として、考えれば同一年に出演・紹介された他の8本のテレビ番組と比べても、特筆した影響を与えてくれた。番組・途中からの問合わせは深夜から、翌日に続き。シ−ズン終了後まで、この「ニュ−ス内での特集レポ−ト」を見たとの連絡が続いた。
『キャニオニング体験スク−ル』へ体験・取材『ニュ−ス・スクランブル』楽しさ、普及
2004年シ−ズン中は、最多で8回の支援活動を実施出来た。
『バリアフリ-・プログラム』としての活動
はそれぞれの、タイプやケ−スで状況が変る。
ラフティングやカヤック系の技術や、クライミング系の技術だけでは、安心して『キャニオニング』のスク−ルやガイディング指導は行えない。
基本の緊急措置の技術と知識に、より専門的。総合的な新しい技術と知識も学び、習得する意欲や情熱に、努力が要求される。それら、技術を現場で使える為の能力や正しい、判断力そういった条件にも、厳しい視線を向けるべきだろう。
『キャニオニング』の世界では、厳しい自然条件の中での、未知なる領域を求めて、新しい冒険が各地で日々行われている。アウトドア・アクティビティ−としての、普及も日本国内では2000年から、多数のメディア情報からの紹介や全国各地で『スク−ル』も、増加し出しているので、一時期のマスコミの興味の対象が極端に集中する事は、無くなり出しているが、2009年・現在でも、注目を集める機会は多い。
『発見』創造性と想像性を秘めた『日本でのキャニオニング』まずは実践から(記録)』
2009年、現在で国内・各地の様々な情報と実践・記録が集りました。
『インストラクタ−研修・専用に地域別・グレ−ド別に整理しました。一般公開の予定は
現在は、ありません。
『日本キヤニオニング協会』
毎回だが『バリアフリ−企画』を実施する為には、地域や周辺住民からの理解が必要。
環境も含めて地域からの理解と支援が、あると企画は参加者にも、良い環境となるのは当然。そういった意味では、私が夏の期間・定着している『スク−ル・ベ−ス地』は、国内基準から見て、最適環境と言えます。
スケ−ルの不足は、キャニオニング現場までのアプロ−チが『ベ−ス・スタ−ト』から、僅か7分〜10分、そして緊急時対応が非常に良いという部分も重要。

スク−ル開始・初期から『車椅子』利用の、チャレンジド参加の企画を担当して来ました。
他の、エリアや入門者向けの奈良県・三重県の『沢』では、下降を開始するポィントまでのアプロ−チに大きな、問題が存在していたり、アクセスそのものや、緊急対応をガイド基準で確保する事が、まだ困難ですから、現在の私のスク−ル活動の中心エリアは、非常に環境的にも恵まれていて、国内での『キャニオニング』体験の場所としては、この種の企画には理想的です。
『欧州・発信系、古くて・最も新しく発展しているアドベンチヤ−・スポ−ツ』
NHK神戸放送局からの取材風景
こういった若者達の意欲的で啓蒙的な
活動には『共感・共振』する。

