「沢登り」=日本独自の登山形態です。「沢登り」「渓流遡行」は、古くから使用されている名称
        シャワ−クライミングの名称は(某アウトドア・メ−カ−)が自社製品の販売利用
        として使用してから、利用され出した他国では意味が通じない「造語」です。
        近年「リバ−トレッキング」や「ウォ−タ−クライミング」等の名称も目にしますが
        遊びを「表す」表現と考えれば、それぞれに楽しみ方・目的が含まれていて
        メクジラたてて?「適正・名称」云々と論ずる必要も、ありせん=「個人・見解」
「渓流ハイキング」

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「上の写真」は、震災後に少し落ち着いてから、私の家の近くで、個人的に利用させて貰う事が多い
「上ケ原・郵便局」の局長さんが、当時「かんぽ助成」に私の企画も、支援対象として選ばれる、そういったアドバイスを頂、これまでの「親子企画」の実施経緯や趣旨・趣向をレポ−トに、まとめて提出して「局長」さんからの推薦も強い味方となって「ボランティア活動」として、地域の子供達を対象として、一夏「数回」広報には当時、チャレンジド支援クライミングの取材で知り合った(某・新聞)記者が素晴らしく好意的な「内容・記事」を書いてくれた。

「渓流ハイキング」=これは、83年に地域の「自然保護グル−プ」や私のクライミング講習などに参加して個人的に、低学年の子供達の「野外遊び」や、当時としては珍しく、私の提唱していた「野外学習」体験系の企画に興味を持ってくれた「西宮市・仁川地域」や「甲東園」周辺に住む、お母さん達からの「希望」に即しての企画を「表す為」に、登山愛好家が使用していた「沢登り」では、山に興味がなくて「危険・恐がる」感覚・イメ−ジを少しでも、払拭?「川遊び」は楽しいですよ・そういったメッセ−ジを簡単に伝えたいとの想いで勝手に作り出した「造語の一つ」
当時は、手話でも色々と存在していない「登山・クライミング用語」を、作って利用していた頃だったので「言語・表現」で、新しい「表現」を生み出すのは容易い環境だった。「渓流」を「楽しく歩いて」上流を目指す「山歩き」=ハイキングと登山や少し、クライミング的な要素を秘めた遊び方を、拒否反応・抵抗感を持っている、お母さん達に「大丈夫」ですよ・と伝えたかった。

山岳雑誌「岳人」等で、数年後に・この利用・名称は「不適当・不適切」みたいな意見を書かれた方も、おられたし、関西範囲の「沢屋」さんの中にも、似たような意見を直接に私に伝えて来た方も、いましたが・・


自分の「遊び」が簡単そうに「表現」されるのは、少数のクライマ−達と同じ様に「お嫌い」らしい。

「販売・戦略」「商売がらみ」のシャワ−クライミング(名称)は、それを行う内容の難易度・困難度は別として「名称」としては、良いという感覚も面白いが・子供達が「渓流ハイキング」で行う「冒険」も、ある意味では逃げの、シャワ−クライミングを楽しんでいる冒険心や好奇心を少し、失った「大人達」よりも、内容は素晴らしい場合も・在り得ますね。


今から、思えば「キャニオニング」を知らない頃から、子供達との企画で・古典的な由緒・正しい?
日本の田舎なら、どの地域の子供達でもが遊んで、いた飛び込み(ダイブ)は、親達からの不安心配そうな視線の中を、私は積極的に取り入れて、大勢の子供達と遊んでいた。

この「写真」が、92年・頃だからキャニオニングと殆ど同じ・遊び方を使っていた事になる。

沢でも、他の沢屋さん達から、冷たい視線・・
比良山の奥ノ深谷などが、遊び場だった

震災・翌年には神戸フェニックス支援にも助けられて、西宮市の「中央体育館」野球場
仮設「住宅」の、子供達にも・この沢企画を提供しました。朝日新聞にて、広報・紹介

裏・六甲山の講習『最適・渓流』

『シャワ−・クライミング』

『郵政省・広報誌』にて、私のガイド活動が広く「全国的」に、紹介された『紙面』担当者に私を・紹介・推薦してくれた西宮市の『郵便局』との・個人的な交友関係で。親子で楽しむ・渓流ハイキングの「企画」が、数多くの「企画」から、選出されて「支援・候補」として・採用されたのは幸運でもあったが・『紹介・推薦』の、労を惜しまず・動いて頂いた「上ケ原・郵便局。局長さん」の、おかげでも・あります。

(これぐらい・水量が多い時が・お薦め)

『猪にカラス』以外にも、こんなに、可愛い小動物も仁川渓谷にはけなげにも住んでいます。渓谷・水流は以前のような清流に戻る事は、難しいけれど。今・残っている『自然環境』は、守りたい。

この、時のTV撮影・録画を私は、今現在・所有していない。
全員・草鞋を履いての『仁川渓谷』で、沢登り体験。最近では、手作り『草鞋』で、沢で遊ぶ機会も・殆ど無くなってしまった。テレビで、これまでに8回・以上は私の、企画だけでも映像・紹介されたのと、関西ヤマケイが出している「雑誌」にも、頼まれてガイド文を何度かは書いているので、山関係の人達も、この場所に遊びに来る。

最近では『川』で泳いだり、遊んだ経験のある子供達は本当に少なくなりました。
増水後の川底の泥やゴミが、押し流された期間が最適期
子供達が先頭グル−プなので、後半を追随して歩いて来る
大人達には、水が濁ってしまいます。
多人数グル−プ『企画時』参加した、子供達と取材しに来てくれた『TV番組・撮影スタッフ』の使用する『シット・ハ−ネス&安全確保・用具』は、60人分となり、全て私のスク−ル・レンタル品で準備・使用。
この後の、洗物は大変です。
一時期、毛鉤の練習に、こそっと通っていた頃には爆発的に繁殖した、外来種のブル−ギルが、中流部・付近で大量に釣れて、環境の変化に驚いていた。2005年・以降は急激に繁殖している様子は見られないが、世代交代を続けている可能性は消えていない。誰が、渓流内に持ち込み、放流したのかは判らないが危険だと思う。小さな『動物達』の生息・環境も悪くなっている。
私の、後輩達『地元・甲稜中学校』の、生物部の生徒達に沢を楽しんで貰う。彼らは、渓流の水生昆虫の観察や勉強で、実際に渓谷の中を歩いて、体験から学ぶ機会を選んでくれた。
地域枠の住民や親子が積極的に、身近な自然環境『保全・保護』に、関わる西宮市の『仁川渓谷』を中心として活動を開始した『考える会』こういった市民活動としては、近辺の市町村の中でも先駆け的な行動だったと思う。また、国内においても『子供会・親子グル−プ』が、本格的な『沢登り』を活動に加えたのも、最初の記録かもしれない。
表・六甲山『仁川渓谷』 期間・限定コ−ス