六甲山 荒地山〜『なかみ山・クライミング・エリア』
1960年代の後半時期に、荒地山・主稜(道畦尾根〜岩梯子)〜なかみ山、南西側に発見された、大岩群。80年代から本格的に、ボルダ−・エリアとして利用され出した『荒地山・範囲』の、岩場群とは数本の支尾根で隔たれていて、現在ではハイカ−の休憩場所として、展望の良いポィントとしても人気が高い『黒岩』から、位置が確認できて、以前は通行者も常連ハイカ−や水場付近を歩く、この周辺に精通している愛好家・達や、たまに間違って通行する登山者ぐらいが北側尾根(第2支尾根)途中の、展望を得る為に切り開かれた、尾根上の岩場から、このエリアの大岩に視線を向けるか、たまに興味を持つクライマ−がいる程度の、ハイボルダ−・エリア。

初期の開拓者が、誰なのかは不明だが、記録および情報を公開したのは『関西の岩場』項目内の、別項扱いだったが『大阪アルデ・ベルグカメラ−ド/姫島正和 氏』六甲山、奥高座の岩場として簡単な概略図、位置の説明を載せていたが、彼らが設置した尾根上の標識や開拓初期の踏み跡は、現在では消えていて尾根からの下降路は、今では入口こそ分かり難いものの、一般ハイカ−にも利用される、かなりポピュラ−な一般道となっている。ただし、地図やガイドブックに紹介された事は無い『通好みコ−ス』なので、姫島氏・達が初期の開拓時に利用できた南側の『尾根上のボルダ−』は、現在では『水小屋?』への最短アプロ−チ道として、この山域・愛好家達には頻繁に利用されているが、ここも荒地山エリアと比べれば、クライマ−が情報として知っているコ−スではなく、2003年ごろから、再びトップロ−プ課題が豊富で未開拓な課題が存在する事が、少数だが知られ出したエリア。独立した岩塔・大岩が点在していて、各岩場の移動は昔は不便だったが、徐々に尾根道からの大岩への接近も踏み跡が増え出し、以前は忘れ去られていた『未開拓・未整備』な課題にトライしやすくなっている。特に2009年の秋には、急激に、かつ短期間にメインの目立つ岩場・終了点『岩場上』に真新しい『ハンガ−・ボルト』が設置され出し、私が設置した『黒塗りハンガ−・ボルト』と併せれば、殆どの大岩で気楽にトップロ−プ・クライミングが楽しめる様になって来た。

かなり古くから岩場群へ接近し易い登山道が整備されていたが、この山域としては常連いがいには、通行する登山者は少なく、地図上で確認する事も難しく、荒地山からの尾根道・途中からの、下降ポィントも普通は見つけるのは難しく、震災以前には殆どクライマ−の姿を見る事は無かった、古くて『新しいボルダ−・エリア』この山域では最も、まとまったハイボルダ−・大岩で、アプロ−チも各岩場への移動にも、便利で接近は容易。忘れられたようなエリアだが、2003年頃からボルダ−トップにクライマ−を見る事が増え出した。

古いリングボルトに関しては、一時期のボルト打ち練習や簡単で短い練習用・岩も多いが、岩場上に残置されていて、僅かに残る錆びた残置ピトンと共に、今も残る支点類は、それほど古い時代の痕跡ではない。81年〜86年頃までに、私達が遊びに通って来ていた頃にも、数本の残置ボルトを見ていたが、ボルダ−の課題としては、高距・スケ−ルが大きな岩が多く、ランディング環境も、その頃は今以上に悪くて数多くの『課題』は残されたままだった。
位置的に『荒地山ボルダ−』エリア範囲で説明しても良いとは思えるが、顕著な支尾根だけで数本が各エリア間を分断していて、奥高座の岩場とも呼び難く、独立した岩場群でもあるので、かっては『なかみ山フランケ』と仮称して、説明していた期間もある。

