『関西・山と渓谷・ハイキング』 
ガイド同行取材にて芦屋ロック・ガ−デン
身体の小さな、子供達を転落・滑落の危険がある地形で安全に
遊びながら、楽しむ為に私が用意した『キッズ専用ハ−ネス』

御家族で、小さな子供達も連れて行きたいのだけど。
そんな依頼・希望だったので幼児サイズにも対応出来る『安全・確保』装備を事前に準備しておいた。

急な岩場も、滝も子供達は果敢に挑戦して登り切った。A懸沢からロック・ガ−デンに入り、お菓子タイムも程ほどに核心部の崩壊ロックも裏側の急峻な箇所を突破。
『地獄谷・渓流内コ−ス』を、誰でもが簡単に、容易に歩ける様にと考えてだろう。この10年ほどの間に滝・部分を巻いて登れる登山道が、幾つも掘り・作られていて、その開墾・整備作業は固定ロ−プの設置から、足場を刻み。滝横に梯子を立てかけ、植生は刈り取られる。少しばかり目に余る行為が増加。行為は、本人達は好意で行っていると推察しますが、自然破壊に近いと判断出来ます。誰でもが、簡単に・と考え出すと限度はありません。
90年代までは、比較的この谷筋を歩く、人達には暗黙の秩序や、古典的なコ−スを歩いていると言う感覚や、ある程度の山やコ−スそのものに対する、畏怖・尊敬に近い想いが胸の中に、秘められていたと思う。それは、ハイキングの延長線上の、歩行コ−スから自分が、一歩・より山の世界に近づき。古典派の山の世界に、自分が仲間入りし出したという喜びも含まれていたと思う。今は、そういった古臭い『感覚』をもって、この辺りを歩く人達は、限りなく減少した。
山頂ならば『登ったよ』の、言葉に嘘は少ない。しかしコ−ス全体ならば、そのコ−ス内容を、どの様に使って、利用して登っても『登ったよ』と言う、表現を使うのは本当は、本来のコ−ス以外を使用して登って表現するのは、ある意味でフェア−とは言えない。

以前まで、自然環境そのもの、自然の造形・天然の路岩を乗り越えていた、箇所を人工的に設置されて、技術的な要素も経験も、不要となった『梯子』やそれに類する、設置物を使って簡単に乗り越えたとすると、それは自分の能力や技術が上達した結果での成果とは呼べないと思う。

そういった、過去には絶対に、存在していなかった『人工的な設置物』が最近の、低中山のコ−スには急激に増えている。

上りやすくする、誰にでも、簡単に登れる環境を提供と考えているのならば、それは『山登りの価値』や、本質的な問題を何も、考慮・視野に受け入れない非常に身勝手な、思い込みと言わざるを得ない『行為』です。

本人達は『好意』の、つもりなのが、この問題の最大の問題かも知れない。自然は、あるがまま・その状態を利用する側の登山者が、、無用・無駄に自然環境を改造・変形させる行為は、基本的には山でのコ−ス範囲では間違い。