フランス・ゼクラン山群『ディボナ針峰・南壁』
AIGUILL DIBONA fase SUD
『Directe Madier』
マディエ・ダイレクト・ル−ト

『Voie des Savoyards』
サボアイヤ−・ル−ト

AIGUILL DIBONA 3130m
『南壁・最新フリ−・ル−ト1本』

2本の古典ル−トから、山頂へ
そして、下部のスラブ壁での快適
フリ−クライミングとソレイユ小屋
近くの、ボルダ−で楽しんだ。
小さな、集落から山腹を巻き上がる
山路を、氷河圏谷へ渓流に沿って
登って行くと、狭い渓谷から抜け出て
『天空を指すが如く、流麗・端正な姿』
を表し、憧れ夢見ていた世界を見上げ
られる。アプロ−チから、クライマ−の
希望や喜びに、合致した岩のパラダイス。
『一目惚れ』長年、この針峰、天を指すが如くの流麗・端麗な姿の『クライミング』の、場に足を踏み入れ。岩肌に手を触れて、憧れていた山頂・ピ−クに立つ喜びを満喫したかった。82年の個人ガイドで渡欧時に、スイスの本屋で、何気なく手にして初めて見た『ディボナ針峰』の、写真から来シ−ズンには、と思い描きながら30歳代も過ぎてしまい、2度の具体的な実行プランが同伴、予定者の都合で毎回、直前になって中止。

99年の渡欧は、やはり前年にガイド希望者の御夫婦と共に、希望に夢も加えて短期集中クライミング・ツア−の予定が、私が北海道に滞在中に短い電話での急遽・中止の報で断念。さすがに、仕事を待っていても長年の計画・希望は適う可能性は低い。それならば、長期・これまでに登りたかったエリア&ル−トで鬱積分の解消を図って、クライミング三昧ツア−を楽しもうと、ディボナ針峰も当然プランの重要・項目に加えて、スイスへ。グリムゼル渓谷・定番のシャモニ−・モンブラン山群のピオラ・ル−トの数々。3度目の正直に期待を込めてのアンベルゼ周辺。更にイタリアのメロ−渓谷から、ドロミテそして南仏でのクライミングから、地中海カランクへと旅は続けた。ディボナは中盤戦の、とっておきプラン日程。新旧3本のル−トを楽しみ、山頂を2回・踏んで大満足で次ぎの、再訪を予感して楽しく下山。
(右・写真)
1967年にPシャプト・Bウィンスによって初登された古典的な
Y級フリ−クライミング・ル−トとして著名。