私に出来る支援は当然『無料・招待』
地元・関係者からも協力を得た。
シ−ズン中は見学者の中からも
様々な参加・希望者の声に応え
ています。

絵になる情報を探しているメディア
の人達には、残念だけれど本当の
素晴らしい『企画』は世に出ない。
本人達が出る事を了承・承諾しな
ければ私には、紹介する権限を
持たないから。
ACTへの個人的な支援プログラム提供(無料キャニオニング教室)実施・記録
2005年度から『キャニオニング体験スク−ル』の、実施期間(日数的には、例年70日間〜90日間)の中で、将来『キャニオニング・スク−ル』や、『キャニオニング・プログラム』を使用した、企画などでの指導者・インストラクタ−を目指している人達を対象に『本格的なプロ・インストラクタ−養成・カリキュラム』として、実際のスク−ル現場での実際面での活動も含めて、小人数システムでの一種の『インストラクタ−研修』を開始しています。企画は2001年、当時から問合わせ、希望が多数、寄せられ出していた『キャニオニング』を、スク−ルやガイド的に活用したいと希望する人達や組織からの要望に対応する内容と共に、『安全基準』の構築と、この『キャニオニング』の日本国内での普及と発展に伴なう、予測・予想される『危険』を可能な限り排除、未然に防ぎたいという思いからでした。
『キャニオニング』が、渓谷・渓流での本格的な『冒険から、アウトドア・アクティビティー』へと、発展する以前の、発祥地としての認知されている『フランス』や、ほぼ、同時期の記録情報なども含めた、発信地としての『イタリア』や『ドイツ』では、渓流を舞台とした登山・山岳系の本格的な『遊び』の歴史を『沢登り』と、比較して多くを見ないが、源流部を除く区分範囲では日本の渓谷では中流部に相当する、ゴルジュや伏流も含めた渓谷内での『ケイブ』等では、かなり古くから冒険・探検的な活動が行われていて、『沢登り』との比較は、あまり意味が無い。
幾つかの違いは別として『自然を舞台とした冒険と探検』そして、遊び方が、欧州にもあり、一種の『渓谷・渓流遊びの文化』が、各地に広がっているというのは面白い。
歴史的に『キャニオニング』の発信・発祥地『フランス』や『イタリア』の渓流・渓谷、環境には日本で発達し遊びとして、進化した『沢登り』や『渓流遡行』に似た、遊びは一般的に登山・クライミング・ジャンルでは、知られていないし、普及した野外遊び(アウトドア・アクティビテイ−)とも、認知されてはいない。その為、日本で普及しているような『沢登り専用シュ−ズ/ウェディング・シュ−ズ』は存在せず、僅かに、フイッシング関係の靴に同一タイプが見られるが、このタイプの靴類が実際に『キャニオニング』で、使われているのかどうかは不明。

カタログ系・情報や『キャニオニング』を、一つのジャンルとして解説・説明した書籍類は非常に多く、ガイドブック的な本も含めると、欧州圏で入手できる『情報』は、かなり多い。それらの情報の中には、90年代の後半時期から『キャニオニング専用シュ−ズ』は、紹介されているが『各地の現場』で、それらの専用靴が多くの愛好家やガイドに使用されている訳では無さそうだ。アルパィン・タイプの旧モデルの、歩行も可能な一種の『クライミング・ブ−ツ』や、軽量な『トレッキング・ブ−ツ』等を、キャニオニング向きに改造したと見られる『靴』を使用している人達も多いようだ。
80年代の中頃・時期に『クライミング系の専門雑誌』等で、見ていた情報と、90年代の後半から2000年に入ってからでは、その愛好家の人数やメディア等での、露出は格段に違っていた。同じ様に『ハイドロスピ−ド/リバ−ブギ』にしても、イタリアの片田舎の街中に『レ−ス案内のポスタ−』が、多数・張られていて普及度を痛感したように、この『キャニオニング』も、各国で山岳リゾ−ト周辺に、どこでも楽しめる『スク−ル』等が、活動していてインフォメ−ションに『キャニオニング』が、紹介されていない方が珍しいと感じるほどの盛況さを見せている事を見ても、この遊びは、広く普及して成功したジャンルだと思える。
山岳ガイドが積極的に『キャニオニング』に関わったのには、幾つかの理由がありますが、重要な推薦理由の一つに『この遊び』が、バリアフリ−・プログラムとして、これまでなら山の世界では充分に楽しめる世界を提供できなかった、そして物理的にも多くの楽しさを共に経験できなかった、世界に『キャニオニング』ならば、共に多くの
『夢』が見れることを、発見したからです。
ロツククライミングや氷河の通過や、それら困難な箇所の突破を安全に、そして効率的に行うための装備や技術が発展、改良され進歩したジャンルとは違った『渓谷・渓流・滝』を、登山の一般的な目的、活動形態とは全く『逆』に、下降を中心とした目的で活動する『キャニオニング』には、登山・クライミングとは、違った『危険』が存在する。その、『危険』が、どこに潜み、どのように回避するのかを知る為には、それぞれの行為者が個人としての体験を積み重ね、必要な知識と技術を身に付けなければならない。
80年代に『ハイドロスピ−ド/リバ−ブギ』や、当時としては別格扱いだった『ラッペル』から、派生したクライミングとは別種の『遊び』を実際に体験しながら、山岳環境の中の『渓谷・渓流』地形の中で『キャニオニング』を積極的に取り入れられなかったのは『全く、惜しかった』それが、当時も今・現在も私の感想。最初に『キャニオニング』を海外で、かなり早い時期から実際に目にしていて、情報も入手していたのに国内での活動に入るまでに、随分と無駄な時間を有してしまった。
シャモニ−・バルベリン渓谷で地元ガイドからの、紹介で実際の『キャニオニング・スク−ル』現場での活動を見て、多くの情報も入手後に帰国した1999年には、早速、今現在の私のスク−ル実施地で仲間を集めての研究と講習を開始。この時にも、数人の仲間と話し合ったのは、日本国内の『沢登り』から、得て来た様々な知識や技術、体験は活用できるという事だったが、個人的に30数年、以上の『渓流体験』を持ちながら『キャニオニング』が、独自に進化して発展させて来た、様々な『技術や用具の使い方』そして、日本国内で、今までなら不可能視されていたような場所での可能性は『キャニオニング』の挑戦対象だという認識だった。過去からの『沢登りの常識やセオリ−』に、縛られず、遙かに自由度の高い遊びを知り得たのは幸運な出逢い。
『『発想的』には、極端に異常で特別な『遊び方』では無かったのだが、通常の『山の世界の常識』から、広く知られていた『迷ったら、谷、渓(沢)には決して、降りない。『降りてはいけない』この常識化した、考え方と、ある種のセオリ−は、欧州発信の『キャニオニング』の行為とは、全く異なり、逆の発想だ。登山の山頂へ到る、過程の楽しみ、正統的な山での理論、理屈には反している。正統的な『理屈』に文字通り、意識面も手足も押さえられて、『冒険』に踏み込めなかったのは、発想の転換や、反骨精神の欠如も含んで、常識を疑う気概にも不足していたのかも知れない。
これからの、国内での『本格的なキャニオニング』での、挑戦には、これまでの『山関係、特に沢登り』での一般常識とは異なる、視点と可能性への選択、挑戦が必要そうだ。
『装備の基本』は、基本的にワイルド・ウォ−タ−系の遊びからと『沢登り、渓流系の遊び』プラス『現代的なクライミング』から、種種・選択すれば、充分な装備・用具を揃えられるが、よりディ−プな世界、ジャンルに特化し出すと『キャニオニング専用』の、必要が生じる。

