『六甲山に見る、現代・登山者、現象考学・辛口?批評』
         意味不明・設置者、不明。ゴミと化している山中の『標識?テ−プ』
          無用なテ−プ類や、プレ−トの設置は止めましょう
『六甲山』は、他の都道府県で地元の「山と言われる」中低山等と、比較しても交通に関しては非常に便利な山と、数多くのハイキング・コ−スに恵まれている。

標高的に見ると、1000mには、少しばかり高さが足りないが、瀬戸内海・東端の海を眼下に大阪湾の遠望を、含めて『海から近い山』として、麓の神戸市、芦屋市、西宮市に広がる山裾からは住宅地の増加と、更に縦横に走る道路網も年々、六甲山地に近寄る環境で、観光・市民生活・住宅地とハイキング・コ−スが、これほどに密接に関係している山地・山は少ない。
俗に『標識テ−プ』と呼ばれる、物が六甲山のハイキング道に、これほど多く設置され出したのかは正確な年数は不明。以前ならば、冬山用に『標識布』を使う事が、一般的だったが標高も積雪も、六甲山に限って言えば、この標識布が必要な環境は、まず存在しない。目立ち始めたのは、この15年・範囲であり、震災以降に急激に、目に余る場所と量が様々な場所に設置され出した。私個人の観察、感覚では80年代には、これほと各所、多数に残置されていたという記憶は薄い。

登山のコ−スで、迷いやすい箇所や分技点、それも、明らかに本道と獣道の様に、何かしら意味が明瞭な場合と、目的を持って設置された物が、これまでの『標識・設置物』これらは、公共的な機関や、行政や山地所有者が取り付けたり、山中に残したものではなくて、完全に登山者や山での遊びを、楽しむ側の人間が設置したり、残して行く物なので「設置者」の氏名や、立場を表明している物は、非常に少なく、子供会やBS、そして地元での活動の歴史が長い、ある程度は名称が知られた登山組織などが記念碑?広報活動を目的として、製作した物には僅かに『設置者』を知る情報が明記されていた。

90年代から、増加し出している山中の残置物の多くは、勝手に設置したり、木々に巻き付けたりして、放置されて風化・損傷してゴミと化していても、まず設置者が回収する事も、あり得ない。無責任の代名詞としての『山の設置・放置物』とも、言えるだろう。そういった最近の設置物には、過去の地名や、固有の名称の歴史を知らずに、全く違った場所を指し示す看板類や、設置者・以外には設置理由が理由が、理解できないような完全な『塵/ゴミ』や『落書き』が多くなりだしている。
私の見知っているだけで『六甲山』範囲の山中
には、この種類の不法に設置・造られた小屋
に近い、個人が身勝手に建築・組み立てた物
が数か所、残されている。

造った人は自由に楽しんでいるのだろうし。
誰かの、役には立っていると思い込みたいのだ
ろうが、これも自分達さえ良ければ、良いとの思
い込み。身勝手な行動だと言わざるをえない。

シ−トを屋根代わりの、この種の簡易型とも感じる
シェルタ−・モドキの不法設置は、2004年から急に
六甲山・範囲に増加し出した。
長野県・穂高岳『槍ヶ岳・北鎌尾根』の不法
ペィント標識は、厳しく弾劾された。

この鈴鹿の『御在所岳・裏道』に、不法・最悪な
ペィント・落書き(本人は標識だと、思い込んでいる)
も、藤内・小屋の御主人を筆頭に、地元の登山者
クライマ−・自然を本当に愛していて、楽しもうと山を
守る立場に立っている人達から、強く非難された。

こういった犯罪にも似通った、山中での、不法ペィント
落書きを行う者達が、最近は急増している。
右・写真の常識を欠如したとしか思われない『不法ペィント』された露岩は、御在所岳への一般的なハイキング・コ−ス途中の、明瞭な登山路に存在していて、写真を見れば判るとおりこの巨岩の右横の登山道を、この場所に来て判断できない事は現実的に考えられない。明らかに、自己顕示欲や何らかの意図を持って標識ペィントを行っているとしか、思われない。常軌を逸した・そう思われても仕方の無い現状だ。


