六甲山の岩場『山頂・石切り場跡』 |
1960年〜1970年代の前半期に『神戸クライマ−』には、芦屋ロックガ−デンや堡塁岩・仁川渓谷の岩場と共に『六甲山の岩場』として、阪急沿線から手軽に利用できる練習場所として親しまれていて、1920年代から神戸の登山者には『六甲バットレス』の名称で知られていた。同時期に阪急「岡本」北側の小規模な岩場を『甲南もしくは、岡本『バットレス』と呼んでいた。 『六甲ケ−ブル建設』で必要だった資材調達も兼ねて、採掘されたと言われている『石切場・跡』の岩場は、六甲山・山頂からは位置的に少し、離れているのに『山頂・石切り場跡の岩場』と。呼ばれているのはケ−ブルや道路事情が整備される以前から『岩場』としてクライマ−が見ていて、利用していた岩場だったので『六甲山』稜線から、ほど近い場所の岩場として山頂名称を使用していたのかも知れない。神戸レスキュ−の活動が始動し始めた頃に、一番・最初の合同トレ−ニングが行われたのは『甲南バットレス』近くの、砂防堰堤であり、その後に、この『石切り場』も使用された。 80年代に活発化し出した『フリ−クライミングの新しい場』として、他の六甲山・範囲の岩場と比較して、この比較的・新規再生に適した位置・環境にあった岩場が、最近まで取り残されていたのには幾つかの理由があったのだが、最近では完全に特定のグル−プ利用の一種の『プライベ−ト・ゲレンデ?』の雰囲気で、昔とは全く違う状態に変化して、一部の人達にクライミング利用されている。 |
車道をアプロ−チとして利用していた頃の記憶を持つクライマ−は、今では殆どいないのだが、僅かな情報を頼りに、この岩場を訪れるクライマ−も最近は、いるようだが、車道通行で岩場に接近するのは、お薦め出来ない。岩場上に、かなり安定した登山道が存在していて、岩場・最上部のポィントと岩場・左側へ簡単に降りられる下降路も存在しているので、駐車場から僅かな時間で接近できる。ただし、この岩場を新規に整備したクライマ−達が、このアプロ−チの存在を隠したいらしく、未舗装・車道から入る登山道・入口を隠しているようなので、この辺りにも問題を感じてしまう。接近は容易だ。 |
個人的に、この岩場を利用する気持ちが起きない。 |
ここから登山道を利用して、岩場上、そして岩場取り付きへの下降路へ |
古くから六甲山の岩場でクライミングを楽しんで来たクライマ−、特に神戸の登山者・クライマ−には良く知られている岩場の一つだが、最近では特定の整備・開拓者が利用する、一種の隠された岩場となっているようだ。 |
問題のある『岩場』の一つだろう。
かって関西ヤマケイが精力的に活動していた期間に、中村君の調査により私を含めた神戸のクライマ−が組織枠を超えて、連合的な活動を開始した『レスキュ−コウベ』での初期の合同練習地としても、この岩場は利用されていて数少ない残っている情報の一部は『六甲山・関係の紹介記事』にも使用されている。この頃に、この岩場を実際に使用した想い出を持っているクライマ−は、現在では殆どクライミングから遠ざかり、この岩場に関しての発言や情報を発信してはいない。 管轄・所管、管理関係の問題は別として、役所側にも、この岩場の使用に問題があるという意識は存在。 |