キャニオニングを行う、地域・標高や様々な自然環境の違いにより、基本装備も含めて、選択肢は広がるが、現在では欧州、欧米、日本を含めた東アジア圏内のフィ−ルドで、使用される『各種・衣類関係』の装備に関しては、ほぼ各国共通だと理解して、構わなくなって来た。

欧州圏内で、北欧範囲を除いた、各地域で『キャニオニング』をガイド&スク−ル活動が実施されている、場面では、殆ど全ての装備・用具が専用品の利用が普及している。


近年、日本国内でも『一部の登山専門店』で、そういった『キャニオニング』に特化した、専門的な幾つかの『用具』も、入手できるようになって来た。
『六甲山』の、ような都市近郊、とても身近なフィ−ルドにも発見・実践の舞台が隠されていました。公開できない『情報』が、あまりにも多い。この遊びが広く、普及し一般社会の中で認知されれば、遊べる『場』は、更に拡大するでしょう。『バリアフリ−・プログラム』での、使用フィ−ルド・ル−トとしての利用が、将来的は可能となる事を期待している。実質的に歩行(アプロ−チ)がゼロ(0)の、全く、情報が知られていない、下・写真の神戸市の(某・渓谷)と、内容的に似通った、秘密の場所が同一・山域に残されていました。どちらも、今現在は記録を公表できません。このエリアでのキャニオニング体験者は意外と多い。最も初期の『探査活動』では、海外遡行同人メンバ−の二人が、講習として参加していました。残念な事に、二つ目のエリアての初下降時には、お誘いできませんでした。
多分、このレベルとスケ−ルの『場』が、意外な場所に存在している事を理解出来るのは、実際に下降を体験した人達だけでしょう。『六甲山エリア』や、播但・播州、広島山域には面白い課題が多い。
何より、全てがアプロ−チの労力が、ほぼ不要な点が素晴らしい。
いつか、多分、それほど遠い未来ではなく。車椅子・生活の仲間が、こんな場所で本格的な『キャニオニング』を楽しめる、日が、やって来ると思う。
2002年〜2006年に執筆した、情報項目に2009年に加筆・追加した情報で゜す
『キャニオニング・ガイド&スク−ル』用に、執筆した『キャニオニングの危険と安全基準』に、関しての項目別の情報が、コンテンツ範囲では、とても収容・公開できる量ではなくなり、膨大な情報は要請・要望が急激に増え出した『ガイド&インストラクタ−研修』専用の、テキストとして現在も追加・加筆中。
情報公開する機会は、インタ−ネット経由ではなく、違った方法でと考えています。