『発見と出会いに・満ち溢れる・渓・の世界』
『渓・笑う季節』=これは・沢登り・山岳関係で、使われてはいませんが・少しばかり本格的に「渓流釣り」の、世界で遊び出すと・この意味は実に期待を込めて・かつ・楽しげに話す会話や文章の中に使われる「表現」の一つです。フル・タイムで、遊べれば・それは、それで楽しいのかも知れませんが・自然のサイクル・生態系の循環・命が次々と引き継がれて行く『四季』を持った、我国(日本)には、この、季節の変化や、自然の制約・制限が設けられているからこそ・楽しい。これが・自然の流れ。そう・感じられて・人の欲望の・ままに「遊べない」そういった、素晴らしいコントロ−ル機能を秘めた「本物の自然」を・感じ・楽しめる環境を与えてくれています。この・自然を無視したり・無用と思う・考える・人達には、多分?この「渓・笑う」言葉は・意味を成さない・理解出来ないでしょうね。
渓谷・沢で余暇を楽しむ、人達が急増している・現在でも・意外と身近な『穴場の渓流コ−ス』の、中には、人が足を踏み込まない「場」は、多いものです。そういった限られた「場」では、シ−ズン初めの入渓・時に珍しい「物」を見つける楽しみが残されています。
沢の入門コ−スが、多いことで知られる・関西・山域の中では特に『滋賀県の比良山』や、少し北部のコ−ス・ガイドに紹介されていない・隠れた秀渓で。そして、『奈良県・某・渓谷』で、数年に一度は鹿が上流から流されて来たり・春の融雪・時期に沢の付近で転落したりして、渓・谷の屈曲部や・残雪に押し出された倒木・土砂の堆積箇所や、流木の定位・場所に、引っ掛かって水中や土砂に埋まっているのを発見します。
特殊な地形・環境で『動物』の亡骸を、頻繁に見る「渓」と言うのも・あるもので。こういった特定の『場所』では、その動物達の亡骸を、狙って・他の小動物が集まる場合もあって・学術・関係者や行政の生態調査・地域の自然保護グル−プ等から『観察・目的』の珍しい・ガイド依頼を頼まれる事も少なくありません。関西・周辺で、この種類の「谷・渓」として、良く知られているのは「滝洞谷」や、六甲山・系の(某)ゴルジュ地形の谷などです。
『鹿の角』を、持ち帰りたがる講習・参加者は、多いのですが。私個人は、そういった『角や骨』に、特別な興味や収集・趣味は無いので、参加者の『話の種』程度に、少し水流から持ち上げて・写真・撮影や観察に付き合ってから・元の水の中に戻して、上流に進む事にしていますが。どうしても・土産?に・持ち帰りたいと希望される方には、採取?の、お手伝いは行っています。
大台ケ原の「堂倉谷」では、これまでに3回・このクマみたいに黒くて・大きなワンコと、出合っては毎回・楽しませてもらっている。こういった例は・国内の他の渓では、あまり例が無いと思う。残雪期に槍穂高の縦走中にキレットを一緒に突破
した、ワンコや・冬の八ケ岳でも、ワンコと一緒に歩いた経験が、ある私も渓を自由に歩き回って・まるでガイドでも・している様に先行したり・遊びたいのか周囲に付き添って、滝部まで一緒に付いて来るワンコは、この子しか知らない。
山頂の「遊歩道」でも、登山者の相手を・しているらしい。そんな話題も聞き及んでいるが、私が、この沢(渓)で、出会う時には・ビバ−ク時も近くにいて、まるで私達をガ−ドでも、していてくれている様で・すっかり仲良しなので。食料も、つい・分け与えてしまう。3度目からは・この子の分も用意しておいた。
次ぎの、機会にも・また、ぜひ出会いたいと望んでいる。
しかし・潅木帯の見通しの効かない・場所でガサガサと音を立てて・近づいて来た時には・すっかり「熊」と間違えて・肝を冷やした。しかも・木立の間から・出て来ると・この黒さ・だから・・・しかし、性格は・とっても良い奴なので・大丈夫ですよ。
『渓の世界』を取り巻く、環境も一般の登山で知る事の
出来る・世界とは違う。水が全ての環境の基本ならば
渓谷・渓流から、始まる『生』は、一滴の水滴でさえも
素晴らしい。源流からの植生の、変化や深い森の中へ
入って、遡行を終える感動を味わえるのも、この得難い
体験のフィナ−レを飾る。
光りの少ない「谷」「渓谷」のイメ−ジとは違って、実は
光り輝く「世界」でもあり。より、鮮烈な光りを感じる場所
でも、あるのが「渓の世界」
『渓』で、見つけたいものは。やはり、自分の手で・採取、直接『口と胃袋』の欲求を、満たし満足させてくれる。文字通り「自然からの恵み」代表的なものには『茸=キノコ』を最初に思い浮かべる先輩・諸兄も多いでしょうが、訳の判らない物よりも・ス−パ−で売っている・エリンギとかの出物が、美味しいのでは・・・等と・男のロマンを否定する様な事を考える、私には・真面目に『茸』の選別方法を学ばなかったので・君子危うき・・・の・格言を守って・おいそれとは手を出さない。浅学なのと・ダイエット・メニュ−素材として見る「食材」と言う・意識もあって・これまで、あまり深入りしなかった世界なので、これからは少し勉強しようとは考えている。
