『ロック・ピトン』は、クライミングと言う行為が始まって、必要に迫られて 登場した、必然的な『用具』の代表格。ヨセミテからの、フリ−クライミング 思想・意識が流入し出す、以前から我国には、それまでの欧州メ−カ− が製作して送り込んで来る、軟鉄製に代わる高強度の材質で造られた 『ハ−ケン・独語』は、幾つかの種類が入って来てはいたが、基本的な デザインには、大きな変化や独創的な改善を見る事は無かった。 私が初めて本格的かつ、必要に迫られたのと新しい用具を使いたい 欲求双方で買い集め、使い出したのはシャルレのリバノス・ピトン。 当時としては画期的に薄く、先端部もシャ−プで、それまでに使っていた 国産・カシン等の欧州品の、全てと比較して細い『リス』=ヘアライン タイプのクラックにも充分に叩き込めて、何よりも再使用が可能な軟鉄製 とは違って、貧乏クライマ−には心強い味方・感覚で愛用した。 1本か2本しか、一度に購入できなかった頃なので、当時の私は学友の 誘う『喫茶店』に、高校生活の3年間で自分の財布使用では1度も、入る 機会は得られなかった。この『リバノス・ピトン』を購入する為に昼食を 食べれなかった事が、数限りない空腹の想い出。 その後、すぐにアメリカ・(旧)アイアン・バシフィック・ワ−ク(シュィナ−ド) 製品の当時の欧州品の、どれよりも薄く固く、使い易い『ナイフ・ブレ−ド』 が入荷して、『夢と憧れ』の壁での自由が飛躍的に広がった。 このクロム・モリブデン合金を素材として作られた『ロック・ピトン』が近代 のピトンのスタンダ−ド・ギアであり、次に日本のクライマ−に、その名が 知られたのが『ロスト・アロ−・ピトン』これが、硬材ピトンに関わる本当の 歴史的な経緯を、正しく日本人クライマ−が知る妨げの原因の一つ。 |
『ヘキセントリック』や『ラ−プ』の発案・制作者として、そして『パタゴニア・ブランド』の創設者として、あまりに 著名な『イボン・シュィナ−ド』が自身の名を冠して、クライミング・ギア・メ−カ−を設立して、各種類のチヨック と共に、各種ピトン類も製造・販売したので、それまでの軟鉄ロック・ビトンから、高強度のクロモリ合金を採用 した、新しいピトンへの変換も、シュィナ−ドの功績だと思われがちだが、本当は違う。 日本への入荷・販売時期や広告・宣伝の影響にも関係するが、最も初期に誕生した合金ピトンや再使用が 可能な強度を有した、新しいロック・ピトンの誕生は1960年代に、スイスからアメリカに移住した『ジョン・サラテ』の手によるものだ。物資も食料も、愚かで悲惨な第二次・世界大戦後の、日本では決定的に欠乏していた時代当然な事に、戦勝国で大量生産・大量消費・文化の諸端を開き始めていた、始まっていたのかも知れないがアメリカでは当時軟鉄製(ソフト・スティ−ル)ピトンが、石灰岩に代表される、岩質に適した用具として欧州から入荷して、アメリカでのロック・クライミングで一般的に使用されていたが、サラテは欧州からの異邦人クライマ−で、アメリカに移民後、カリフォルニア・ヨセミテ渓谷の大岩壁に魅了され、欧州の石灰岩に向いた食い込み易く、鋼材が曲がる事によって支持力を保持するピトン本体の性能が、花崗岩の固く、緻密なクラックや巨大で困難な壁に対応しない事を見抜いて、初期の挑戦『ロスト・アロ−・スバィア』での、ピトンの不具合さから、鍛冶屋と言う自身の職業と経験を最大限に活かして、当時・量産態勢で大量に出回り、消費大国として配車・部品の入手が比較的・簡単になり始めていた、大衆車『フォ−ド・モデルA』の車軸部分を回収し、配車置き場から仲間達と運んで来たと、言い伝えられている。この辺りにヨセミテ・初期の、クライマ−気質や雰囲気の、原形を感じてしまう。 