核心部のハング帯、下をトラバ−スするピッチ。後続には最後の
トラバ−ス部分が、左下へと向うので少し緊張する。
支点類は充分に、残置されているがトラバ−ス後のハングの突破
後のロ−プの流れに注意が必要なピッチ。バリエ−ションは、この
写真、後続者の少し左側のハングの弱点からダイレクトにハング
を突破して、サボアイヤ−・ル−トに合流する。
レビュファ−著書の『ゼクラン山群100ル−ト』選出の番号では
No73に設定されている南壁サボアイヤ−ル−トとマディエ
ダイレクト・ル−ト。
記述は、こう続く。
最も素晴らしいル−トは、東壁ダイレクト、西壁ダイレクト、南壁の
ベルテ、マディエ・ダイレクト・ル−ト、ザボワイヤ−−トル・ル−トの
諸ル−トだ。サボワイヤ−・ル−トは、まさに素晴らしいル−ド(X級)
ル−トだ。しかし他の多くのル−トのように、フリ−クライムで開拓
された、幾つかの箇所に無用のピトンが残置されていることによって
いくぶん損なわれている。マディエのダイレクト・ル−ト(X級下)
は、サボワィヤ−ル・ル−トよりも、いくぶん厳しさと登攀そのものの
素晴らしさが劣るが、この針峰の美しさに、ふさわしい模範的なル−ト
である。ベルテ・ル−ト(W級上)は、それ自身すばらしいル−トで
他のル−トも登りに、戻って来たいという気持ちを起こさせる逸品だ。
これらの登攀は、感嘆と、気持ちの良いレクレ−ションの一時を与えてくれる。
『ドロミテ』や『カイザ−山群』等でも、体験する20年代〜60年代の
モダン・クラシック・ル−トで特徴的に、現れる事の多いハング帯や
顕著なル−フや巨大なオ−バ−ハング直下をエイド・クライミングに
頼らずに、当時の用具のみでフリ−で突破する、多くは印象的で
かつ、論理的な岩場の弱点を選ぶ、トラバ−ス・ラインには安易な
ダイレクト・ル−トでのボルト連打とは、全く違った感動を味わえる。
古いタイプの軟鋼ピトンから、下り気味のトラバ−スを開始し出す時
に、感じる古典派クライマ−達の、勇気や意思の強さを、僅かながらも
感じる。高粘着ラバ−・テクノロジ−も無ければ、チヨックやカムの存在恩恵も受けずに、リ−ドで未知のピッチに挑んだ、彼らの息づかいや興奮や恐怖を、思えば私達のクライミングはレビュファ−の著述通り一種の岩壁でのレクレ−ション程度だ。
(右・写真)印象的なハング帯・直下をクラックのピッチから続けて
トラバ−スでハング左端の、弱点から抜けてフェ−スに入り、確保。
次は、南壁でも特徴的な凹角が遠くからも確認できる岩壁に入って
上部壁を目指す。
(トラバ−ス部分が、当時のY級ラインとして有名)ただし、当時の装備特に、履物を考慮すれば私達の様に最新とは、言えないまでも近代的なクライミング・シュ−ズにカムも使用しての、グレ−ド基準とは違う。
上部・壁へ、あと少し登れば区分的には『肩』の位置だと思われる箇所へのピッチで、下で確保するパ−トナ−から、先行パ−ティ−は左上に抜け出て行ったと声がかかる。右に出て、快適そうなジェ−ドルに入ろうとしていた私だが、先行者が抜けていった、と言われると別に
その指示を、無視してル−トを知っている訳でもないのに右に出る必要
も感じずに、左へ小さなハング目指して直上してしまった。
プロテクションの取れない、何かベルジェ−ルの最終・岩壁部を想い起
こす干からびたイワタケが、張り付いたような黒い壁を、恐々と登る。
プロテクションも取れずに、小ハングも突破してから失敗の予感は確実と、なったが時すでに遅く、クライミングダウンの可能性は、かなりヤバイ仕方なく、どこかで右に戻れるだろうと上り続けたが、期待は見事に裏切られて、南壁の雰囲気とは違った左側の垂直壁に続く、唯一のバンド部しか、上部への選択肢は残されていなかった。

まあ。焦っても仕方ないので、この不確実なラインへと導くバンドから
左へ、更に悪い雰囲気の壁に入り、ピナクルにスリング、チヨックを
数個セットして後続を確保して、周囲を観察。
私と同じ様に正規ル−トから、左に入り過ぎたクライマ−は多いのか
戻る事も、上部へクライミング続行を諦めたのか小さなピナクルや
岩角に下降・残置用だろうと見られる、スリング類が数箇所・残され
ていて、下降敗退が、ほんの少し脳裏をよぎったがバンドは比較的
明瞭で、途絶えた箇所からの上部壁は節理の発達した、明るい岩壁
に見えたので、再びル−ト・ミスを侵した私が責任を取ってリ−ドで
上部壁へ向けてスタ−ト。最初のバンドは下部はカブリ気味の暗い壁
で頭を抑えられた、あまり気分もプロテクションも良くない間違った意味を充分に、反省させられるクライミング。明るい色調の、変った岩場
下に出て、閉じたタイプのフレ−ク・クラックにカムを、噛ませて直上
見かけは、恐ろしく満足な墜落に耐えれそうなプロテクションは乏しい
壁だが、意外と落ち着いて困難な箇所も突破。小豆島・拇岳の西壁
や百丈岩から悪い系・ピッチの経験を積んでいる私なので、この手の
壁での、誤魔化しクライミングは慣れたものだ。

今は、とっておき「エイリアン」も使える。
ロ−プ一杯に伸ばして、この間違えてしまった3ピッチ分の距離は
取り戻せて、正規の南壁からの岩稜に続く快適なピッチに戻れた。
『サボアイヤ−・ル−ト』は、特徴的に続くオ−バ−ハング帯を抜けると、概ね問題となる困難なピッチも無く、下部にすそ広がりで岩壁が
形成されるのとは逆に、針峰特有のピ−クに向って急激に岩場が狭く
なり、南壁・最上部へと緩い岩溝と岩棚、大まかな岩場へと続いて最後はマディエ・ル−トと違って、針峰の頂上には左からスカイラインとして岩稜上から抜け出ていく。岩は節理と大まかな岩片で、登攀は容易
で、山頂への最後のピッチも快適。

