六甲山の岩場『荒地山ボルダ−・エリア』奥高座・上流の後継ボルダ−地 |
六甲山の代表的で有名な『ハイキング・コ−ス』芦屋ロック・ガ−デン・中央・尾根から、この岩場が点在する『荒地山』は、指呼の距離であり、古くからクライマ−には知られていた巨岩エリア。 |
『RCC=ロック・クライミング・クラブ』を創設した初期の クライマ−達が残してくれた、幾つもの古典・文献の中 にも、この『荒地山・範囲』の岩場の報告や記録が残って いて、岩梯子・上部の『岩屋根』下でのビバ−クは後に 後継クライマ−達も、同じ体験を楽しんでいる。 花崗岩での単純な『ボルト打ち・作業』でクライミングを 行ない出したのは、それほど古い時代ではなくて山岳会 の練習企画としても利用されていた「証拠」は残っている 現在は『ボルダリング』エリアとして、西宮市の丘陵地帯 に点在している『北山公園エリア』と共に六甲山・範囲で 良く知られたクライミングの場となっている。 『北山公園』や京都の『笠置』と、違って『荒地山エリア』 はアプロ−チにハイキング・やや長い歩きが要求される ことから、年々・このエリアを訪れるクライマ−は減少。 芦屋市『阪急・芦屋駅』から、歩き始めて高座谷を詰めて 『キヤッスル・ウォ−ル』横から、岩梯子を経由して到達 するか、ロック・ガ−デン入口・手前を住宅地から尾根に 上がって、直接『岩梯子』に向うかは好みの選択。 最近では、もっとも短時間で『山頂直下のボルダ−』を 楽しみに来る場合は、北側のゴルフ場・ゲ−ト手前の車道 に車を駐車して、裏道・経由で上がって来るクライマ−も 多くなっていて、今は私設?小屋前からのコ−ス利用で 荒地山へが最短コ−ス。 『ゴルフ場』への車道は一部、狭い箇所が在り大型車との すれ違いに注意。たまに工事車両が通る。基本的には駐車 禁止の『ゴルフ場利用者の為の車道』 ゴルフ場ゲ−ト前には決して、駐車しない事。 |
『フレ−ク・ハング』は初期の設定課題の一つで スタ−トしてから、上部をビッグ・ボルダ−の課題として人気が高い『爬虫類のカンテ』と続けるのが面白い |
『ビッグ・ボルダ−』は対岸のロック・ガ−デン中央稜ハイキング 道からも良く見えて、荒地山・範囲で最も大きな『ボルダ−』とし て、クライマ−以外のハイカ−にも、名前は知られていないが目立 ち、見られて来た岩場の一つ。 左端のチムニ−横のラインは『鯨の頭』ホェ−ル・ヘッド? 小さな二段のハングが「鯨の頭」の名称理由で、両腕で抱きかか えるスタイルで突破する。5・10b/2・5m 短いが初期の「設定課題」として、爬虫類のカンテと共に人気が 高かったライン。着地点の立木は、伐採された。 ビック・ボルダ−・チムニ− 『チムニ−』一時期・羊歯の密生で清掃に苦労した課題。 5・8/3mの短い課題、 『ビック・ボルダ−・くの字クラック』同じ名称のル−トが、かっては 『仁川渓谷・真珠岩』にも存在していて、現在は岩壁そのものが 崩落・崩壊してル−トは消滅。 ビック・ボルダ−に明瞭に走る『容易なクラック』として初心者でも 楽しめることから、登る人が多い。 左端からクラック縁をホ−ルドに快適な「ハンド・トラバ−ス」縦に クラックの向きが変った箇所から、ワイド・サイズのクラックを登る フェ−ス面も使えて、快適。 5・6/8m |
『ビッグ・ボルダ−』クラック・サイズの変化に対応して各種 チヨック・プロテクションの技術を学ぶのに、適したラインだ。 難度も低いボルダ−課題だったので、小さなリ−ド練習岩 としても使われている。 縦クラック・右側のフェ−ス面と右端のカンテ周辺は幾つも 課題が設定できて、トップ・ロ−プでの挑戦対象として多く のクライマ−が、ライン設定に挑戦しているが成功例を、まだ 聞いていない。カンテに関しては数種類の登り方が初期設定 クライマ−により報告されていて、ポピュラ−なライン。 |
初めての訪問者でも、比較的・場所が判りやすく傾斜も、それほど強くないクラックの課題は入門者レベルから利用しやすい。着地ポィントは悪い部類に属していて、震災後にボルダ−そのものに被害が大きくて現在は、利用されていないものもある。 |
『ハンドジャム・クラック』関西の岩場にも同じクラックを登る、写真が出ている。快適なクラック |
『情報公表』以前の頃の写真 |
『荒地山』のボルダ−として一般に利用されている『ボルダ−』は、一般ハイキング道『岩梯子』周辺の 左側から、山頂・直下の展望の良い『サンデ−モ−ニング』までの範囲に、点在している岩を指して呼ぶ 事が多いが、実際に1980年代に発見と整備・開拓が積極的に行われ出した頃には、範囲的に今よりも 広い『エリア範囲』が、利用されていた。2008年から、奥部へのアプロ−チ道の利用者も増えていると判断出来る。 探査・発見の楽しさには、面倒が付きまとうのと、基本的に「歩くのが好きではない」現代風シテイ派 クライマ−には、『藪コギ』労力は、問題外なのかも知れない。時間の経過と共に、藪と潅木・羊歯類に覆われアプロ−チ道も、消え出した初期の設定課題が残っている『ボルダ−』を、知るクライマ−も激減し始めた。個人的には、勿体無いと思ってしまう |