この不法ペィントを、この場所で行った人は、現地では
知られている。どのような、立場・自分で何を表明しているかも知られている。恥を知るべきだろう。
山頂からの展望・景観を楽しみたいと望むのは
多くの、登山者の期待であり・願いだが。

それを、身勝手に現実のものとする為に、山頂周辺の植生・自然環境を強引に変化させてまで得ようとする行為は、全くの別物だ。常識・欠如とか、そういったレベルや感性の問題を超えている。何をしても、許される筈は無い。

私の勝手。人が、見ていなければ山中では、何をしても良いと思い込んでいる、この行為は大人としての良識や、社会生活での常識やモラルの範囲の欠落以上の、ある種類の『犯罪行為』と呼んで、差し支えない。

    実際に、これは法的に違法だ。
六甲山『荒地山』周辺は、以前から無法地帯の様に
特定の個人、少人数のグル−プが゜、我が物・顔に周囲の自然環境を、破壊している山域として良心を持つ山好き、自然を大切に思う人達からは不評な山域だ。
自転車道の様に、広く方向も明瞭なコ−ス両側に異様とも感じられる、立木や路岩に吹き付けられたスプレ−ペンキの跡や、木々に直接、樹皮を削り傷付けて彫り込まれた、矢印など。

この周辺は、登山者のモラルの崩壊や自然保護
との意識の隔たりを、明と暗でクッキリと識別でき
る山域。
一昔前ならば・・・・少しは、猶予できるかも知れないが
現在の状況や、社会常識・通念の範囲からも現在の『荒地山・周辺』
で、放置されている。見て見ぬ・ふり感覚で誰も規制や制止を行わない
現場は、やはり異常だと感じる。

私は過去に「避難小屋・荒らしの無法者達」10人ほどを相手に正しい
事を、批判して集団で暴行を受けた体験を持っている。その体験から
自身に及ぶ危険・危害を、実体験として身を持って恐怖も知っているが
山ぐらいは、正しい事と、正しくない事は明瞭に区別しておきたい。

「イイコチャン」なので、とか「判っているけど」そういった全体の
視線や言動が、何一つ不法行為や不正義を許している現実には抵抗
すべきだと思います。
(上・写真)世界で最も、小範囲の空間に、残置された不要・無用
の『標識テ−プ・モドキ』と不法ペィント
(2009年・全て回収されていました)
私は、この十数年間の『六甲山・範囲』での、山行中に明らかに、不法だと判断した個人と数人グル−プの男性ハイカ−達に、貴方達の行為は「違法で無用」だと、はっきりと現場での、行為を注意・批判して来た。全ての実例で、遭遇した人達の年齢層は、高く。社会的には、分別・常識を弁えた世代と呼ばれる年齢に達した人達だ。登山レベルやキャリア、一般社会での職業や経歴や、立場。そして学歴や職業上の功績などは、この現場での行為に関する、弁明の役には立たない。自分達の「所属・山岳会名」や「氏名」は、決して示さない。

警察・法的な拘束力とは別次元での「山での自由・活動」や「趣味の山歩き」を、盾に決して自分達の「非」は認めない、これらの現場で発見した人達は、個人的に見れば悪人とも思えない。

彼らが、何故?と、毎回ながら思うが、身勝手さ。理由の不合理さ、自然保護に関する知識の欠如と、自分達の行いが、他者の利益に繋がるという勝手な思い込みに、関しては共通していると感じる。

毎回、他者が周りにいるか、私に同行者が、存在する場合は悔しいが、私も一瞥を投げ掛けて直接の会話は控えて、素通りする。私一人の場合は、決して見逃さない。危険は承知での、批判である。