西壁側の傾斜は強く、針峰のピ−クからの景観は、特に南側に広がる周囲に衛星峰を見て、太陽の方向に顔を向けての確保は充実の一時。下降は裏側(北側)に、細い岩稜と岩峰を見て、大まかな岩場を適当にクライムダウンを交えて、1回のラッペルでギヤップに降り立ち
バンドの走る、岩場から平坦な場所まで、それほど困難な箇所も無くスム−ズに移動。

ここから、残雪が所々・残っている箇所を適当に
岩場のギヤップに入って、小屋に続くトレ−ルまで優しい箇所を選びながら下降を続けるが、初回の下降時に晴天だったのと違って、2回目の山頂からの下降時には、薄くガスも出て来て、これが地図も持たず
目印も知らずに、ホワイト・アウト状態だと少しばかり苦労する箇所も、ありそうだ。氷河地形の名残の、岩斜面もシ−ズン初期には豊富な残雪で埋まっていそうだし、距離から考えてクライミング・シュ−ズで気楽に小屋に戻れる範囲では、無さそうだ。
岩稜上のギヤップには、一般トレッキング・トレ−ル用の標識は設置
されている。ただし、日本の山岳条件と違い初期の降雪は早い。
ゼクラン山群の山々に、点在している『山小屋』
の中でも、『ソレィユ小屋』はクライマ−以外の
トレッカ−達にも人気が高い。
ちょうど、日本の北アルプス穂高岳『涸沢小屋』
や、八ケ岳の『赤岳鉱泉・小屋』を連想さす様な
懐かしさや、親しみを私は感じていた。

小屋名の「ソレィユ」は仏語の太陽を表し。
その名前の通りに、背後を針峰ディボナが控え
た小屋は、世界中・探してもクライマ−の望む
環境としては、これ以上は望むべきも無い位置
環境。氷河で削られた圏谷が、小屋下に広がっ
ていて、開放感・明るさは他には無い雰囲気と
落ち着きを持っている。
一見、殺風景な石積み小屋だが、外見と違っ
て、このタイプの建物でも内部はウッディ−で
窓から差し込む、太陽光は良い位置に工夫され
ていて、ソ−ラ−パネルの設置も近代的な現代
の小屋としての、機能面を表している。

小屋内部の一階は、どこの「山小屋」でも同じく
食堂と休憩所として利用されていて、食事も
モンブラン山群の小屋で、提供されるのと同じ
レベルの内容。地域差が楽しめるのも日本とは
異なる、食文化の違いでゼクラン山群の山小屋
でも、サボア(モンブラン)地域とは違った、味が
楽しめる。デザ−トにチ−ズといった習慣に慣れ
て、いる訳では無いが味の違いを楽しむ余裕は
ある。夏のシ−ズンも、終わりかけた頃に上がっ
て来て、地元のクライマ−やトレッカ−達と違い
連日・宿泊で毎日クライミングに出て行っては
喜びを顔に、出して小屋に戻る私は、小屋の主人
から、見て面白かったと思う。

どこの国でも、同じだが連泊・宿泊者は目立つ。
そして、この山域では、多分?珍しいであろう
東洋人は、更に彼らの興味を引いたようだ。
『郷に入れば・・・』の例え、通り。
せっかくの海外クライミングでもあり
『山小屋』の食事には、その地域・国の食事
でも、家庭的な感覚が多い。楽しみは満喫
したいので、レ−ション・パックだけは予備を
含めて、かなり大量に荷上げして来たが食事
のメインは、小屋からの提供を満喫。