絶対に人には、教えないが。『夏の穂高』と、居候・期間に歩いた(某・山域)だけで、採取・収穫?する
『山・松茸』に関しては、20年前から・秘密の場所を・隠し持っている。これは・技術とかキャリア面のガイドの付加価値とは、別に・仲間になったクライアントや講習・生徒に自慢したい為の・私の隠し技の一つ。
以前には、ガイド・クライミングの余裕・時間に、人数分を確保(採取)して、持ち帰って頂いた経験もあります。
これも・人には真似が出来ないでしょうが、穂高・時代に居候で、お世話になった「カモンジ師匠」に、探すポィントや重要なヒントを、教えて貰った・おかげです。
『山菜』も、実は残念な事に、個人的には「少量」食べれば・充分に満足する方なので、あまりに必死になって・探す意欲や情熱は持ち合わせていない。タラの芽・なぞは好物の部類に入る「山の恵み」の、一つだが。皿に一杯・盛り付けられるよりも、他の山菜等と共に少しずつ、「天婦羅」にでも、なって出て来てくれたら・大満足。それでも、東北・方面の沢や・個人的に内緒で通っている・居住県・北部の秘密の渓に、行く毎に、教えてくれる人からの指導に従って、少しは「通」の、種類には手を出すようになって来た。特に、白神山地での沢ガイドでは・懇意になって来たタクシ−の運転手さんに、地元ならではの「山菜」も、教えてもらっている。
これが。個人的には『一番の好み』やはり、渓流魚と思われる、
方が多いでしょうが、ヒ−ザ(ヒ−ス)の丘が、延々と広がる北の
辺境地に、少しばかり長く・住んでいた事のある私には、冬の終わり
に、草原状の丘陵の中に見つけて・村人・総出で採取を楽しむ地実
や北極海からの厳しいい・寒風に耐えて実った・木の実に、何か生き
る。その・ものを感じたり・食べ物の・原点を想い起こしたり。とにかく・木の実
関係が、山においても・季節の、恩寵・恵みの塊「木の実・コノミ」が、好きです。
渓流・遡行(沢を登って)の、最中には、忙しいのと・食糧確保の必要も無くした・現代の「遊び」なので、切迫感・必死の心も沸き起こらないので、中々・探せる暇が無い、だけに偶然・「発見・見つけられる」と、とても・うれしいものです。野営(キャンプ)の、夜に「焚き火」に、殻の付いた野生の胡桃を放り込み、ナイフで削った小枝を、使って焼けた、実を少しばかり食べるのは、酒のツマミとしては最高です。手間が。かかり・量も僅か・それでも、これが量より質の、大人の渓の夜の楽しみの一つです。
この、「楽しみ・方は」毎・春、秋に『特選ガイド・プラン』で、利用させて頂いている。最近は、人気・急上昇中の「奥飛騨・沢上谷」での、キャンプでは定番。猿に、先を越されないように・・・・・・胡桃は・秋です
他2種の・食べれる「木の実」は、参加者にしか・教えません。
「アケビ」に『苔桃』そして、楽しみなのは「サルナシの実」です。そして、症状が、年と共に「悪化?」している様子を感じる。山の恵みの・優等生。中国の古い、諺に従えば・・・・釣りなくして
『渓流釣り」=私は、絶対に『岩魚』しかも、大きいのが好きですが。
雨女(アマゴ)も山女(ヤマメ)も、好きですが、やはり・釣り立て・水流から引き上げて・なるべく早く・残雪に少しばかり、埋めて「身を・締めてから」刺身が最高。これを楽しむ為に・時期を選んで、入渓するのも・仕方なし。
そして。出会える「自然」の全てが・素晴らしく。ふと、見上げた木立を走り回る可愛い栗鼠や、たまには喧嘩・相手。威嚇される猿や猪、視線・目を合わせて一瞬・止まる鹿や、岩の割れ目の奥に眠っている・ムササビの赤ちゃん・とか。深夜の渓を滑空する音が聞こえる・まんまる目玉とか・・・・満天の星空。
一口、すくって飲む目前の生きた化石・君とかも、出会えれば良い想い出の、ひとつ。
『毒キノコには・御注意を』
(左)穂高の、この池に厳冬期に立っているのは不思議でしょう。
越冬している、友人と共に、近くの小屋に、遊びに立ち寄った時に・少しばかり食料確保で・・・・今なら・時効でしょうが。
この頃に、有明のオヤジサン達からも
「穴場」をこっそり・教えて貰った。
今も、その秘密の場所で、少し恵みを分けて頂いて・いますが。20数年前とは、違って・・・・
最近は・猿たちに毎回、先を越される。
晩秋・涸沢小屋の親友と・北尾根・超えて・・・・
常駐隊の、友人も付き合って・渇水・狙いで
・・・・・???
世界に広がる『沢登』 海外遡行同人・茂木氏よりの提供写真 トロピカルな沢登り、これも中々に楽しかったそうです(2006年2月・提供) |