『ワイド・クラック』
一見『建築鋼材』かと、見間違う『H型』材質は軽量で、改造も容易だった私の愛用品の一つ
『韓国』での、アイス・クライミング後にソウルにて購入した『特大サイズのフレンズ・タイプ』
1980年代に、購入・使用していたクライマ−は関西では多かった。これらの特大サイズを使う、使えるワイドクラックの課題に挑戦する、クライマ−が少なかったので岩場で実際に見る機会は少なかった。
1960年〜『ワイド・クラック専用用具』としては、ドメゾン考案の『バイス・ロック』意外では個々のクライマ−が簡単に自作出来た『木製クサビ』程度しか、見受けられなかったので軽合金製に材質が変更となった、これら『ボング・タイプの、大型サイズのロック・ピトン』は、使える数少ないクライミング・ギア。

この大型ピトンの材質がクロモリ鋼だった頃には、重量的に非常に運搬に苦労していた。
軽合金に変ってから、利用範囲は広がったようたが、日本国内のクライミングでの使用例を見ない。
『ワイド・クラック』でのクライミングでは、もっぱら用具関係
特に、専用の『プロテクション・ギア』の話題ばかりが先行
する気配が濃くて、特殊なワイド・クラック系を攻略する為
の『フリ−・クライミング・テクニック』に関しての情報交換が
少ない。ア−ム・バ−やTスタック程度の技術は良く、知られ
ているが、更に進化した新しいワイド・クラックの為の技術や
複雑な応用・技術を詳しく、説明した情報は少ない。

まずは、技術そして用具。精神的な強さが要求される点も
重要だと言う、基本的な要素も重要だ。
『ヘキセン・タイプ』に一面を増やしたシモンの7角形チヨック
には、サイズの異なるチヨックを、スタッキングしてサイズ変更
を確実に行なえる、工夫が施されていた。ストッパ−・タイプで
利用されて来た『スタッキング』を、ヘキセントリック・タイプでも
使える構造面での改良・工夫で、チュ−ブ・タイプやビ−ム型
が出回るまでは、このシステムが数少ないワイド・クラック対応
チヨックの一つとして、使用頻度は高かった。
試行錯誤での使用トレ−ニングと、共に少しでも不安定なワイド・クラック内でのプロテクション使用を確実に
効かせる為に、チヨック自体に様々な改造を行なっていた。軽量化を計る為に、小さな『穴』を開けたり、横面に僅かでも摩擦抵抗を増やす為にと、ヤスリで刻み目を加えたり小さな工夫は、毎回クライミングから帰って来てからの作業と成った。

最後には全く違った、タイプのヘキセン・タイプのチヨックを中間パ−ツを加えて、組み合わせシステムで使用範囲のサイズを現場で拡張させる改造品を造ったり、建築資材やバイク・パ−ツを加工して、自作の『ワイド・クラック対応・用具』を作成したりもした。

特に、ジュラルミンの建築材は、加工が素人でも比較的、簡単で仲間・数人と費用を分担すれば、失敗作の無駄金も含めて、我慢できる成果を得られていた。
『サンド・スト−ン』で、嫌と言うほどワイド・クラックや外開きチムニ−で虐められて帰国した頃なので『堡塁』に、戻って来ても仲間達に私の興奮は伝わらなかった。ハンドとフィストが話題の中心であり、ようやく周囲がEBの性能の優秀さを理解して、類似品の入手が用意に成って来た『フォ−キンス』等を履き始めた頃だった。ホ−ム・ゲレンデの『仁川渓谷の岩場』で、人工・建造物の『水門』利用でチムニ−技術を練習する私は当時からも、周囲のクライマ−達からは奇異の目で見られて当然。

『摩天楼・下』に格好のクラックを発見してからは、三段も真珠も通過してクラックばかりを仲間を誘っては登っていた。冬季の『藤内壁』しか、知らなかった私が藤内に通い出したのも、この頃からで始めての中尾根は感激もの、体験。この頃の経験が後々・役に立ってくれた。
『ヨセミテ』でのクライミングを計画して、資料を収集・せっかくならば『岩雪』記録と当時の和訳・情報
以外の『本格的ビッグ・ウォ−ル・ル−ト』を狙おうと、少しずつ準備・ギア類を買い足しては(某)秘密の岩場で実際の使い方を数人と共に、練習していた頃の『ボング/ボンボン』類。
渡英・期間が長過ぎていたので、途中・先輩が北極圏・辺境地でのビッグ・ウォ−ル・クライミングに挑戦
の報を聞いた時には、心底・焦った?『海』をヒッチ・ハイクするのは、到底・不可能・・機会は巡って来ると
思いながら、わざわざ現地でアメリカ製品の『チュ−ブ・チヨック』を買ってしまう。