喧嘩する気など、毛頭無いが『理屈・正論が通じない輩・連中』は、街中の若者だけとは、限らない。
山でも、人に対する『常識や良識が、決して通じない・危ない』人間は、増加している。
私は、20数年前から、その事を実体験として誰よりも、よく知っている。
Tuesday, February 12, 2008
幼児を抱えた親子連れハイカ−は、軽アイゼンさえも着用していず、子供会の集団は子供達の人数に比例して引率の大人達の人数は、あまりにも少ない。急斜面の通過で、危険を感じた子供達は動けなくて、狭い登山道では大混雑となった。登山者の中には、声を荒げて【子供会】の引率者を叱責する者も多くて、周囲は陰険な雰囲気に包まれていた。これが2008年の凍る滝シ−ズン最後に、なりそうな連休のヒトコマ。
明らかに街中で履くスリップオンのスニ−カ−・タイプのシュ−ズに、滑り止めとして靴下を被せて履いたり、細い梱包紐を数回、靴の上から巻いただけの様な、ごく普通の人達も入山して来るようになった。一瞥しただけで、明らかに雪の山には、不似合いだし危険だと感じる。
譲り合ったり、危険を回避する為に行動を起こそうとする登山者は少なく、危険度は倍増している。
2008年2月10日の裏六甲山【七曲滝】周辺
非常に狭い場所に大勢の『滝見ハイカ−」が集まり、集団・グル−プが無秩序に滝を見上げているので、後続のハイカ−が通行するのも難しくなっている。譲り合うと言う常識を、ここでは忘れたかの感があり、年代から考察して、やはり『見苦しいの一言』
有馬から、紅葉谷と分かれて白石谷に向う1本道、その途中の明瞭極まりない登山道・範囲の立木に無遠慮に、かつ無意味にペィンティングされた矢印。明らかに『自己顕示欲の表明』この種の、無法なペィンティングはスプレ−缶・塗料などを使用しているようで、悪いことをしていると言う意識を感じてしまう。この写真は2009年1月に撮影した。年々と、増加していて制止する術を思いつかない。
Thursday, 12 March, 2009
2009年4月9日(芦屋ロックガ-デン・地獄谷にて撮影)一昨年まで、異様・異常に大量のビニ−ル紐やテ−プ類や梱包用ロ−プ等を、立木に巻きつけたり、結んだ『一種の標識』=現実的には、ただの山中へのゴミの放棄・設置ですが、ひどい箇所には数メ−トル感覚、同一箇所に十数本も設置されていたり、明らかに異常で一種・病的にも感じる行為が見られていましたが、08年ごろから、回収する人達も増えて、こういった無用なゴミ的な設置テ−プ類が、減少し出して、今回は久しぶりに歩いてみると驚くほどにビニ−ル・テ−プ類が無くなっていました。

