奈良県 大峰山系の岩場No1
1990年代の前半頃から、全国情報の中でもクライマ−が、注目や興味を惹く情報が登場し出したが、記録的な価値が評価されて、関西以外からクライマ−が、この山域に訪れ出したのは意外と最近になってからだ。隣接する大台と同じく、降雨量が多く、標高的にも北アルプスに匹敵するような目だった山も無く、修験の山としての歴史や奥深い、緑の山々と言うイメ−ジが強く、アルパィン的な雰囲気やクライミング・エリアとしての歴史とも異なるという、これまでの情報から渓谷での大滝の記録を除けば、クライマ−に興味を持たれる環境は少ないと思われ続けて来た。70年代の後半時期から、噂やクチコミ情報の範疇ながら大氷瀑や連続した氷結渓流の話題が、ほんの少数のクライマ−の中で知られ出し、80年代に入って本格的な探査と挑戦の舞台となったのは、大普賢岳・周辺なのだが過去には戦前から弥山周辺で挑戦的な登山活等や、渓谷遡行の記録が見られているが、それらの貴重な記録情報は関西在住の70年〜80年代に活動していた現役のクライマ−の話題や知識、情報として語られる事は殆ど無くて、先輩達の残した探査後の次ぎの課題への、挑戦は惜しい事に随分と年数を経て再評価される事となってしまった。
岩壁のスケ−ルに関しても、内容に関しても80年代、以前の関西クライマ−も含めて過小評価、している事が多くて、実際に大台周辺の現在ならば正等に評価を受けて、開拓が開始されていたであろう幾つもの岩壁は、沢登り途中に見上げられて通り過ぎられるばかりで、極端にクライミングの課題としての評価や情報は固定化されていて、ごく一部のクライマ−以外は、渓谷側壁を別として、この山域でのクライミングの可能性を夢を持って語る事は無かった。

そういった意識面での変革は、アクセスが容易で岩壁の全体が車道上から容易に確認、クライマ−の注目を集めるだけのだけの条件を、幸いな事に有していた『柏木の岩場』の存在により、一気に変り始めた。

製作中Thursday, 07 May, 2009