失われた『六甲山の岩場・弁天岩』 |
『阪神淡路・大震災』と言う、自然の猛威・衝撃で 失われた、六甲山・系の『岩場』は意外と多い。 芦屋ロック・ガ−デンの『B懸垂岩』を、筆頭に 北山公園のボルダ−の幾つや、隣接した東部 の、目神山『北面ボルダ−』の崩壊を含めて、著名 な岩場も、記録が公表されていづ、知る者も僅かな 『岩』も、含めて登攀対象としての存在を失った『場』 は、多い。 中には『大月地獄谷・上流域の大滝』の 様に、谷筋そのものに、大きな被害を残した場所も ある。この芦屋川・本流筋の『左岸に存在していた』 古くから、知られていた『弁天岩』も、震災の影響を 強く受けて、崩落・崩壊の危険から防護ネットの下 に隠れて、クライミング対象としての価値を失った。 |
この岩場の歴史は古く。 RCC時代の、活動初期には発見・開拓の手が付け られたとの話しも聞くが、当時の技術・用具から考え て、本格的な登攀対象としてクライマ−の手に、触れ られ出したのは、エイド・クライミングの普及期からだ と、推察される。 そして『フリ−クライミング』での、再・発見と挑戦の 対象として、手軽な位置と環境から更に新しいル−ト が増えそうだと、思っていた時に消失。 |
『岩場・名称』には、上流の『フカキリ岩』と、共に幾つ かの、伝承的な『名称』と後期のクライマ−達が多分 勝手に、RCCの先輩達とは違った、岩場・名を使用 していて、私の知る限りで3つの異なる岩場名が 使用されていた。中には、小人数の集団の中だけで 通じる『岩場名』を、かっての古典的な名称を無視し て使っていた人達も、いたが個人的には昭和20年代 には、広く知られていた『弁天岩』が適当だと思う。 『マナイタ』と、呼んでいたとの情報も聞き及んでいるが 傾斜と岩場の、外観から考えて、その辺りの名称が 妥当と考える、根拠は殆ど考えられない。 多分?芦屋有料・道路に、向う近くの車道・横のスラブ 状の岩場と、混同しているのでは無いだろうか。 |
(写真)撮影・当時には代表的な2本の、前傾気味の壁を単調なアブミの、かけ換えで登るル−ト に、エイド・ル−トと交差しながら、巧みに弱点を繋いでフリ−で突破する1本が存在。 |
2011年 正月明けからの倉庫への各種装備類の移動・作業中に古いファイル・ブックの中から発見した『弁天岩・全景』写真。震災時に崩落・消失する前の貴重な全体が理解出来る唯一の写真となった。 |