不便の無い、快適な環境で毎日のクライミング
は、肉体的な休養が充分に取れて快適。

個人的には2週間・程度の日程で周辺への
トレッキングを含めて、遊びに再訪したい小屋
だ。小屋・裏のボルダリングの課題にも興味
を引かれて少し遊んだが、やはり1本ル−トを
拓きに来たいと言うのが本音。
『デイボナ南壁』 私達の最初のクライミングは、1937年に
初登されたクラシック・ル−トから、その後に開拓されて頂上
までのラインに付け加えられた2本のバリエ−ション・ラインを
加えて山頂ピ−クに抜け出る、少しル−ト選びに苦労する課題
を選んでみた。下部は斜めの大ジェ−ドルからトンネルを抜ける
特徴的なチムニ−。マデイエ・クラックでハングを突破後に右へ
垂直のクラックに移動して、ボエル・ル−トなのか?更に右手の
ワイド・クラックから、ランナウト覚悟のハング突破で岩稜部に
戻ったようで、上部は正規ボエルのラインからピ−クに抜け出た。
念の為に、持参したキャメロットが役立った。

感覚的には北穂高岳・滝谷のド−ム西壁の新フリ−ル−トを3本
つなげて登攀して、快適度が3倍ぐらい。高度感は抜群
日本で唯一・翻訳されている「ガイド・ブック」はレビュファ−著書のみで、記述されている古典ル−ト以外に90年以降から開拓された、フリ−ル−トがクラシックなラインの中に、重複したり交差する、新しいル−トも数多いようで中間部・周辺の右壁は特徴的な大ジェ−ドルとは別種のクライミングが楽しめた。
ボルト・ル−トでは無くて、プロテクションは殆どチヨック類で対処でき、1ピッチだけ手持ちのギアでは満足な支点を取れなかった『ワイド・クラックからハング』部分で少し根性が必要だった、以外は快適と断言できるピッチが
連続していて、浮石やブッシュ等は皆無。楽しい
明るい色調の『花崗岩』はフリ−クションも良く、快適な岩壁。クラシック・ル−トの不要・無用な残置
ピトンは整備されたと聞いている。チヨック類の効きが良くて、安心してクライミングが楽しめた。
2本目は、当然この南壁に来たならば誰でもが登りたいと思う『サボワイヤ−ル−ト』に取り付く。初登は1967年だから古典ル−トと呼ぶには、少しばかり新しいがクラシック・ル−トとしての知名度は高く、ル−ト内容の高さと巧みな岩壁上でのクライミング・ル−トは論理的で時代に先駆けた『フリ−クライミング』として、これは登っておかなければと思わせるル−トの1本。私は、こういったル−トの歴史的、背景とかに弱い。
(下・写真)先行パ−ティ−が2ピッチ上部で、顕著なハング帯を突破するバリェ−ション・ラインの核心部に入って行く、ところを下部クラックを出た、テラスから撮影。
『山頂・ピ−ク』は、情熱の発露・熱狂や僅かな狂気もしく
は純粋な登攀欲・子供じみた遊び・そして何よりも達成感
と充実感の最終地点。人により、山頂を後にして安全な
平地に立ってから、満足感の最高潮を感じるという人も
いるが、クライマ−には『ピ−ク』は、他人には理解出来ない
一つの、目標であったり聖域である場合も、在り得る。
岩壁までのアクセス情報・ル−ト取り付までのアプロ−チの
詳細な案内・ガイド文は、実は多くの人達に喜ばれるものだ
逆に、喜びの頂点に、最も近い貴重な『場所』を事前に詳しく
知ってしまうのも、惜しまれるし、嫌だと思う人もいると思う。
実際、私もそういった部類なので「デイボナ針峰」ピ−クの
秘密は、紹介しない。

登った人だけが景観と共に充実の一時
満足感と共に、楽しめば良いでしょう。
本格的な『南壁でのクライミング』でしか、山頂に立てない訳
ではなく、この魅惑的な針峰のピ−クには確保が確実に任せられ
少しクライミングの経験を本人が積んで、良いガイドなり先導者
に導かれれば、比較的・多くの登山者も立てる。
周辺の、素晴らしい山々でのトレッキングと組み合わせても良いし
この針峰のピ−クだけを目標に、訪れても得難い体験・想い出を
残す事が出来るでしょう。
70歳で、再訪できたら再びマデイエのクラシック・ル−トから山頂
ピ−クへ。そして、それが適わなければ、ここで説明している一般
レベルの登山者でも、クライミング初級で到達できる下降路・利用
で3度目の登頂も楽しそうだと、私は考えている。
ひよっとしたら80歳代でも、可能なプランかも知れないと思い描け
ば、夢は更に楽しい。
チャンスを作り出せれば、近い将来に愛娘とロ−プを結び合って
クラシック・ル−トから、そんな『夢』も見ている。
『室内営業壁』には、一切の興味も利用する気も無い、私には
自分のクライミングに、可能な限り『ピ−ク』を求めている気がする。