この時代には、日本では著書やブランドで、その名が良く知られている『ロイヤル・ロビンス』も若手の代表的なクライマ−として活躍していて、彼と同時代の仲間であった『チヤック・ウィルツ』は、ヨセミテ渓谷での初登攀 競争にサラテ同様に、早くから加わり同じ意欲と発想から硬鋼材を使った『ロック・ピトン』を製作して、リクソンズ・ピ−クやロストアロ−・スパィア−の初登争いにサラテと同じく、自分の作成した用具で挑戦していた。 彼が造り出した初期のヨセミテ・タイプの「ロック・ピトン」を知るクライマ−は少ない。 サラテが自分で炉で熱して、叩き上げた世界初と考えられる初期の『炭素鋼ピトン』は、サラテ以前には軟鉄製の欧州品にしか、その厚みや長さが無かった形状だったが、ヨセミテの緻密な岩質『花崗岩』で、打ち込んでは、回収して再びクラックに打ち込める、堅牢性と耐久強度を有していて、厳しく距離の長いル−トでクライマ−の重量的な苦痛を、格段に軽減するのに役立った。そして、ピトンのセッティングを失敗して、貴重なピトンを無駄にする事も減り、挑戦対象も飛躍的に増加した。初期の『サラテ製作』のピトンが、『ロストアロ−・スパイァ−』の、尖った岩塔に似ていたことから、ヨセミテ常連・滞在クライマ−達は、その新しいデザインのピトンの事『ロスト・アロ−』と呼ぶようになり、その継承系ピトンを徐々に工業製品化して、更に改良して、世に送り出したシュィナ−ド製品も同じく、そのピトンに『ロスト・アロ−』の名を付けた。そういった訳で、日本国内には、最初『ナイフ・ブレ−ド』が紹介されて、次に『ロスト・アロ−』ピトンが知られた結果、これらの炭素鋼ピトンの、歴史的な発展・経緯を正しく知るクライマ−は少なかった。 同じく『シュィナ−ド』オリジナル・発明と思っているクライマ−が多い『フック類』に関しても、実際には基本原形はヨセミテでのクライミングが始まる100年ほども前に、氷河を持った山々の岩壁で、基本原理や欲求的な意味で同じ様な『物』は、実際に作られ、使用されていたという歴史があって、一つのル−トを攻略する為に、より現実的な利用に即して造られた『フック』も、やはり『ロストアロ−スパィア−』に、執念を燃やしていたサラテが作り出した『フック』が、現在にも継承・改良発展系として様々なタイプの『フック』の原形モデル。 『スカイ・フック』の名称で一般に知られている、この鉤爪形状の特殊な用具を実際のクライミングで使用したのも、やはりサラテ自身だと考えられる。 サラテがヨセミテ渓谷で自身が手作りした『硬材ピトン』で、効率的でいて安全を向上させたクライミング゜を実践した1960年代に、殆ど全ての『ヨセミテ渓谷の大岩壁・ビッグ・ウォ−ル』には、初登攀の名誉が数多く残されていて、ダイレクト・エイドを直接的に批判したり、ピトン類の使用を妨げる論理的な反対意見やクライマ−社会での、各種『用具の使用に関しての、コンセプト』は、当時の欧州や英国と比べて、緩慢で自由な世界だったので、ヨセミテの花崗岩・大岩壁では使用する用具や大岩壁を攻略する為の、技術的なシステムや日数のかかるクライミングでのビバ−ク生活の快適性の向上、そして戦術(タクティクス)等も、様々に工夫され、実践派のクライマ−の体験から、世界に通用する新しい『用具も技術』も誕生して行った。 |
1958年に単にアメリカ中のメディアに注目されただけではなくて、ある意味で当時の世界範囲の『クライミング』で、技術的な最先端・記録的な行為かつ、そのクライミングに要した『期間・実質時間』の長さと、使用された技術でも、様々に論評され、かつ評価と批判も受けた『クライミング』として広く、世界に知られたものが、日本では『墜落の仕方・教えます』の著書として知られている『ウォ−レン・ハ−ディング』で、イタリアのマエストリと同じ様に『岩壁攻略での積極的・大量のボルト使用者』ル−ト開拓と初登攀の為には、ダイレクト・エイドの為に使用する用具を全て許容・利用するクライマ−として、後に悪評・大きな批判を浴びたアウトロ−的クライマ−の人達に属していると見なされた代表的なクライマ−とし知られる人物。 