六甲山 西山谷
1960年代から、身近な沢登りコ−スとして神戸の登山者に親しまれ、70年代には手軽な沢登りが楽しめる沢として近畿圏のクライマ−にも、情報が知られ出していた。『ル−ト図集・関西周辺の谷/白山書房』の発売後は、多くの登山者や沢登り愛好家に、六甲山と言う交通至便の地にある、便利なトレ-ニング・コ−スとしても、山上付近のクライミング・ゲレンデへのアプロ−チ兼・トレ-ニング・コ−スとしても利用者が多かった。(80年代には堡塁岩へのアプロ−チとしても、地元クライマ−に利用されていた)
『大月地獄谷』とは、隣の沢として終了点も近い位置にあり、80年代には一般登山道を下降路として、この二つの沢を継続するプランは、健脚クライマ−の本場に向けての実践トレ-ニング・コ−スとして知られていた。渓の中を極力、水に触れずに左右を巻きながらの登山コ−スが利用され出したのも、同時期。

90年代から、『沢登りコ−ス』としてよりも、少し渓流に触れられるワンレベル・アップの『一般登山』の、上位的なコ−スとして、ハイカ−に知られ出して、初期の沢・遡行の登山者が堰堤や突破できなかった『滝』を、巻くために拓いた『滝横の巻き道』よりも、更に容易にハイカ−・レベルの人達にも、使い易く、歩き易く、そして安全にと、縦横に、かつ無節操に意味も無い、コ−スも増加していて、滝横に設置された固定ロ−プ以外に、以前ならば各自が責任を持って登下降していた、滝と滝の間の山の斜面や急傾斜・箇所の岩場や堰堤横にも、そういったロ−プ類が、多数存在するようになって来て、クライミング技術が無くても、ある程度の登山経験があれば、渓流に触れる事無く『滝・見物ハイキングも可能』となって来て、益々、ハイカ−の入山が増加。
俗に瀬戸内海(大阪湾から淡路島)側の、六甲山は『表六甲』と、呼ばれる。近代、以前は裏側とも呼ばれる地域への、交通の障壁としてしか考えられなかった東西に伸びる『六甲山』範囲の、南側の谷・沢は、通行に関しては難所が多くて、生活圏の中でも増水時の危険も含めて、役立つ自然環境として考えられる事は少なかったが、水道整備と水害制御に、保水・山地保全の為に人の手が積極的に入り始めてから、山上への道路整備に伴ない、徐々に登山者の利用範囲へと変化して行き、山腹の住宅地の造成が急激に進み、交通機関の発展と共に、六甲山・範囲の谷には尾根に次いで『登山コ−ス』が増えて行った歴史があるが『谷中に急峻な地形と滝』が、連続していて徒歩だけでは登る事が難しい幾つかの谷は、その困難さ故に沢愛好家やクライマ−の視線に留まり、その価値が評価されて来た。『西山谷』と『大月地獄谷』は、同じ『表六甲山・住吉川・水系』の、上流域の支流『沢』として、特に70年代から80年代に、登山専門雑誌『山と渓谷』や『岳人』に、コ−ス・ガイドが概略的なガイド文で紹介された。それ以前の登山コ−スを紹介した『ガイド・ブック』の中にも、別項扱いで取り上げられて『遡行コ−ス』や、特徴的な谷中の『滝』が解説されていた。又、市販の登山地図の裏にも『遡行コ−ス解説・説明文』が記載されたり、唯一の沢のル−ト図集として、参考にした愛好家が多い『白山書房の関西の谷』や、最も最盛期に愛読者・利用者が多かった『大西雄一氏の著書/六甲山ハイキング』が、最も当時としては詳細な情報が記載されていて、初めて入渓する登山者に役立った。以降の、ガイド文の多くは、『大月地獄谷』と共に、これら2冊の滝解説や、コ−ス案内を目安、基本として書かれたものが多い。
表六甲山・範囲では震災以前から『各谷中での砂防堰堤』増設と、改修、拡張工事が進んでいて、植林帯の手入れが怠りがちな傾向と比例して、『砂防堰堤』の数は目に見えて増えていたが『震災・以降』は、更に増築・新規設置が急速に進みだし、70年代から80年代に書かれた各種『情報』だけでは、谷内の状況変化に対応するのは困難になっていた。2001年の『別冊・山と渓谷/カンサイヤマケイ六甲山』=私が沢コ−スを担当している項目と、小型化された同じく『カンサイ・ヤマケイのガイド・ブック六甲山』が、最近では現状に即した最も新しい『遡行ガイド』として、この『西山谷』を含めた六甲山・範囲の沢・渓流コ−スに興味を持ち始めた登山者に利用されている。