その後、使う事も少なくなり、収納・陳列場所にも邪魔となってトイレの天井・壁に、ぶら下がっている。
穂高の明神2・263m峰に数本のル−トを開拓している。最初の1本となる正面・南壁で木製のクサビを使用した、その頃は自作の木製クサビ程度しか使える物は無かったので、その後にボングやアングル確実で効きは抜群の『ピトン』やワイド・クラックで使える『チュ−ブ』を使い出して、あの頃あれば・・・
シュィナ−ド・オリジナルの『チュ−ブ・チヨック』元祖物である。ビ−ム・チヨックも愛用品、フルセット
Saturday, January 27, 2007
『YOSEMITE CLIMBING』 Excaliburでの『ボングと木片、スタッキング』
(下・資料) ルネ・ドメゾンが発案した回転式・拡張クラック器具。現在の様な洗練されたワイド・クラックク対応用具が無かった時代に、ごく一部の岩壁で使用されたらしい。岩に接する箇所には硬質ゴム?が取り付けられていたようだ、日本国内には僅かな見本品が入荷したのみで、実際に使用したというクライマ-を私は知らない。
『ワイルド・カントリ−社のフレンズ』の考案・発明者との、長い特許論争で『裁判決着』では、敗訴となり世界初の『機械式カム・チヨック』サイクロイド曲線を有効に活用した、4枚の独立カム構造を持つ『クラック用具』の生みの親としての、栄誉は失ったかに見えるクライマ−(少し、海外記録やアイスクライミングに興味があれば、誰でも知っている?)は、初期の単純な『バネ式カム』を単純化して、シンプルだが非常に、応用利用出来て使用者にクラックとの親密度を増す『素晴らしい用具/トライ・カム』を、造り出した。

単体で使用する、この種類の『チヨック』の中では、今までに登場して来た物の中で、最も性能的に優れた『チヨック』だと思える。
1972年に必要に迫られて材木屋さんの廃材置き場から、拾って来た木片や角材をカシンの白黒写真のカタログに出ていた『木製楔』を、唯一の見本として自作した不恰好な『楔/クサビ』が、私の最初の幅広クラック対応・用具。その後、英国で(旧)シュィナ−ド社の『チュ−ブ・チヨック』を購入して1974年か、75年頃から多種類の用具が、手軽に日本国内でも入手が可能になったので、幾つかの用具を購入、使用。
70年代の明神2.263m峰の正面壁や南壁での『ル−ト開拓』で、かなり積極的に使用した経験があった。特に、簡単?に安価に使えた自作の『木製クサビ』は、数本は岩場に残して来た。

(下・写真)1978年の穂高岳・明神2.263m峰の『正面壁』ル−ト開拓・初登時の初日のビバ−ク後のフイックスをユマ−リングしている写真。木製クサビとサレワのボングにアングル材を加工した、自家製の単純なピトンも携帯している。この『アングル・ピトン』は、結局この壁では使わなかった。
この登攀の記録は『岩と雪』の、記録速報で公表している。
Monday, 07 April, 2008
2008年4月『英国BMC』からの報告でイタリア・カンプ社の
パテント製造『Tricam』に構造上の欠陥が見つかった。
ウェ−ビング(スリング)連結・箇所の金属『ピン』とカム本体
の接合箇所に必要な強度が不足している、製品が存在する
との事なので、『Camp Traicam』使用者には注意が必要との事だ。

80年代に、小川山の『モアイ・クラック』で使用したのが最初
で、その後は鈴鹿の藤内壁や穂高で使用する機会が多かった用具なのだが、『元祖物』の日本国内・入荷期間は短い
一般的に使用者が多い筈の『カンプ/Camp社・製品』での
欠陥製品という報告には、気になる方達も多いだろう。
公表記録とは別の『試登ル−ト』後に、正面壁のバリエ−ション。少し後に入手使用した『フレンズ』等の用具が、この頃に使えていたら、自家製の『木製クサビ』等を使う必要は無かっただろう。