彼が世間の注目を集めたのは、ヨセミテ渓谷の『エルキャプ・ノ−ズ』でのクライミングに対する、飽くなき挑戦スタイルが当時のクライミング・クライマ−の誰よりも、執拗で集中的だったからで、そのクライミングは1958年の7月10日に地面を離れてから、11月12日の期間にパ−トナ−を変えて登攀ル−トに大量の固定(フイックス)ロ−プを張り巡らして、時には下界のスタンド・バ−に冷えたビ−ルを飲みに下り帰って、再び壁中に戻ってクライミングを再開するなどの、当時としては誰も採用しなかったような、まるでヒマラヤの高峰を攻略する為に利用されていた『包囲方法』後に、クライミング・スタイルでは『シ−ジング』等とも、呼ばれる補給と休養を自由に選択するタクティクス(戦術)を採用した事だった。 この種の長期間の岩壁でのクライミングは、当然ながら世界の注目を集める事となり、世界でも最も早くから国民の財産としての認識で、厳しい自然保護ル−ルを採用しての『自然公園』としてのスタイルが確立していた『ヨセミテ渓谷』の、最も目立つ場所で行なわれたパフォ−マンスでも、あった事から公園管理者・パ−クレィンジャ−達との、軋轢・摩擦を当然ながら引き起こし、運悪く・その当時から、この巨大な岩壁・内で保護対象となっていた動物への悪影響を理由として『クライミング禁止・勧告・命令』を下界からスピ−カ−で通達。 この『問題』が契機となり『国立公園・自然保護』ル−ルと、我が物顔でクライミングを謳歌していた初期のカリフォルニァ派クライマ−との、主張対立と行為の自由・論争が勃発。その後、折り合いを付ける方法をクライマ−側が妥協した事により、今現在もヨセミテではクライミングが可能な訳だ。 ハ−ディングの事件?以降、ヨセミテ渓谷のクライミング全般には、幾つかの国立公園法に基づく、幾つかの規制・禁止処置が設けられたが、期間を限定したエルキャピタン壁でのクライミングは認可されている。 もし、この問題が『現在の日本』だったならば、多分??全面的にクライマ−敗北・クライミング永久禁止の悪夢だったかも知れない。 |
サラテからシュィナ−ド、及び彼らの後継者・達はヨセミテ渓谷の大岩壁を登り切るために、各種のピトン類を クライミングのタイプに合わせて、幾つも発明し製作しては実際の岩壁で自らを実験台として改良を続けた。 それらのピトンや補助用具は、徐々にアメリカの岩場のみならず、欧州範囲の岩場から遠く南米・ヒマラヤでのクライミングにも使用されて、かっての軟鉄製のピトン類に取って代わられて様々なタイプのクライミングでの標準装備として世界中のクライマ−が認め、必要とする『プロテクション・ギア』の地位を得ていった。 俗に『クロモリ鋼ピトン』と呼ばれた初期のピトンから、より広いクラックに使えるアングル・ピトンが生まれ、全く逆に髪の毛ほどの細さの、他のピトンでは刃先さえ受け付けない割れ目に食い込む『ラ−プ』ロスト・アロ−とボングやアグルの中間にも使えるエド・リ−パ−考案の『Z型リ−パ−・ピトン』等の、新しいタイプのピトンが次々に登場していった。特に、『アングル・ピトン』は最も初期に暖房用スト−ブの脚部から改造されて、ピトンとして使用された歴史から『スト−ブ・レッグ』と呼ばれ、同名の壁中のピッチの区切りを表す名称は有名だ。 これらのサラテ以降の、様々なピトンは各国で模倣され、幾つかの改良品と銘打った製品が世に出たがクライマ−が認めているのは唯一『シュィナ−ド・モデル』や、パテント製作が可能な欧州メ−カ−程度で一時期・数多く市販されていた日本製品や他の類似品は、現在では殆ど目にする事は無くなった。 