まずは「駄目だと」は、思わず。クライミングも含めて・何事も「体験」と・考えて・君の「夢見る」本格的な登山に役立つ、技術と経験を・・・・まあ・気楽に参加して「体験」しなさい。そんな感じで「大阪府立・盲学校」に在籍している少年を「フリ−クライミング講習会」に、参加してもらう。

この『講習」に関しても、一般公募で・他の参加者も同行して、入山時には、参加者がサポ−ト体験を行うこのシステムが、良いかどうかの判断は実は難しい。『一般公募』とは、言っても基本的には私の仲間達が手伝ってくれなければ、このプログラムは実施できない。参加者の中には、「サポ−ト体験」に、戸惑い・拒否を表す方も存在する。それを、表現するかどうかは別として。
参加費用が格安なのと・公募・企画の後方の中に「バリアフリ−」と明記・説明してあるから・・・
「ハイキング企画」の場合には、これまで問題は生じていない。しかし、年々・クライミング講習に関しては・必ずしも・参加・費用が安ければ・・・と・は単純に説明できない・場合も出て来そうだ。

『講習』の基本・姿勢には、クライミング講習なのだから「岩」を登る楽しさを体験して欲しいと企画するのは当然なのだが、参加するチャレンジドの身体・能力・ハンディの程度によっては、クライミングの動作よりもアプロ−チや、それ以前の参加者の自宅からの「岩場」までの、交通・移動に係わる問題の方が大きい場合も、多々あって。岩場や山歩きのサポ−ト・手伝う仲間が・存在していても・実際に岩場での活動に入れるかは、生活圏からの移動・この辺りに気楽にクライミングに誘う・その企画の実施に・準備が必要。普通に、誰でも・気楽にクライミングを楽しみに行こう・・層・簡単ではない。今回は、視覚に障害を持った、彼が別の企画で知り合ってから、山まで懇意に付き合ってくれる仲間を一人、同伴して参加しに来ていたので、そういった移動面・交通・範囲のサポ−トを気にせずにクライミングを行えたが、いつも・こういったサポ−タ−同伴で参加できる人ばかりではない。
同伴者の青年が、山に興味があるのか・クライミングにも意欲が・あってのサポ−トか、どうかは別にして。友人に近い、感覚で自分の趣味の世界にサポ−タ−として同伴してくれる、この友情を理解しているか?

『朝日新聞』からの取材を受けて・芦屋ロック・ガ−デン・キヤッスル・ウォ−ルにて
「バリアフリ−・クライミング講習会」を行っている・写真をプロのカメラマンに写して、頂く。

この、岩場は出資者からの資金・協力を得て・担当ガイド舟橋が通算3ケ月・合計・回数で約8回ほど・整備に老朽化した残残支点の撤去と・打ち替え・作業で安全面では、他の六甲エリアの岩場と比べても、かなり使い易く、なっていた。『写真』部分の・安定したテラス(岩棚)箇所にもハンガ−・タイプのボルトを必要量・設置。丁度、この写真・部分から直上するル−トと下部を使うと、視覚・障害者のクライマ−に、とってもレベル・アップには最適な半日プログラムを設定するのに最適。

支点・整備後は、中高年・者クライマ−の利用が急増していて。少し、岩場まで歩く必要があるエリアなので・他のエリアの様な混雑も少なくて、芦屋の街並み・海を見下ろして中々・快適なクライミング・環境。そういった点から、最近では各社TV関係の撮影でも、頻繁に利用し出した。最近も・ICI石井スポ−ツ・神戸・店からの支援で『おはよう朝日です・日曜日』にても、荒地山・有馬の温泉と組み合わせて、この岩場でもロケを行っている。

新たに・残置・支点として打ち替えた
『ハンガ−・ボルト』と、終了点のアンカ−・ポィントは、設置した翌年に再度・整備を行なって終了点のチェ−ンを、腐食と錆に強いステンレス製に、私が費用を出して取替えておいた

最初から『バリアフリ−・プログラム』で、積極的に・この岩場を使用しようとは考えては、いなかったが。支点を整備後に他の「六甲山・系」エリアで、主に視覚障害者メンバ−とのクライミングを行う機会が、増え出すと。他のエリアでの、視覚・障害を持った講習・参加者の「レベル・アップ」時に・幾つか大きな問題が生じだした。問題としての大きな理由の一つは、いつもと同じく、他のクライマ−からの・支援や理解が得にくい環境が増えている事や、公共の「場」としてのクライミング・エリアの狭さで・他のクライマ−(基本的にはフリ−・専門)の練習時に・時間的・空間的に「迷惑」と、思われている事を、あからさまに視線として向けられる事で、登山からクライミングに入って来ている人達からは、以前から・その「視線」は向けられる体験は、あったが。以前と違うのは、その「視線」に加えて・若いクライマ−の多くには、大人としての分別は期待出来ない。それゆえに私が我慢していれば良かった頃と違って・参加しているメンバ−に、その「場」の雰囲気が伝わっているようで。遠慮が多い、彼らの精神的な負担を感じる、私が辛くなり出したからだ。