ピ−ク・ハントもしくは、ピ−ク・ハンタ−と言う表現は、今は昔の
言葉として、徐々にクライマ−の中からは、消え逝く表現。
「日本百名山」が、今はピ−クハントの代表・表現の舞台でフリ−
クライミングの世界では、何か「ピ−ク」そのものの価値さえも消え
て、失われてしまった感を覚える。

一つの登攀の完結・終了点が「ピ−ク」で、目標の中に過程と共に
「頂」が、あった時代にはクライミングも登山であり、人との競争原理
やスポ−ツとしての全面・主張、表現の必要性は薄かった。

『ピ−ク至上主義』は、意味を成さないのだが、何を基準に「ピ−ク」
と規定するかの問題も、これは中々に難しい。それでも、この針峰
での現実の様に、誰でもが判断出来・認める『ピ−ク』に立つ事の
喜びは、クライマ−で無くても理解し、感じられる。
『ソレイユ小屋』への入山日から、私達が滞在しクライミング
を実際に、楽しんだ期間は比較的・天候に恵まれていたが
2本目の「ザボワイヤ−ル−ト」登攀時の午後からは穂高岳
の夏のシ−ズンにも、頻繁に遭遇するような3000mの稜線
では普通の少し肌寒く、霧・ガスで身体を濡らしル−ト途中で
前方、上部の岩壁への視認を妨げる条件に出会う。
それでも、雨具の上着を一枚、着用して寒さや濡れを防ぐ事
は可能で、降雨で濡れずに山小屋まで戻れた。
核心部を抜け出ていれば、上部壁・範囲ならば降雨も、岩が
濡れたとしても、現在の装備・用具ならば大きな問題は生じず
に山頂から下降して、帰着できるでしょう。
基本的に、各ル−トは半日行程・素早くスム−ズに登れる
クライマ−ならば1日に2本のル−トを登って、楽しむ事は
それほど難しい課題とも思えない。下部壁の現代的なフリ−
ル−トも、私達は登ってみたがピ−クに立てない難度・追求
のみのショ−ト・ピッチ・ル−トが、この素晴らしいピ−クから
続く針峰で、必要なのかは疑問。小屋・裏に多い、アプロ−チ
もル−ト選択の能力も不要な「ル−ト」は当然ながらボルトの
連打、スラブはグリムゼル経験後だったので快適な範囲。
ウォ−ミング・アップとかには利用価値は高いのだろう。
『デイボナ針峰』 現在では各種・資料と情報が簡単に入手、利用できる。
翻訳ガイドの定番は『山と渓谷・社・ガストンレビュファ−著・近藤等・訳』ゼクラン山群の一読を薦めます。

他には、純然たる『ガイド・ブック・情報』では無いが、関係・情報として『ディボナ針峰でのクライミング』記述が出ている、『中央文庫・柏瀬祐之・氏、著の午後三時の山』も、ある種の人達には参考になるかも知れない。(午後三時の山)本文に加えて253ぺ−ジで使用されている『写真』のデイボナ針峰は、残念な事に左右・反転で(写真が逆)まあ、まず誰にも指摘されないでしょうが。