下草も整備・清掃されて当時としては 困難なクラック課題として、メインの岩 から外れていたが、再放・訪問者の 多かった『ボルダ−』 最近では、この辺りの『課題』まで足 を向けて、入って来るボルダ−も少な く、なっている。 場所が判り難いと、聞くが情報の中 の簡略図で充分に理解出来る。 石梯子の下から、ブラックフェ−ス方面 への古い、アプロ−チ道は徐々に使用 する人達が増えているようで、無用な 進行・表示や落書き同然のペィントや 立木に残置される標識テ−プ類も、 回収を怠ると、急激に増加してしまう。 以前は隠れた場所で、存在が知られ て、いなかった某・学校の記念板も 目にした登山者が多くなって来た。 |
『プロペラ岩』や『ブラック・フェ−ス』を目標の目安として、奥高座からの接近で 『荒地山』周辺の中でも、忘れられた多くの『ボルダ−』を楽しめます。 アプロ−チの短縮にも、方法が在り。それほど苦労しなくとも少ない情報からも ヒントは得られるはずで、探す楽しみも味わえるでしょう。 新規開拓は可能ですが、殆ど80年代に誰かが手を触れている岩場ばかりで 初挑戦という、機会が得られる課題は非常に少ない。一見して、未開拓・誰も 触れていないと感じる。大岩でも空白期が20年間〜もしくは、 それ以上の時間が経ているのですから、注意深く情報を調べる必要 があるでしょう過去の記録を無視すれば、自己満足の世界には、浸れますが。 |
古タイヤを落としての『確保練習』今時の、若いクライマ− には、体験者は少ない筈。 何個も残されていた『練習用タイヤ』も、誰かが斜面に転 がしたのか、最近では岩上には残されていない。 草と土に、覆われてボルダ−下に埋まり出した。 残置ボルト類も、古いタイプの物は何者かが叩き折って 無残な現状。最も新しい『電動ドリル使用』で設置されたと 思われる『ペッツルのロング・ライフ』や他ハンガ−・ボルト の多くも、同じ様に誰かがハンマ−で叩き潰している。 回収が困難だったのか、ハンガ−箇所を強引に叩いてい カラビナを、かけれない様な作為を感じるが・・・ 意味は不明だ。 トップ・ロ−プ拒否・否定者の仕業かも知れないし、ただの 狂信的なクライマ−や、他のクライマ−への嫌がらせ、現代 的な『狂い者』の行為なのかも知れないが、見るたびに暗い 気分になるのは仕方が無い。 一端、無理に叩き曲げられたボルト・ハンガ−部分を再度 強制的に元の状態に、戻すのは更に強度低下を引き起こす 可能性が、高いのでスリング使用で利用しておきたい。 |
南側に面していて、冬場でも風の無い日には問題なく遊べる。街並みを俯瞰しての展望も良くて、快適。 |
『おはよう朝日です』での、タレントさんガイドでのテレビ映像用の現場ロケ 『サンデ−モ−ニング』下の、岩場の上でチゲ鍋を食す、周囲にいたハイカ−の皆さんにも配りました この辺りを『TV企画』でも、よく使いますがボルダリング映像が紹介される、機会は少ないですね。 |
1920年代から現代的な、フリ−クライミング思想の課題として、挑戦されていた岩場群 |
開拓的な要素が、多分に残っていた80年代には、問題視されたり他のハイカ−や地域内の管理行政から文句を言われるような、行動や行為が表面化する事などは、全く無かったが90年代の後半頃から、幾つか地域住民や長く、この山域を楽しんでいる登山者・ハイキング愛好家から苦情が多くなり出し、兵庫県の営林署・管轄「神戸市」や不審火に関する注目から『消防署・関係』からも、クライマ−、ボルダ−を利用しているボルダラ−に疑惑の視線が向けられるようになっている。特に山火事に関しては、長年に渡って注意している山域で、山中なのだがゴルフ場・施設と共に一般住宅にも隣接した山地なので『山火事』には、かなり厳しい監視体制と・防御態勢が設けられているようで、一般の登山者やハイカ−が、まず立ち入らないような『荒地山・東西側斜面』での不審火に関して、クライミングと現在の環境を知っている地元ハイカ−からは灘警察署・所轄の消防機関に注意して欲しいとの意見書や口答での依頼まで、寄せられている。 ほぼ同一地域として一般市民にも知られている『芦屋ロックガ−デン』では、不審者・情報の警察への通報や不法投棄、特に飼い猫の山中への放棄が、長年に渡って数多く報告されていて過去にはクライマ−社会に衝撃的な事件だった(某・大阪のクライマ−)による、傷害暴行・窃盗事件も覚えられていて、クライミング・登山者には信じられないほどの衝撃的な事件の場としての記憶が強い。クライマ−間での揉め事やキャンプ地での深夜の乱闘騒ぎも、地元関係者は覚えている。 |
