SANKEI EXPRESS
関西・神戸支局で活躍中の『大西記者』と、機会を作って北アルプスや本格的な国内での山岳環境を
詳しく、紹介する新聞・紙面での企画を作り出して欲しいと話していたのは、今から4年〜5年も前の事
それが、現実化したのは本社に移って山の取材にも力が入り出した大西記者の尽力による。
今回は、北アルプスの中でも私が特に想い入れが強く、企画の最初には、ぜひにと願っていた南部範囲『穂高岳・涸沢を中心』とした本格的なアルパィン・ル−トを記者をガイドして広く活動した内容が紙面の中で、素晴らしい記事として掲載されます。(毎週・金曜日、発売)
まずは残雪期・定番ル−トの『北穂高岳・東稜ル−ト』から、北穂高岳・山頂へ
今年の連休・後半も天候は安定せず『北穂高・小屋』で一泊後、夜間の降雪で北穂高岳から涸沢岳への
主稜線もトレ−スは消えて誰一人、すれ違う登山者もいなかった。当然ながら稜線での先行者のトレ−スも無くて、数日前の踏み跡も降雪で消えていたので、とてもプリミティブな雰囲気の稜線での行動が楽しめた。例年とは違い、稜線コ−ス取りは信州側をトラバ−スする箇所が多かったが、連休・前半部で降った雨で雪質は悪く、取材装備の重さも苦労の一つ。
積雪期・残雪期の『涸沢岳』への最後の登り。核心部でもあり、今回も私がリ−ドで降雪で完全に埋まってしまった足場と鎖をアックス・カッティングで全て、掘り起こして後続の記者の労力を軽減させた。
この時期としては、珍しく出口・手前の急傾斜部が氷化してエビノシッポも大きく発達していた。
最後の出口は、少しばかり小さな雪庇を切り崩して、本格的な気分を体験して貰う。
SANKEI EXPRESES『5月11日・金』『3000メ−トルの風・16・17面』で使用された写真です。奥穂高岳への途中に、私が大西記者を撮影した一枚が紙面で使われました。
『奥穂高岳・山頂の祠』
涸沢小屋のベランダから、フォ−ルディング・タイプの衛星通信用アンテナとパソコンを接続して取材デ−タ−を、サンケイ新聞・本社に送信。凄い時代になったものだ
『涸沢小屋オ−ル・スタッフ(春)』最近の、小屋の平均年齢は若い。夕食にて
六甲山や大峰の取材・企画から、話しが進み二人で『穂高岳・北アルプス企画』へ。
実際の行動・取材活動の範囲やル−ト選定は、私が行っています。(下・写真)担当記者の大西正純・氏

(上・写真)穂高岳・初体験で季節は残雪期。稜線・山頂への登路が、いきなりアルパィン初級や入門用とは言われながらも、『東稜』そして、奥穂高岳への主稜線は厳冬期を思い出させる気象条件と先行者のトレ−スも無い条件と言うのは、かなりハ−ドな体験。今回は8・3mm/60mロ−プを使用して、ほぼ涸沢岳ピ−クまでスタカットで進んだ。一種の実践講習を穂高のル−トの中で、行い普通のカメラマンや登山者が撮影できない、危険なポィントでも記者が確保を頼って自由に写真を撮影できる態勢も確保した。
本格的な『アルパィン・クライミング』初体験だが、実践ル−トでの体験の中に講習プ゛ログラムを加えて、メキメキ技術的にも向上していて、これからが楽しみだ。各種・用具と装備の購入と使用に関しても、私が全面的なアドバイスと支援・協力を行い、ICI東京・神田店の優秀なスタッフも、協力してくれている。
神戸支局・勤務の頃には『裏六甲山の冬の風物・凍る滝』や、私が長年に渡って通い込み初登・開拓の記録も多くて、新しいエリアに関しては完全に私だけが精通しているようなアイス・エリアの取材を毎年・恒例的に受けていたので、山の話は頻繁に出ていて『北アルプス』方面での、新聞記事の質的な問題にも言及していた。遭難記事ばかりが目立つ、現在の新聞報道の中で、素晴らしさ・美しさ、そういった観点で記者も努力して欲しいと感じていたので、今回の特派記者へのガイドの話は『我が意を得たり・感覚』だった。
全面協力は当然
飛騨側からの強風は、延ばしたクライミングロ−プを空間に、軽く引き伸ばす状態だった。初体験者には厳しい
この笑顔・余裕である
相談を受けて『穂高岳を中心とした企画』で話しが進み
残雪期から、担当記者が長期期間、涸沢に常駐しての
これまでにない本格的な『山岳取材』への、取り組みに
かなり感激した。
単発的で、季節の中での見所や狭い範囲の写真取材
が多かったと感じていた、これまでの一般新聞社の国内
山岳での新聞・企画とは異なる内容にプロガイド参加で
協力できる機会が持てた事は幸せでした。

担当記者の装備面へのアドバイスや取材内容に関して
の相談や意見にも、担当ガイドとして協力しました。
2008年度の『特性カレンダ-』にも、この企画で撮影され
た数々の美しい写真が使用されました。