以前ならば、谷の入口でもある二股の『左・支流の滝』も登ってから、左岸にトラバ−ス後に、本流に入った。

震災で谷中の滝の殆どに、壊滅的な被害を受けて、沢のコ−スとしての、価値を著しく損なった『大月地獄谷』と、比較すれば『西山谷』は、各滝に大きな、崩落や崩壊と言う被害を受けなかったが、多数の滝が在りながらこれらの滝に果敢に挑戦する者は、少ない。滝を避けての『巻き道・エスケ−プ・コ−ス』が各所に増加。
沢登り目的、水流と滝でのクライミングを目的として入渓(谷)していた人達が基本だった70年代から、80年代とは近年の利用者の多くとは、基本的な意識の違いが大きい。ハイカ−・レベルの人達や、滝見物や写真撮影が目的で、本格的に沢装備や意識・意欲で谷に入るのではなくて、かなり気軽に谷に入る人達が急激に増加。以前ならば、考えられなかった箇所や場所に、それらの入谷・歩行者の為の固定ロ−プが不必要な場所でも、勝手気ままに、設置者の判断のみで、縦横に張り巡らされている場面に遭遇する事も、多くなって来た。
全国・各山域で同じだが『F=記号の滝を表示する』この『滝』に関しての、記述に差異があり、谷中に存在する個数がガイド・ブックに代表される『情報』により、違いがあるのは崩落したり、土砂に埋まったり、地形が変化した場合も少数ながら、在り得るが、その多くは『滝』そのものを、その大きさや垂直・高距で『滝』として、認識・判断するかと言う、かなり記述者の選定判断の基準によるところが大きく、ある人にとっては『小滝』だが、別の人にとっては『滝』と、評価しないと言う判断による部分も、同じ場所での『滝の存在』評価となっている。一律に高さの基準がある訳では無いが、全国的に沢愛好家の多くは身長程度から小さな落差の傾斜と共に『滝として認める』基準を、暗黙ながら了承しているようで、1・5m以上の高さを、を基準とする意見も多い。
70年代の前半期には『西山谷』では、遡行中(ハイキングではなく)遭遇できる『滝数』は22箇所(22滝)と言われていた、実際には下流部の、最も古い砂防堰堤・下部の滝を除いて『20滝』と、認識されていた。当然ながら、大月地獄谷・最上流部で数多く、見られる初期の石積み堰堤が土砂に埋もれたような人工的な遮蔽物・構造物を『滝』とは呼ばず、個数にも加えないのだが、最近は基本的な了解事項や登山の基本・常識や知識が根本的に『欠如』した方が、これらの不自然・無意味な人工物の痕跡を、自然の『滝』と混同?して、滝数に加えると言う無意味で、身勝手な判断を公表してしまう事も見られるようになって、更に情報が混乱しているようだ。2001年、以降は

又、本流とは違う隣接した、両岸に直に落下する流水溝や、降雨後に出現する流水や支流の滝を混同したり、間違って個数に加える人達も多くなっている。中には、本流と支流を混同していたり、完全にコ−スを間違えながら、その間違いに本人が気付かず情報を公開したりしている人もいる。

『滝』に本格的に接近する事も適わず、砂防堰堤を巻く為の僅かな労力と手間を嫌ってか、両岸の比較的・新しいエスケ−プ道を積極的に利用して、この谷を登ると、沢としての遡行と言う意味合いは失われる。文章上にも『西山谷・遡行』と記述が多くなっているが、基本的に谷歩き、巻き道・利用の山歩きの延長線と渓流内を登る『遡行』とは、全く異なる登山形態。自己満足の表現が、自己欺瞞・範囲ならば自由だが記録や情報の公開時に、本質的な行動・活動自体が正しく説明されていない記録文が異常に多いのも、この谷の最近の現状だろう。