形状だけを真似た、粗悪品も幾つか目にした時代もあったが、シュィナ−ド・モデルが登場してからハ−ケンと 独語で呼ばれていた、日本でも『ロック・ピトン』=ピトンと呼ぶクライマ−が、増えて現在ではピトンの名称が 標準だ。『リ−パ−・モデル』は、国産と韓国製品に軟鉄素材を用いた、同一形状の物が短い期間だが流通して、これが再使用には向かなかったが抜群の効きを発揮して、愛用していたが現在では市販されていない。 同じ様に、軟鉄製の『ベビ−・アングル』も同じ。これも効きは良かったが回収はクロモリとは比較に成らないほどに効き過ぎて困難。この頃から「ピトンの刃」を称して、ブレ−ドと呼ぶようになったらしい。 |
現在・市販されている(BD)ナイフ・ブレ−ド・ピトンのサイズ構成と名称に関しては覚えておくと便利 一般に『ナイフ・ブレ−ド』と呼ばれる範囲はメ−カ−指定の#1〜#2で、#3〜#6が『バガブ−』 形状的には全く同じに見えますが、ピトン本体のクラックに打ち込む『刃=ブレ−ド部分』の厚みが違う。 バガブ−の方が厚みがありますから、それぞれのサイズ(長さと刃厚)の違いぐらいは、知っておいた方が実際の岩場での使用での体験と共に、スム−ズなサイズ設定の技術の向上に役立ちます。 |
軟鉄製ピトンとは違った、クロモリ鋼の性質を理解した使い方を知る 必要があります。ピトン本体の持つ、基本強度を最大限に使う為には このタイプのピトンの特徴や、使い方の基本程度は学んでおく方が良 いでしょう。途中までしか、入らなかった場合に多用される『タイオフ』 等の基本技術に加えて、重ねて厚さを調節する『重ね打ち』も頻繁に 使われる、このタイプのピトンならではの技術です。 |
『ナイフ・ブレ−ド・バガブ−』『ロスト・アロ−』『アングル』の3種類の異なるタイプのロック・ピトンが標準セットで他にも、クロムモブリデン(クロモリ)炭素・鋼材を使用した、幾つかの高強度・硬材ピトンが、これまでに製造され実際のクライミングで利用されている。代表的なエド・リ−パ−作品の『Zピトン』は、俗に『リ−パ−・ピトン』として他のピトンや同一ピトンとの組み合わせで、スタッキング・重ね打ち技術で応用が効き、単体での使用でもアングル・ピトンとは違った性能が有効な場面もあって、一時期は類似品の国産も出回っていた。 欧州メ−カ−からも、殆どデザイン上で差異の感じられないタイプが製作されていた時期も、あったが最近ではこの『リ−パ−・タイプ』のピトンを販売店で見受ける事は少ないようだ。 私自身は、愛用品と呼んで差し支えない、お気に入り『ピトン』の一つ。 |
クライミングを『ボルト』の使用から、始め出したクライマ−とチヨックからピトンへ正しい段階を歩みながら学んで、技術難度を向上させたクライマ−とでは、同じ『クライマ−』でも、意識や思想は大きく違う。 どちらが良くて、悪いや優れているという比較論や、区別は不要。要は好みとスタイルの問題だから。 |
アメリカのカリフォルニアから実用的な硬鋼材ピトン が誕生してから、『ロック・ピトン』のデザインにも大 きな変化が生まれた。 (左・写真)洗練された形状に進化し始めた時期に 評価を得た『ユニバ−サル』と呼ばれた兼用型として 利用者も多かった、フランス製の『ロック・ピトン』 (右・写真)は、この兼用型・軟鉄製ピトンのデザイン を、クロモリ鋼材で製作した初期『リバノス・タイプ』 (右・下)フランス・シャルレ製品の現在も生産・販売 されている細部に工夫が凝らされた『リバノス・ピトン』 アメリカ製のクロモリ・ピトンと比較しても、決して劣ら ない機能を有していて、日本の岩場でも使い易い。 カラビナを、かける穴が単純な丸型では無い部分や 打撃部分とピトン先端の、尖った箇所の方向などに デザイン上の優秀さが見える。 |