手軽な自然環境の『場』として知られていてハイキング適地、各・六甲山のハイキング道の著名なコ−ス。そしてクライマ−にも大正末期のRCC活動拠点、様々に歴史の中でも、現在でも多くの人達が訪れる山域の荒地山・周辺は同じ六甲山・範囲の中で最も不法地帯だとも言われ出した。これほど多くの行政側からの注意看板が乱立している山頂周辺と言うのも目にしない。不法伐採『立木や樹木』の伐採、切り倒しが山頂や尾根からの景観を確保したいからという身勝手な理由から引き起こされているのだろうと言う、現場での感想は外れていそうに無い。ボルダ−・エリア範囲での取り付きやアプロ−チ範囲での、立木の伐採も90年代・以降からの現象で、ある場所では県の調査を受けてしまっている。 |
90年代の後半に、大阪のOCS『林君達』が、荒地山・上部のボルダ−各所の終了点に残置(設置)した、当時としては最も高品質で、信頼度の高かったペッルの「ロング・ライフ」=アンカ−・ボルト を、かなり大量に整備していたのだが、2002年頃か、もしくは、その前後に北山問題の影響を強く受けたであろう、クライマ−に、回収されずに無残にハンガ−部のみをハンマ−で、叩き曲げられてしまった。 |
2008年〜2009年 荒地山・山頂から尾根の範囲で、新たに地名表記の看板類が新設・設置されています。
震災後から、来訪者が激減していた荒地山ボルダ−・エリアに以前の様に、クライマ−の姿を頻繁に見るようになったのは2005年頃からで、探査・開拓の可能性が残っている事に気がつきはじめたボルダラ−が、多分?地元で増え出したのだと思われる。山頂近くのボルダ-間は、徐々に踏み後も増え出して、整備の手が加えられた痕跡も増加中。2009年、一般道が使える東面や高座谷・最奥部にも視線が向き始めている。 |
『キャッスル・ウォ−ル』は、非常に名の知られた六甲山の岩場の代表格ですが、この岩場の近くに存在していながら『ブラック・フェ−ス』は、以前から名称や場所が広く知られていたと言う岩場ではありませんでした。昭和の世代のクライマ−や、この周辺の愛好家には親しみを持って利用されていた岩場でしたが『ゲ−ト・ロック』と同じく、岩場の難度が低いと言う部分と、アプロ−チが長い。それらの理由で私達が最初に、訪れ出した70年代の前半期には、他のクライマ−出会う事も殆ど無くて、岩場としては、忘れられ出した感がありました。『プロペラ岩』や『城砦ロック』とも称されていた奥高座谷から枝分かれした、小さな支流・入口の目立つ岩場や、震災以前にも不思議な組み合わせ方で『積み重なっていたボルダー』や、甲南とは別の『最も古い遭難・記念台』や、RCC時代の先輩達が、荒地山で使っていたのと、殆ど形状も大きさも似通っていた、あの快適な岩屋根ボルダ−も、今では手を触れに来るクライマ−も完全に途絶えたり、存在が失われて、見る機会が永久に消えてしまった。 |
登山道の新設?新規・整備や開拓?『六甲山』の中でも、風吹岩〜荒地山への分技地点=ゴルフ場・ゲ−ト付近〜荒地山・山頂、この両方の尾根に挟まれた、谷筋の中には異常な状態でコ−スが重複し、交差する状態に成り出している。震災・以前から、バイパス・コ−スと呼ばれる、小さな尾根と、沢を通過する登山道は存在していたが、現在の様に古くから残された登山道を利用しながら、幾つも別に分かれたコ−スが増え出したのは、驚くほど最近になってからで、今・現在も新しく斜面に手を加えている痕跡を見受ける。 |
『荒地山ボルダ−・エリア』では、ボルダ−でのトップロ−プ拒否者?達が、ボルダ−・トップ(支点)への破壊作業やハンガ−類や、古い時代の残置支点の撤去を、しつこく今でも続けていて、チッピングも増加中。。。。 |
『迷いの山頂』と言う、ありがたくない名称の原因は、この荒地山・山頂に新たに設置された『概略図・表示』の責任でもある。ハイカ−が地図との比較で、最も間違い易く『表示概略図』と、見比べて混乱し、道間違いや方向を誤る元凶とも言えるのだが、設置者を含めて、良くない状況を理解しているとは思えない。 『荒地山・山頂から』黒岩・経由で、更に道迷いが多発している谷に誘導したいとしか思えない、この山頂部に設置された『概略図』が、多くのハイカ−を迷わせているのは確かだ。 |
昭和の時代のクライマ−達が、過去の開拓者達から継承して利用していた、このエリアでは古い岩場の固有名称を無視して、勝手に岩場に名前を付けるハイカ−が最近は多過ぎる。 |