70年代、80年代の情報の中に『六甲最難』や『六甲山の卒業試験』とか、上級者・熟練者コ−スや、クライマ−の目標とかの、扇動的な記述が見られたのが災いとなって、沢登り愛好家でも、クライマ−としての知識や技術も、基本的な意欲や情熱も持たない一般のハイキング・レベルで山を楽しむ人達が、それらの記述に憧れたり、片鱗に触れてみたいと望んで、巻き道・利用での谷沿いの登山を楽しみ出した。
『完全遡行』滝芯と困難な滝横の岩を突破しなければ、殆ど登行されない箇所が『西山谷』範囲にも幾つかあり、一般的に現在では『F18』と呼ばれ、70年代のコ−ス・ガイド図には『F14』表記だった、源流部・手前のチヨックスト−ンが特徴的な『滝』は、かっては『関門クラック(岩門)』と称されて難度も評価されて、地下足袋・草鞋履き、クライマ−の撃退箇所としても著名。現在でも、普通の一般登山者や滝を避けながらのハイカ−には、挑戦することは適わない難所の代表格なのだが、この滝場に接近、見上げられるコ−スを採用する入谷者は沢靴(渓流シュ-ズ)履きで通過する人達の中でも、少数派だ。
技術的には、残置ロ−プの存在など考えられなかった70年頃で沢グレ−ドのW級・上で、一般的に知られている六甲山・範囲の沢コ−スの中でも、難度は高い岩場の一つであり、固定ロ−プを利用しても、一般登山者やクライミング経験の無い者には、危険性が高くて終了点からの確実な確保が必要。

時々、固定ロ−プが取り替えられ、通過する者もいるが数多くの『情報』の中で、紹介される事は殆どなくて、事故も起き易い場所でもあり、一般登山者には無縁な隠れた『滝・岩』となって来た。

個人的には『固定ロ−プ』が、存在していても、そのロ−プそのものを設置した人が安全に固定しているか、ロ−プ自体の強度や、取り付け方を含めて登り上がらなければ判断できず、決して安心して使える残置物では無く、経年劣化や、人の悪意も現在では山中といえと存在する事から、クライミング技術に自信が無く、対応能力が欠如している方は、登らない方が良いと思う。
流下・水流の滝と違い、晴天時には概ね岩場は乾いているが、濡れた登山靴やトレッキング・ブ−ツで対応し難い、難度の岩場だ。固定ロ−プが無い場合には、中間プロテクションも各自がセットしなければ残置が期待出来ないので、墜落は致命的。巻き道は安定していて、岩場上を通過している。
私は、この『西山谷』遡行時には、最後に源流部・直前に、この滝横の岩場を突破してこそ達成感や充実感が味わえると思っていて、情報なく探査の醍醐味で入谷した初期の先輩達を思って、この難所を越えて『西山谷』遡行を楽しんでいる。個人的に、近年・残置されているロ−プは不要だと思っている。
現在『ふるさとの滝』と呼ばれている垂直部・水流を突破するラインのみが、人工的な手段を利用しなければ水流沿いに滝を突破できない『滝』であり、その他の『西山谷・コ−ス内』の、ほぼ殆どの滝は直登とは呼べないが、ほぼ滝内を逃げずに、幾分は左右の弱点箇所からの侵入も含めて86年には、全て登攀されている。それぞれの滝の完登者、初登者が誰なのかは、公的な記録が公表される機会が殆ど無かったので不明。80年代に私達が完全遡行を目指して、何度か入谷した時には数箇所の滝・核心部に残置ピトンが残されていたが、最近では過去に存在していた、それらの旧式・古いタイプの軟鉄製ピトンは1本も残されていなかった。