@ | (CHOUINARD knife blade)シュィナ−ド・ナイフ・ブレ−ド。現在はメ−カ−名が変更されているが 考案・制作者の『イボン・シュィナ−ド』の名前を冠した、近代クライミングに多大な貢献を果している名品 としての評価から、現在でも『シュィナ−ド・タイプ』=製品名の『ナイフ・ブレ−ド』と呼び、称する場合が 多い。サイズ構成が、初期のラインナップと少し異なるが、この短く最もブレ−ド厚が薄いタイプは最も使用頻度が高く、利用価値も高い普及品。日本国内での、各地の岩場や渓谷での利用価値が非常に高いので、これから購入・使用とされる方達も、まずは選択・入手すべき最初のピトンでしょう。 |
A | 3インチ・モデル。シュィナ−ド(現・ブラック・ダイヤモンド)のクロモリ・ピトンはサイズ別に構成されている ので、このサイズも基本的には標準ギアの一つとして利用価値が高い。 |
B | 欧州製品の『パテント・タイプ』の中に、このサイズでオリジナル・モデルとは異なるサイズ構成の製品も 誕生しているが、ブレ−ド部分の長さよりも厚み、に注意してサイズ選択すると理解し易い。 形状的には『ナイフ・ブレ−ド』と、全く同一・形状だが名称は『バガブ−』と呼ぶ。 |
C | 最も、応用・汎用性の高い『ロック・ピトン』として知られる。途中までしか、打ち込めなかった場合には頻繁に『タイオフ』して使用される、代表的なピトンで厚みの調節を、他サイズの同型ピトンとの組み合わせ使用俗に『重ね打ち』と呼ばれる、使用方法を駆使して多用される。技術的な難度が高い本格的なエイド・クライミングでは、必ず必要となるサイズ。先端部の磨耗・損傷後に、自分で加工・改造して短く利用する方法はカットの仕方や、角度で『別名ピトン』に変更させて使用するクライマ−もいる。 |
D | 3・4と同じ『バカブ−・モデル』長さに余裕が生じて、タイオフ処理で全ての箇所で対応して良い訳では無く理想的には、適合サイズの上手な選択・利用を考えると、このサイズも必要になる。 |
E | 最も、耐久性の高いタイプに属している。Cと同じく使用・回収、再使用を繰り返した場合は、初期の本来のピトン自体の、耐久・耐衝撃・強度は必ず低下しているので『クロモリ・ピトン』と言えども、使用者は注意する必要はある。カット加工は、私を含めて最近は他の先端部の改造と共に、広く知られ出した。 |
F | (chouinard Augle)シュィナ−ド・アングル。このタイプのオリジナル・モデルもナイフ・ブレ−ドやバカブ−タイプのピトンと同じく、製造メ−カ−の名称が変更されていて、現在は『ブラック・ダイヤモンド社・製品』『アングル・タイプ』の中で、最も小型の物を『ベビ−・アングル』と呼ぶのがクライマ−間では一般的。 標準ギア・セットの中の一つとして、国内の岩場での使用頻度も高い。 |
G | 現在では、チヨックやスモ−ル・カムで補えるクラック・サイズなので、以前に比べて使用頻度が格別・高いとは言えないサイズ用の『小型タイプのアングル・ピトン』だが、『ピトン・セット』を構成する場合には、加えておくべきサイズの一つだ。緊急時にオ−バル・カラビナと組み合わせて、単純な『ブレ−キ・バ−・システム』を生み出す事が可能なので、下降器具の補助や、レスキュ−時などに緊急・対処的にブレ−キ−補助に使える場面もあるが、再使用(回収後)の使用は、原則的にロ−プに致命的な被害を与える可能性があるので、使用方法は確実に学んで使う必要がある。 |
H | このサイズは、各国で類似した物が最も数多く「模倣・生産」されたタイプだが、そういった類似品の中には材質面で、かなり疑わしくオリジナルと比較して強度的にも、全く信頼できない『物』が数多く存在。 ただ、軟鉄を使用した、このアングル・ピトンは使用状況によっては利用価値があり、一時期・韓国製品に良い『物』も、あった。非常に強度が高く、固定・支持力にも優れたピトンだが、初期の無秩序な乱用からヨセミテ等の、特定の地域『岩場・ル−ト』で、打ち込み・回収・再登時の反復・使用の繰り返しでクラックの破壊が深刻な、自然破壊を引き起こして『現在のクリ−ン・クライミング/フリ−クライミング』の発展への思想面・論理間の諸端・問題として『チヨック使用』の契機となったピトンとしても、知られている。 ボルトと同じく、使用するには塾考・チヨック類の使用限界から使うべき『ギア』でしょう。 |