現地で情報を知るのは、短期・期間で現地での山行やクライミングを行う例の多い、日本人には雑誌類
のバックナンバ−や、山域のガイド・ブックを得るのが、現実的に困難なので目的のル−ト情報は、現地で
山小屋で地元クライマ−に、直接・聞くなど以外は、ある程度の情報は渡欧前に調べておいた方が良いでしょう。私が、最初に『デイボナ針峰』を、文献で知ったのは「ヤマケイ」の翻訳本・以前に現地で立ち寄った本屋で偶然、手にした『推薦101ル−ト』からで、この山域に思い入れが強い、当時・穂高でも頻繁に出会う事が多く、後輩の面倒を見てくれと頼まれたりして懇意にしていた、桑原ガイドからは当時、メイジュに行くべきだと強く、薦められていたので、この山域に興味を持っていたのが幸いだった。
(上記・資料)を入手して、翻訳して『来訪時を思い描きながら、夢を膨らませていた』
現在では、日本から空路ジュネ−ブに飛び。レンタカ−利用で現地・アプロ−チ出発・地点への移動は比較的・容易だ。小さな、集落は車道・上に登山者の為の駐車場を整備してくれていて、快適なトレッキング・トレイルを辿り『ソレイユ小屋』までは、快適なトレッキング。小屋まで、迷うような箇所も無ければ、特別に困難な箇所も存在しない。いたって快適で、高揚感に期待を込めて徐々に谷奥から姿を現す『デイボナ針峰』を
仰ぎ見ての楽しいアプロ−チ。横尾から涸沢に上がるよりは、楽に感じる行程と景観の変化で、途中で渓谷を渡る箇所での水の補給も、可能。クライミング・ギアに食料を背負っても3H〜4H程度です。
基本的に、ソレイユ小屋・周辺での『幕営・キャンプは禁止』されているが、どこの国でも同じく、貧乏な若いクライマ−は氷河で磨かれた岩盤・上に石を積んでビバ−ク・プラットを設置して利用しているようだ。周辺の高山植物・群落と愛嬌タップリのマ−モットとの出合も、楽しそうだ。
         
準備して来た『クライミング・ギア』の中から、壁下からの観察で最小限・必要なギア類を選んで携帯するのは日本国内での、クライミングと同じ。おおむね『小川山パック』もしくは、私達ならば『藤内壁トレ−ニング・パック』と同程度の、比較的・軽量で動きやすい数量と重量で、フリ−クライミングでのスピ−ドにも対応できて、下部壁からの不意のアクシデントからならば、容易に退却も可能。こんな感じのギアで出発。
『念の為』に、各自が下降器とビレイ器具を持参して、セルフ・レスキュ−対応に「シャント&プ−リ−」
マッシャ−専用のスペクトラ・スリング等を携行。シュ−ズは、履き易く、楽なタイプで充分。
夏の最盛期は過ぎていて、下降路や岩壁・周辺の残雪は問題となる量ではなかったので、アプロ−チ・シュ−ズで対応した。デイボナ南壁からの、下降は特に問題となる箇所は無く、小屋までの路も判り易い。
下部・岩壁を切り裂く様に、大きく開いた特徴的なジェ−ドルから、トンネル・チムニ−を抜ける抜群のライン
南壁は明るい。秋の気配を感じた1日。この日は私達には『デイボナ針峰』で最初のクライミング、太陽の光りを背中に浴びて、良質の岩に最良のクラシック・フリ−を満喫。出発して来た『ソレイユ小屋』を眼下に見て、快適で、クライミングの歴史を感じる『選ばれたライン』を、たどる半日のクラシック・トリップを堪能。
この『ル−ト』を、ガイドで再訪したいと思った。確保地点は安定している、
古きを知りて・・・・いつの時代にも、過去に将来を見据えて。そして『夢』や、憧れの純粋性に忠実な人達は真理を、つく。友を見捨てるに・・の遺書で一つの理想・見本と見られた『登山者・クライマ−』は、昭和22年に
こんな一文を残している。

『より困難なル−トを登れるものなら、どんな困難な
ル−トでも登ってくれ。だが、そのル−トの終わりに
必ず頂があり、ル−トとして独自に評価されるもの
でなく、その頂への、より魅力的な道程であることを
忘れないで欲しい・と』
南壁とは、全く異なる異質な雰囲気を持った西壁・上部で2ピッチ分の間違いで、入り込んでしまった。
東壁・直下から見上げる『ディボナ』は、まるで別の岩壁に来たような景観だ。
『ソレイユ小屋』裏・背後に南壁を配置した
アプロ−チ途中に、幾つかのボルダ−が
点在していて、けっこう大きなボルダ−も
周辺に、あって小屋・裏という便利な場所
だけに利用されている。
私達も、最も大きなボルダ−で遊んでみた。
ボルダ−トップには確実なアンカ−設置で
気楽にトップロ−プで楽しめる。
途中で『東壁・側』を覗きに正規ル−トを少し、外れてれてハングを越えて再び頂稜へ。
エギュ−ド・ディボナ山頂にて
登攀意欲を刺激する。
これだけ端整で、美しい岩峰も珍しいと思う。

