10代の終わりに『北の辺境地』での、心豊かな生活と・旅・で学んだ私の生きる指針。

世界中の子供と犬には馬鹿な子は、いない

共に生きる力を持たない親か、馬鹿なパ−トナ−が、一緒に・いるだけだ。

私が思う『バリアフリ−』とは。国籍や人の力の差や障害も、肌の色や国籍に・宗教、男女の区別や、人と動物、大人と子供、それらの区別を超えた部分を求める・・

かなり、無茶で無理は承知で、見る『夢』だから楽しい。

お気に入りの『イタリア北部メロ−渓谷の村・唯一のコブロン

にて。マダムと一緒に。毎晩、飲みに通ったから・

(右)国は違えども、私の先輩。イタリアのアルパィン・ガイド

今は、山を降りて悠々自適の隠居・生活なんだろう。

共に、飲むワインの味は格別でありました。

『日本・登山体系』の執筆とかの縁や、涸沢での交友が様々に

各地のクライマ−と、つながっていた今とは、全く違う時代。
いい意味で、組織とは別の一人一人・個人が山やクライミングを
通して、コミュニケ−ションの世界を広げていた。

『我家にて』関西ボルダリング・ツア−で北山公園と堡塁岩へ
序でに、私の案内でマイ・エリアにも立ち寄って。岩崎さんも、
かって知ったる、私の家なので・くつろいでます。

ちなみに、右端の方は・かの「戸田」さんですよ。

アルパィン・クライミングの世界だから、翌日は・この同じベランダ
で、このスイスから来た、若いクライマ−達の危機を、私達は何も
なす術も無く・見ていた。氷河の落下・氷が壁から彼らを襲った。
死者が出なかったのが、見ていて不思議。明日は、我が身と・・

小さな村の祭りにて『天使とニラメッコ』

ベルドンにて

昔から?キャンプ場の夕食は交流の場

『雨のメロ−渓谷を一人で、トレッキング

登りで、二つの山小屋で呼び止められて

キリッシュ入りのカプチ−ノを・・下山・途中には、更に二つの小屋で誘われて、デミタス・カップで極上エスプレッソ軽く、コ−ヒ−から、始ってワインから、皆さん自慢の「地酒」が、出てくると・・・
自分のテントに帰りつけるか?かなり不安だ。後・二箇所でも同じ待遇なんだから・・・
ビバ・イタリァ−ノ。マサニ、ライフ・イズ・ビュ−ティフルで、ありますね。

やっと、一つの小屋前はデミタスだけで
御勘弁・願って。最後の小屋では・・・立ち話
モ・・なんだから・と・・(多分・そんな会話で)

もう、すっかり椅子に座って気のいいイタリア
人達に囲まれて、国際交流の飲み会。

私の得意?ジャンルの一つでも・あるので
能力を全開として、継ぎ足されるワインを飲み
干してしまった。

で。。。やはり、入山の時に、目立ってたので

オヤジさん、から自慢の美人姉妹も紹介され
て・渓谷に入って来た。二人目の日本人だ・
そうだから・目立つわな。ちなみに、一人目は
多分?マジック・マウンティン社の社長「国井」
さん?かな。

(この子とは、一夏・シャモニ−に買出し・散歩の度に、私に付いて来ては遊んで・くれた)

俗に言う・モップ犬ですね

もう、20歳ほど若ければ・・・ふふふ・と思う・なぁ〜

どこの国でも『山小屋』の雰囲気は他者との
距離を縮めてくれる。
シャモニ−の『ミッシェル家』には、長らく倉庫に私のキャンプ装備を保管して頂いた
何度目かの、再訪時には奥様とも、お会い出来た。この、町で肉屋さんと、言えば
ここでしょう。頼めば、ある程度は日本人の好きな薄切りもスライスしてくれます。
英国クライマ−の、特に地域ポリシ−の強いクライマ−であり、心優しきアルパィン・ガイド『ドン・ガルウェル氏』再会する、機会も得られずシャモニ−針峰で山に召された。
彼とは、再会時に話したい事が数多く、そして同じ『夢』だった事柄の、私が取り組み始めた『活動』の、報告も沢山・話したかった。完璧なベジタリアンの彼に、私の調理・作った和食と中華の、彼らの好みの野外料理も腕前を披露したかった。
私も含めて、最近では『家族・子供連れクライミング』
は、特に珍しい光景ではなくなった。

『スイス・グリムゼル』にて
親父に連れられ、クライミング。小さな子供が何度も
振り返って、微笑ましい。


私が英国に長期・滞在していた時に一番、回数的に多く
登りに通っていた南部の『岩場』では、孫娘を連れた老人
に近い、年齢のクライマ−や、乳母車を岩場・下まで押し
ながら、家族『総出』のピクニック感覚の家族クライマ−
等も、実際に数多く見ていた。

いいなぁ〜と、心底・一種の憧れで見ていた記憶が私に
は残っていて、今現在、それが実現している事は、とても
幸せな事なのだと、つねづね実感しています。
『ハイランド・ホスピタリティ−』が、私の人としての理想的な『基本姿勢』特に、山では。