「国際障害者年」 ヨ−ロッパ・アルプスへの出発・日「伊丹空港」にて共同通信・配信(他・MBS・TVニュ−ス)等、多数で計画が紹介される。

2004年度の『植村直己・記念館』からの依頼は

プロガイドとしての、私から見て『冒険』として賞賛できる活動を、行っている方を推薦する事。

田頭・ファミリ−3人を自信を持って推薦

モンブラン・登頂や、現地での成果で示した『障害者=チャレンジド』の、潜在能力は当時の山岳・関係者と呼ばれたい?一部の「障害者・登山やクライミング」に懐疑的か、批判的だった人達には、論拠を壊され不評だったが。社会的には良い、情報効果を広く広める結果とは、なった。

視覚障害者に、とって『キャニオニング』は、新しいタイプの参加して、楽しめるアウトドア・スポ−ツと、なりました。

山での『遊び』で、サポ−ト体験した人達は次に町で障害を持った人と出会っても、何か手助けする方法を、見つける。
それは、簡単な事からでも構わない。
『遊び』を、通しての気持ちや、心の交流・相手への共感や理解は意外と簡単。無理だと言わない、まずは・やりたい・楽しみたいと望む活動への支援から。

最初は手軽な六甲山や金剛山、住んでいる町から一番・簡単な方法で出かけられる低山ハイキングから最初の一歩を踏み出せば、次は雪山にも、渓流・渓谷を歩き、登る『シャワ−・クライミング』や、冬山で雪を踏みしめ。樹氷を手に、触る楽しみも体験できます。

目が見えなくとも。少し、身体に不自由があっても、それがアウトドア遊びや・野外で楽しむ活動に出て行けない、出られない理由ではありません。。周囲の人達や、家族からの理解。社会が障害者・参加の「アウトドア・スポ−ツ」や山・遊び。その他の全ての活動に、もっと積極的に支援・応援、機会の公平を考え・それを行う実際の場面で手伝えば、大抵の事は可能です。

個人の力では『何も手助け、出来ない』なんて、私は思わない。

一人で、手助け出来なければ・仲間を集めれば良いし。日常的な生活では、街中の、ほんの少しのサポ−トなら、一人でも何かしら出来る事は、あります

山の中ならば、自由に歩けている人ならば、気持ちさえあれば誰だって
『チャレンジド・障害を持つ・人達』に、手を差し出せば役立ち。支援する事は可能なのだから、要するに、見ているだけか・
実際に『手・から伝える気持ち』を、表すかの違いだけ。傍観者として・一生、自分の遊びだけで山や、自然の中で見ているだけなんて・・・仲間は、多いほど楽しい。

30年前から。『クライミング社会』=とでも、呼べる狭い遊び人・達の
世界で。プロガイドだから。『売名行為』と、散々・嘲笑された。誤解も受けていたし明らかな反感で理由も無い、偏見に満ちた悪言も受けた。

俗に、ボランテイア活動と呼ばれる。それが、道楽と呼ばれても、今の私には構わない。
聴覚・障害の後輩が残雪の『穂高岳』から、還って来なかった「時」と、その後に実際に体験した数多くのチャレンジドとの本格的な『冒険』で、素晴らしい経験を積み上げて。自分自身も、大きな怪我から一時期・山も人生も諦めかけ、復帰した。そして、被災体験や人並みの苦労から、何よりも『機会の公平』を熱望している。
手伝える事は、手伝う。ただ、それだけの事。

日本を一巡した『国体』にも、山の部門がある。何を、競技し・順位を争うのかを浅学の私は、詳しくは知らないが、凄い費用や人出が必要な・ことぐらいは傍観者でも理解出来る。
その、数十分の一でも「障害者スポ−ツ」の支援や、補助に回せば・・・とは、全く・私個人の意見

そういった。本当に『個人的な意見』を数多く、持ち過ぎているので。その、理想や意見は、自分で出来る範囲の『山や遊びの、世界』で、夢や希望を現実化する努力を続ける。

チャレンジド(障害者)参加の登山・企画と交流イベントの実施
人の可能性を否定したり、障害による区別を差別への温床として、利用する事は許せません
友人からの、紹介(強引な薦め)で、講師・参加した(某・組織)が、毎回、規模も人数も大きく。専用キャンプ施設も充実・環境も良い。子供達のキャンプ企画を実施している場に、私も・ある夏に参加した。恵まれた環境や、生活を送れる子供達が、より恵まれた野外での『体験と遊び』を、楽しめる『企画と場』だと、思ったし・実際のキャンプに加わって感じた。恵まれない、「夏休み」を過ごす。キャンプの、機会が得られない側の『子供達』の方に次からは、力を貸そうと考えた。その時・以降から、この組織の活動には、参加していない
障害者・自らが『自分のハンディ(障害)を、個性(パ−ソナリティ-)と呼ぶのには、私ならば聞いていて
全く、抵抗感は無い。しかし、それを障害を持たない、私を含めた人が障害者を前にして表現するのは
ある意味での勇気を必要とする。自分の心の中と、社会環境や他人の視線や、一般常識。そして、自分自身が廻りから見られる立場を含めて、それほど単純な、そして簡単な『表現』とは、思えない。

こういった新しい挑戦や他に、見本や指標が得られない行動に協力参加する機会を得られた事に、感謝しています。

『向かい風』が『追い風』に、感じ出した頃です。

プロガイドとして。意識改革のお手伝いが出来た事も、うれしかった。
1996年10月24日  『毎日新聞・地域のニュ−ス』
MCS国際・山岳プロガイド 舟橋 健
国内・初の聴覚障害者グル−プによる、これまでに、なかった自主的かつ積極的な『本格的な山』に関する活動が刺激となり大阪(労山)が発信した『海外での記録』も良い影響を各地の仲間達に与えた。
かってのクライミングには、表面的には他者への不干渉や行動、遊びの中での競争原理を、あからさまに主張する者は本当に少なかった。寛容の精神は、山やクライミングと呼ばれる行為を実践するる者達の、一種の自尊心の源であり、誇りにも似たプライドの、よりどころでも在った。社会的な認知や評価とは別の世界で、生きる仲間同士の様な感覚や感情も強かったが、現在では、そういった共同体意識や仲間としての連帯意識は『遊べる場』の、利用問題などの現状認識や岩を傷つけるチッピング等の、現実的な環境破壊などの問題のみに、意識は集中しているようだ。

自分達の『遊びの環境には注意・意識は向う』
そういった感覚は70年代にも、多く見られていて社会的・問題として偏見や差別と戦うと言った本物の勇気を山やクライミングの場から、提唱したり活動に関わる人達は少数派であった。

基本的に80年代になっても、90年代、以降の新規参入して来た、愛好家達にも意識面での大きな違いや
変化を見ることは少ない。