80年代から利用されていた『武庫川のボルダ−』
(旧。国鉄)路線を利用時には発見・利用されていなかった『フリ−・フライト』メンバ−による発見・開拓のボルダ−。記録・公表時の、このル−フ状ボルダ−の名称は、確か『ツタンカ−メン』と呼ばれていた記憶がある。関西・各地のボルダ−と岩質もホ−ルド感触も違う、本格的ダイナミック・ム−ブが満喫できる、得難いボルダ−で、環境・交通そして内容とも超・御薦めボルダ−。

『武庫川の岩場』は、70年代には一般的に『新岩』がクライマ−に知られていたが、78年〜86年に連続的に新しい岩場とル−トが発見・開拓されていった。この『ツタンカ−メン』と命名された、ル−フ形状が特徴的な単一の『ボルダ−』も、1988年の『岩と雪・126号/CHRONICLE』で詳しく、紹介された80年代に本格的にフリ−化と・新規、発見・開拓されたクライミング対象そして、貴重なボルダリングの課題でもある。
JR『武田尾・駅』から、(旧・JR廃線跡)路線・軌道跡の快適なハイキング道を利用しても手軽にボルダリングを楽しめる。河原のボルダ−・エリアとしては、一部にランディングに支障のある露出した岩が、あるが全体に砂地の安定した岩場下で、高距も手頃で関西範囲では最も『課題・内容』を、含めて本格的なボルダリングが満喫できると、最近ではリピ−タ−も増加中。
この『ボルダ−』の、発見者は『三浦記章・氏』で、グル−プは『フリ−・フライト』『紫岳会の川内誠一・氏』
『龍谷大学・山岳部の原村雄大・氏』彼らが、最初にボルダリングの仮題として、この大岩に挑戦したので、最近、違った名称や情報が使用されているのは、やはり問題だと思われる。少し、過去の情報を調べれば、簡単に判明するだろうに、私達は、ボルダ−の存在を88年より以前に下流部からの左岸走破時に、気付いてはいたが『ボルダリングの課題』として、手を触れに再訪していなかった。、やはり最初に意識を持って持って手を触れたクライマ−の情熱と努力には、敬意を表したい。
過去の公開・情報なども精査・調査後に加筆予定
開拓者メンバ−が公表した1988年の公開・情報では、このボルダ−の名称を『ツタンカ−メン』として、現在・多くのボルダリング課題として広く、知られている5本のラインが紹介されている。それぞれのラインに当然だが『固有名称・ライン名』が付けられていて、個人・情報の範囲だが当時、彼らは周辺のボルダ−にも手を付けていたと確証できる。