もう、すっかり忘れられているが関西でフリ−クライミングが、かなり多くのクライマ−に支持され出したた発端ともなった場所の一つが、この山域範囲の『荒地山ボルダ−群』で、北山公園での開拓時期と呼応するように、80年には『MAJ』が、関東のクライマ−を招待して『堡塁岩』と、この『荒地山』で交流ボルダリングを行った。この時の詳細情報は翌年1981年の『岩と雪/79号』に、平田紀之・氏・氏が『気分はシャワンガンクス?六甲山フリ−クライミング』として、私の仲間も含めて神戸の若手クライマ−と当時の最大関心事&未解決・課題の一つ『堡塁の大ハング』の完全フリ−化・挑戦と共に『荒地山でのボルダリング』も詳しく、紹介されていて、この記事から地元の若手クライマ−に、この山域でのボルダリングの価値が認識された。

その後も、数多くの情報が出ているが、黒岩から北範囲の岩場群に関しては不思議な事に、殆ど公開されることは無く、僅かに『プロペラ岩・周辺』までのボルダ−と岩場までしか、これまでの『ボルダ−・エリア情報』として知られていない。81年頃から、神戸登攀倶楽部メンバ−と、私に誘われて同行してくれた若い大阪のクライマ−以外に、この『古くて新しいハイボルダ−・エリア』で、課題に取り組みに来る、クライマ−は殆ど、いなかった。
岩場の構成は、同じ六甲山・範囲では珍しいビッグボルダ−の重なりが面白く、クラック・フレ−クも豊富で
岩そのもの、壁が潅木や苔で覆われてもいず、最も初期の探査・開拓時期から一般道の尾根からの接近も当時としては容易で、最も短時間でクライミング・エリアに到達できる場所として、クチコミ情報は発信していた。
トップロ−プ課題として、使われ出した荒地山・爬虫類のカンテ系のハイボルダ−は面白い課題
古いリングボルト2本に、真新しいハンガ−・ボルト2本も残置されていて安心して、側壁のクラックと共に楽しめる。カンテ&スラブは中段の水平ホ−ルドへの立ち込みと、その上がポィント『井ノ外の蛙』マントル課題としても面白い。初心者にも適した課題、カンテ左・裏側のクラックが『チャンドラ』ここも含めて、このエリアの初期開拓・時には殆ど、全てのクラックはヘキセントリック等のチヨックを使用して、登られている。2004年の秋に再訪した時には、この辺り『上部エリア』の各クラックには苔と泥が詰まっていて
松の幼苗も生え出していたので、何度か通って除去しておいた。
2009年10月〜12月に再び、整備を行い特徴的なカンテ右横のスラブ課題も楽しめる。
ハイキング道から取り付ける、開拓初期から利用されているボルダ− 『Wホ−ル・ロック』
巨岩大国には、83年にOCSメンバ−の京都仏大WV部にも所属していた、若手クライマ−や大阪南部・南紀方面で当時一人、開拓に精力的に取り組み『ガイドブック』で、大阪周辺の岩場を紹介できる、数少ないクライマ−だったI君も同行して、フランケ周辺と、上部範囲のフレ−クや゜クラックを共に楽しんだ。
かなり昔から目を付けていた登山道・横のスラブ&カンテの課題。2009年12月4日に、右端のスラブから上部カンテへ抜けるラインを開拓・設定し清掃と終了点のアンカ−設置を行って完登。

 初期の開拓者が手を触れなかった、隠れた『クラック・ライン』取り付き難いが、六甲範囲のクライミング・エリアには少ないワイド・クラック系の課題が楽しめる。ヘキセン&チュ−ブ・チヨック使用でクラック左のアレ−ト状ホ−ルドや右側ホ−ルド無のクラックのみならグレ−ド・アップ。
『ファ−スト・コンタクト』出口に振られ止め、リ−ド用のボルト1本。