IJK | 『原形は古い木製クサビ』俗に、ワイドと呼ばれるクラック・サイズでの使用を目的として考案・製造された ピトンだが、現在では『ヘキセントリック』から『機械式カム』の、使用・範囲で補える。 一般的に利用されるタイプのピトンでは、無くなったがビッグ・ウォ−ル・クライミングや辺境地での活躍・使用の場が消えた訳ではない。基本的に、回収・不能になって残置された、不遇?な物意外に通常のエリアル−ト上で、目にする機会は殆ど無いので最近のクライマ−が現物を見れるのはシヨップぐらい? |
『アングル・ピトン』は、アメリカのヨセミテ渓谷でのクライミングから 生み出されたと、一般的に紹介されているが1950年代の欧州で シュィナ−ド・タイプと、基本的なデザィン上の違いが見受けられな いV字型の『ロック・ピトン』と、現在・広く流通しているサイズ範囲に 適合する「アングル構造のピトン」は使用されていた。 特に、『木製のクサビ』は、かなり古い時代にイタリアやドイツで実際 のクライミングで使用されていた、歴史的な事実があるので金属に 替えて、このサイズ・タイプの『ロック・ピトン』はアメリカでの登場時期 以前から、欧州で使われていたと推察できる。 実際にアメリカで、最も初期に考案・製作された幅広クラックに適合 する『ロック・ピトン』を生み出した人は、欧州からの移民でクライミング 技術の伝播は、アメリカ独自とは言えないからだ。 |
曲げ加工が、比較的・容易な容易な金属板をV字に折り曲げて製造 された、初期の欧州メ−カ−のアングル・ピトンから、更に加工が難し い硬鋼材を使用して、曲線を持った優雅で耐久強度を持ったアングルピトンに発展したのは、時代背景での金属加工の技術の向上のみならず、大戦以降の素材自体の発展・進歩に負うところが大きい。 自動車・航空機、産業の飛躍的な発展・時期にアメリカが最新の金属や技術を駆使して、新しい『クライミング・ギア』を生み出したのも、当然の結果。同時期の日本の現状を、歴史から見れば『遊べる』余裕さえ比べられない。 (左・写真)60年代には、欧州から「シュィナ−ド」タイプを真似て幾つ もの同型・ピトンが多数、誕生し出した。重量的な負担を軽減すべく 大きなサイズの『ピトン』では、側面に穴を開ける等の改良が進んだ。 更に、一時期には軽量化を追及してドイツ『サレワ』からは材質を硬鋼クロモリから、より軽い軽合金に変えた「物」も登場したが、強度的に弱くて、実際の使用には問題が生じた。私も、初期の「サレワ・モデル」を軽いと言う理由で、数個・実際の開拓クライミングで使用していた時期があって、回収時に簡単にピトン本体に割れ・が入って再使用には耐えれない事を、身を持って知り、その後は使わなくなった。 |
『エド・リ−パ−』考案の、Z型の断面を持った特殊な『ロック・ピトン』は幾つもの変ったタイプが、誕生しては消えていったピトンの発展・改良時期にあって、唯一・実用的で効果の高い優秀な最新ピトンの一つとして、主にアメリカのクライマ−から評価を得ていた。 『ゼット・セクション・ピトン』や、単に『リ−パ−・ピトン』と呼ばれた、このタイプも模倣品・類似品が多数、世に出た種類の物だが、オリジナルは、当時でも希少品。ジョア−ニ−やカシンからも、特別に大型の サイズが製作されたりしたが、アングル・ピトンの普及に伴ない、一時期の流行は失われていった。軟鉄製品で、韓国で作られたタイプを 国内で使用していた、時期が私にはあって比較的・価格も安価であり 効きは抜群。反面、回収は手強く、基本的に残置を予定して使うタイプの固定向きピトンと認識していた。 |