最近は、殆ど上られていないので終了点付近の堆積し出した浮石が危険なので、落石には充分な注意が必要。

2009年6月12日 懇意にしている(某・新聞社)の記者と遊びで、一ヶ月ぶりに、この西山谷に入渓。
今回は、トレ−ニングもだが、機会を作って渓流内の全ての『滝』を登れるように、支点の設置、整備を行ないたいと考えていたので、滝内の支点設置のポィント確認と岩質を確かめたかった。この谷での本格的な『滝』の登攀ラインに関しては30数年前に、ほぼ全ての滝をピトン使用で行った経験があったので、今回は特に直登が困難だと予想していた一つの滝でのトップロ−プでの試登を楽しんだ。最後のチヨック・スト−ン滝は左側が以前から、登られていた滝横・右の岩場はカムを使えば、安全に登れて、次ぎの仮題はチヨック・スト−ン直下の右だろう。今回は、先月は残置されていた滝右横の岩場の老朽化して、明らかに危なそうだった固定ロ−プが撤去されていた。ここまでの、数箇所の巻き道の残置ロ−プも激減しているように感じたが、鎖場や左右の尾根への迂回路的な、不明コ−スへと誘導しようとする、標識モドキの残テ−プは、以前と同じ様に無秩序に増えているようだ。
『西山谷』入渓地点は広河原を通過して、現在では遡行の始まりとなる最初の「砂防堰堤」を右側から巻き降りて、その次ぎの巻き道から、短く下った緩やかな流れに足を付けた地点からが、開始地点と考えて良いが、最近ではプログを含めた個人発信の情報の中で、あまりにも多くの『滝』に関しての、過去からの常識を間違えたり、何かと混同しているのか?地形的にも遡行の範疇からも考えられないような記述が多い。特に、下・写真の『滝』を西山谷・本流の『F1』と表記しているのは大きな間違い。本流筋とは別の、一種の斜面からの伏流水であり、この滝を登れば、上流に沢としての地形が存在しない事は明白。滝下を右に入れば、本流筋であることが判る筈なのに、何故?だか、この支流とも呼べない箇所を『F1』と表記したい方達が多い。
ちなみに、この滝を攀じると水流は脆い斜面に消えて、最終箇所は非常に脆く崩れやすい急斜面となって右に逃げるしかない。滝の落ち口から崩落、崩壊した岩石が堆積し出していて本来は通過は危険な箇所だ。
『西山谷』では、かなり多くの人が水流沿いの遡行を嫌うのか、本質的に滝の通過に対応できないのか、左右の巻き道が異常に増加中。現在でも、勝手に植林斜面に手を加えている痕跡が見受けられる。
2009年5月、6月の現地・体験から最上流域の登山者の通行は、下流部から上流範囲・手前までのハイカ−の混雑さ?入渓者の多さに比べて、格段に少ないもようで、巻き道などの踏み跡や、通過の痕跡は少なくなって来た。
2009年・現在、『西山谷』上流部では新たな『砂防堰堤・工事』が進んでいて、現場で工事関係者から直接、これからの工事の進行状況や、現状を聞く機会に得られた情報では、現在の経済状態では予定・計画通りの期間で全ての工事が進展、終了する訳では無いらしい。現2基の新設・堰堤に次いで新たに5基が次々に建設・設置されるので、最奥部の景観、環境や流下する水量に関しての変化は避けられそうもない。一般、登山者は最源流部に滅多に立ち入らず、殆どのハイカ−は尾根に入って終了している為、この奥部の状態を実際に目にする機会は殆ど無いようだ。
芦屋ロックガ−デンの『地獄谷』や、荒地山・周辺や『高座谷』での、犯罪行為と全く同じ塗料などでの『落書き行為』が、この『西山谷』や『大月地獄谷』渓流内や周辺の、一般登山道でも行われている。ひどい状況は、続いていて芦屋での問題と同じく、根本的な解決には法的な罰則や制裁を、犯人に処罰として行うしか無いのかも知れない。(下・写真)心情は理解するが・・・・ある意味、悪循環ではある。
Saturday, 13 June, 2009
2012年10月4日 遊び仲間のパタゴニア江坂店の岩崎さん、取材関係で仲良くなった産経新聞社・記者の甘利さん、同じく親子企画の逢山峡での沢登り取材の担当者Jcomの渡辺さん等を加えて、久しぶりに西山谷に残された課題の解決を目指して、下界と全く天候が違った小雨と霧の六甲山へ。何時もの様に、住宅地を抜けて『西山谷』に入渓した。『水量、多く快適なクライミングが楽しめた』
12年10月05日 金曜日
3年前に読売新聞社の里見記者と二人で、入渓した時に危惧していた通り、最後のチヨックスト−ン滝までの最も狭まった谷筋には伐採された立木、潅木がうず高く積もっていて、近い将来の砂防堰堤・工事の下準備が着々と進行していると感じた。今現在は、通行に特別な支障は無いが。。。。