『写真』を見た日から、この山でのクライミング
が実現するだろうとの、予感を強く抱いていた。
下山の日。何度も振り返って針峰のピ−クを
眺めた。山頂を踏んでからの、下山には達成感
や充実感と共に、登ってしまった・・・そういった
矛盾した、喪失感も僅かに、心に潜む。
3本目に取り付いた、選んだル−トは今風の
快適・安全なボルト整備のフリ−ル−トだった
やはり、山頂へ向うべき古典派ル−トを選択
すべきだったと・・・少しばかり後悔。

再訪する『予感』がある。
南壁・東壁・西壁に北側・北峰を含めて30数本の
クライミング・ル−トが存在していて、南壁に約20本
以上のル−トが、拓かれている。
下部・左壁にはピ−クに抜けない現代的な感覚の
フリ−ル−トも多い。
クラシック・ル−ト間にも新しいバリェ−ション・ライン
が加えられているので、全体で何本のル−トが壁
に存在するのか、確かな数は判らない。

新規フリ−ル−トの開拓は、充分に可能だと見てい
るのは、島国・感覚の私だからだが、東壁にも興味
が引かれる課題は見えた。

北側からの『ディボナ山頂』へは、下降路を利用して
比較的、容易な短い岩場からリッジ・クライミングで
到達できるので、初心者・同行で周辺トレッキングと
組み合わせての遊び方としても、楽しめると感じた。

南壁から山頂を踏んでの下降は、全く問題ないが
シ−ズン初期の豊富な残雪・対応と悪天候・時の
下降路、選びには注意は必要。
小屋・周辺に生息するマ−モットは愛嬌があり
トレッカ−にも人気で、良く人に慣れていた。
植生環境にもディボナ周辺では見るべき、植物
「花」は、多いと聞く。
衛星峰からのフライトは、広がる圏谷の上昇風
に応援されて、意外と楽しいフライトが楽しめそうだ。
ディボナ南壁と比較すると、圏谷周辺の岩壁群の多くは、それほどクライマ−から注目されていない。
南壁には、日本人的な感覚でならば既成の
ル−ト以外に、まだ開拓的な余地を感じる部分
が多い。これから、ピ−クを目指さないフリ−
クライミングのル−トも、増えていくと思われる。
山頂・直下のピッチを快適に攀じる
GRANDES COURSES 104
『エギュ−ド・ディボナ針峰』は、ゼクラン山群の一つの『代表・名山であり素晴らしい岩壁』だが、広大な山域に秘められた、秘密を解き明かすのには私達は、あまりにも遠い地からの来訪者だと思い知らされる。
『ドフィネ山群』とも呼ばれる『ゼクラン山群』は、最大級の賛辞と過去からのアルピニズムを現代に、継承する地としての、憧れの視線と共に欧州圏内に残された、原初的な『自然環境』を今に残した、文字通り貴重な
『地』として、多くの登山者・クライマ-、自然愛好家から愛されている山群だ。

レビュファ-の解説通りに、この『山群』には数多くのピ−ク・山頂が集合し、それらの山頂・稜線と共に山群に深く切り込み、筋をつけ、その心臓部にまで入り込んでいる数多くの深い渓谷と、まるで打ち明け話でもするかのように、こうした谷に隣接している、小さな谷が集合した、ものでもあるようだ。

山頂と、それぞれ独特な岩壁は『モンブラン山群』の様に、隣接していたりアプロ−チが同一の場所は、ゼクラン山群では稀だ。この事を、レビュファ-は著書の中で『この素晴らしく貧困なゼクラン山群の、並外れた贅沢』と表現している。この意味は、深く、現代の登山者には示唆に富む言葉だろう。
もしも峰頂が互いに隣接しているとしたら、クライマ-だけは、その恩恵を受けるだろう。
アプロ−チと、ひとつの谷から別の谷への移動は、必然的に短くなるか、存在しなくなるだろう。だがしかし、ここに、やって来る人間、なぜだか、その理由は・はっきりとはっきりとはつかめないが、原始そのままの地球の姿をとどめている長く、荒涼とした、むきだしの秘められた谷を愛する人達は、要求が多いのだ、よじ登ることを彼らは好むが、場所がどこでもいいし、どんなところを、どんな方法で登っても、いいというわけではないのだ。
2006/11/04 (土) 19:49:58