『エド・リ−パ−考案』の傑作ロック・ピトン『Zセクション・ピトン』考案者の名を 取って、単に『リ−パ−・ピトン』とも呼ばれていた。 アングルとの組み合わせで、重ね打ちする等の使用に最も適しておりチヨック との兼用も考案されていた。各社から類似品が多数、出ていたがオリジナル 品の日本での流通は、ごく僅かだった。 |
『木製のクサビ』から、クロモリ鋼材を使用した『アングル・ピトン』まで。 |
サイズに比例して、重量も重くて携帯には苦労した。右下2本は国産のクロモリ『アングル』効きは抜群 |
エイリアンや小型のチヨックを使う、以前にはソロ・クライミング時に、この国産のロック・ピトンとしては最 高に効きが良くて、使い勝手にも優れていて何度も回収しては再使用に耐えた「クロモリ・コノ字型」ピトンの使用で、突破できたル−トも、記憶に残っている。随分と数も使ったので、残っているのは2本のみ |
各種ロック・ピシトンを携行するのに使い易い『サイド・オ−プン方式・ビボレ−・カラビナ』が私の最も頻繁に使っていた愛用ギア。ピトンの出し入れに便利で、他のカラビナには見られない独自の開閉システムを採用していた。単純なD型で小型の物ならば、イタリア・ボナィティ社が1種類だけ製造していた。 あまり頻繁に持ち出さず、使用回数も極端に減ってしまった昨今、ピトンにも錆が出始めてしまった。 『使い込んだナイフ・ブレ−ド』には、ブレ−ド先端部をシャ−プニング・メンテナンスを施してある。 |
Pitons |
高強度・鋼材『クロム・モブリデン・ロックピトン』 |
一般的にクライマ−からは「クロモリ・ピトン」と呼ばれる |
通常のスチ−ル素材では、造り出せなかった『極薄ピトン』の、代名詞『ラ−プ』の登場でエイド・テクニックの使用範囲は、飛躍的に発展し、開拓ル−トの技術難度も高まった。 |
現代『ビッグ・ウォ−ル・クライミング』で、標準ギアとして頻繁に使用される『クロムモブリデン鋼ピトン』はも何度も同じ、箇所で多くのクライマ−が打ち込み、回収するのでクラックの破壊・現象が問題となっている。日本で『クリ−ン・クライミング』表現が知られ出す、以前からヨセミテ渓谷を発信地として、こういった一種『クライミング行為による、自然破壊』の、問題は深刻化していて一つの、解決策もしくは、より良い方法への変更から『チヨック』使用による、クライミング・スタイルの必要性が認識され出した。『フリ−・クライミング』と『クリ−ン・クライミング』を、混同して理解している一部のクライマ−が、存在しているのは日本に多いのは、不思議だが『エイド・クライミング』の対比としてしか、『フリ−・クライミング』の歴史的・発展や用具の考案からクライマ−の使用モラルの問題を、正しく認識・理解しておいた方がバランスと取れていくだろう。 『サラテ』の考案・製作した硬鋼ロック・ピトンは、シュイナ−ドに受け継がれて、広く普及した。 同時期に同じ様な『アイディア』や、実践から要求されて同じタイプの用具を考案・作り出すという現象は クライミングの世界では、洋の東西を問わず意外と多いが『サラテ』と、同時期に『チヤック・ウィルツ』も リクソンズ・ピナクルから、ロストアロ−・ピナクルの初登攀・競争に加わり現在の『ナイフ・ブレ−ド』の原形に近い硬鋼を使った、ピトンを作り出し、使用していたと言われている。 彼の名前を知る日本のクライマ−は少ない。 『ピトン・テクニック』に、付属して回収時に心がけたい、可能ならば共通認識としてクライマ−間での行動 モラル(ル−ル的)な、スタイルとして『コンストラクティブ・スカ−リング』も行いたいものだ。 |