たまに。「被害妄想」と・思われたり。山の世界に・そんな狭い心の持ち主は・いない筈だと・断言される方達に出会うと・反論はしない事に、している。今時の若い奴らは・・・・の・意見に、反論できる・実証例・体験も、実は私のほうが大抵は多く持っている。震災の、あの頃の『活動・体験』を共に・持っているのは、私の方が多いと思うからだ。それは、そういった心優しい種類の人達であって・クライミングに関係している、今時の若者が・そうだとは言えないのは・実は正直・残念。三ケ所の避難所で、少なくとも私が見て・体験している、範囲で「クライマ−」関係者が活動に、参加しに来た例を私は一度も・見ていない。

2004年・兵庫県「北部」の水害・被災地で
活動には・いつも若者が参加している。

『場』が、なければ・楽しめないのは。障害を持った人達も同じ。クライミングは、現在では特殊な遊びではないと・私は考えているが「場としての・自然環境」=俗に・クライミング・エリア(ゲレンデ)の、バリア・フリ−環境は・他のアウトドア・ジャンルの遊びと、比較・比べても、量は別として「内容」には、進展・発展は見受けられない。自然相手の遊びだから・別にアプロ−チに特別な・機材や施設が必要・不可欠とは言わないが・環境の中には・人の理解や支援・感情。そういった・ソフト・人間側の心の問題は最も・重要・必要不可欠な「環境」なのだ。無表情と見られる『岩』も人の勝手を許さない
『山』も人の障害や違いで、受入れを選択したりしない。区別し差別するのは、単に人のみだから

『バリアフリ−・クライミング講習会』写真

仁川渓谷の岩場(ム−ン・ライト・ロック)にて講習
『自分の夢に忠実で、その夢を適える為だけの努力や犠牲』そう言った、己の自由な生き方も素晴らしい。

それとは、別に『人の夢』を適える為の手助けや、支援にも同じ様に価値を見出せる。どちらも同じ『夢』なのだが、視線の向きを少しばかり変えれば、それは別に難しい問題ではない。
『次は、穂高へ』
『30年ほど前に』ロック・クライミングはスポ−ツで、一生の遊びには最適だ。こんな風にクライミングを説明して、その遊びを教えて収入を得ようと活動を始めた私は、関西範囲の、俗に言われる「登山界」からは、完全に疎外・否定されていた。それと、同じ様に障害を持った友人や仲間達と「六甲山」から、遠く穂高や他の山々や岩場に遊びに出る度に、これも感覚的には同じ様に、変わり者・扱いされていた。
障害者スポ−ツと呼ばれるジャンルは、この数年間
で大きな飛躍を見せている。
『六甲山』での乾いた岩肌でのクライミング体験から次は『本格的な沢登り』へMBS・毎日放送局からの取材を受けて『三谷渓谷』にて

2006/03/30 (木) 8:55:55

独善的な『登山観』や、困難を目指す主義にのみ目を向けるしか『山』を見れない人達は、未だに残っている。そういった人達には理解は及ばない『世界』現実だとは思う。知識も無ければ、想像力も働かせられない、人達には1本のボルトの意味する『冒険的な行為の価値』を知る術は無い。
2002年〜2004 『バリアフリ−・クライミング』
視覚障害の少年の『山への夢』 クライミング初体験は六甲山の岩場から
MCS国際・山岳プロガイド 舟橋 健
六甲山『芦屋ロック・ガ−デン・キヤッスル・ウォ−ル』
六甲山『仁川渓谷の岩場・ム−ンライト・ロック』
六甲山『蓬莱峡・小屏風岩・大屏風岩・風化斜面でのアイゼン・トレ−ニング』
実施企画が映像として、詳しくテレビ・ニュ−スに出た結果は、予想通り『賛否を含めて』大きな反響。

六甲山の仁川渓谷から始めた、本格的で健常者が対象とするのと、ほとんど同じレベル・困難度が評価される『千ケ峰・三谷渓流』を発端として、播但北部から県境までの、私が開拓・整備した沢コ−スを、毎夏利用しての『バリアフリ−・プログラム』に、関しては山関係・クライミング関係の情報誌・雑誌類には、極力情報を公開しなかった。
『プログラム』に安心して『キャニオニング』を加える事が出来るようになった2000年の夏からは、沢の企画として、前年まで頻繁に利用していた『コ−ス』を、あまり使わなくなった。
残置ボルト類への撤去・破損行為の問題が大きく
使用環境を自分で、いつも確認できるキャニオニングを選ばざる得ない。
滝としての顕著な『落差』が、大きくなくとも仲間の何人かは『沢体験』数年目で、通い慣れた渓流・谷では歩行配分と共に、目前の見えない落差や段差の『水音・落下水流』を感覚的に判断している。
普段、そういった音による状況判断や認識に意識が及ばない、私達には驚く事も多い。
彼らとの共同の『遊び』を、体験していなかったら『違う意識・認識・世界』を発見する事は適わなかったと思う
この『開拓コ−ス』も、必要な安全確保に設置したボルト類への被害が、年々と大きくなり以前の様に頻繁には使えなくなって来た。