反対に、ペンキ・塗料、多分?扱いが容易で素早く簡単に使える『スプレ−・タイプの缶塗料』を使用して、登山道・周辺や時には足元・地面の路岩に『赤色・矢印』や、判別・理解不能な印や名前など、統一性や他者に理解してもらおとは、考えていないような『落書き』を、多数・書きまくっている人・人達が増加していて、これらの落書きを否定したいのか、重ねて他の塗料を塗る人も多くなり、全くの無秩序・状態。
共感とは言えないが、ある種の理解は可能な行為なのだが、やはり問題点は残る。赤ペンキの不法なペィンティングの上から重ねて塗料を塗っているのは、あからさまな赤色の目立つ部分への反感や敵意への意思表示かも知れないが、どちらにしても根本的な問題の解決には程遠く、木々への悪影響や不法な行為への抑止効果は期待出来ないと考えられる。確かに、樹皮を削ったりして痕跡を消すよりは、少しはマシかも知れないし、赤色塗料よりは目立たないかも知れませんが、個人的には賛成する立場に立てない。90年代から、急速に似たような行為が増加し、2009年4月9日に風吹岩から、歩き山頂への途中や荒地山・方面・範囲で特に増加中。立木の樹皮に、傷を付けて矢印をマ−キングするパタ−ンは、かなり古くから目撃している。
プログの方にも、個人的な感想や意見?を、少しばかり感情的と受けれ取られるかも知れませんが書いておきましたが、これほど乱暴・不法で山の世界で嫌な気分に陥る『落書き』を、六甲山・範囲で目にした事は始めででした。2009年に発覚した『落書き事例』の、神戸新聞・記事では本当の現場状況は理解されない。
Saturday, 11 April, 2009
明らかに『怪しい』本来の登山道とは違う、勝手に山地を改造?切り拓いて?身勝手に大人の遊び場・秘密基地・感覚なのか?コヤガケ・モドキ????を作っているようで、登山道から一瞥して写真だけを写している。現場を見る気にもなれない。小学生なら、いざしらず、これは山中で行われている立派な犯罪行為と呼んでも、構わないでしょう。自分達さえ良ければ、楽しければ、そんな感覚での行為は異常です。
2009年4月 わずか2週間範囲の時間の中で、芦屋ロック・ガ−デン(地獄谷)の中の、同一箇所で執拗かつ、頻繁に行われている行為は、これまでの登山コ−スでの進行方向の表示や、道迷いを防ぐ為の標識などとは根本的に異なる、完全な個人の意思表示だろう。確かに、滝横を自然に登るコ−スの僅か数メ−トル横に、不自然な梯子を設置して、誰でも通過できるようにしている現実に、不快感や抵抗感を感じる人達は存在する。私も、不自然に滝コ−スの周囲に無秩序に登山道を切り開き、トラロ−プや梱包紐を張り巡らし、過去から残って来たコ−スとは全く違うコ−スを作っている人達に違和感よりも、反感を感じてはいるが、その意識や自分の感情を山の中に形として残すと言う行為は理解出来ない。明らかな自己顕示欲、自分の考え方は正しいと言う表現が『落書き』というのは、やはり異常かつ異様であり、何かイビツな感情発露としてしか見られないと思います。入谷するごとに、日増しに増加する赤ペンキでの『落書き』
Monday, 11 May, 2009
神戸新聞に、これらの不法なペィンティングが記事となってからの、更なる蛮行。どのような反論意見が、あろうとも、抵抗を示したくとも、このような行為は許しがたく、街中の店舗類のシヤッタ−や歩道、架橋や公共交通・施設や車両で多発傾向が見られて、社会的規範と法律的に許されていない『犯罪行為』と、全く同種の行為と言えます。落書き、行為は山中と言えども、明らかに不法行為であり、誰であろうと許されない行為です。

短い期間の中で、繰り返される異常な『落書き行為』 『過剰なマ−キング』等と言う表現を使用すること自体が、おかしい。

歴史的な価値や、地名や固有の名称を正しく知らない上に、幾つかの設置物では、地形・位置的な知識も欠如した設置者は自身の勉強不足や思慮の無さを、山中にて表明しているようだ。

誰かが、落書きの消去を試みた痕跡。多分、ワイヤ−・ブラシ類で、擦ったのかも知れないが、中途半端である。しかし、個人的に心情は理解できます。

ここまでするとは、短い段差の岩場に片足が半分ほど入る『穴を穿った』現場。異常な行為としか言いようが無い。

かなり個々の違った不法行為に携わっている人達が、存在する事が推察されます。場所によっては、個人や少人数ではなくて、ある種のグル−プが違法行為に関わっている可能性もありそうです。逆に、これらのゴミ類を回収して歩いている人達も、この数年は増えてもいます。
明らかな国立公園法に違反していますし、規定や制限が無くとも、個人の所有地ではないはずの場所での、この主の行為は完全に常軌を逸しています。とても、大人・年齢に見合う行為とは思えません。ここも、個人レベルでの違法行為の現場とは思えないので、関わっている方は多いかも知れません。
以前から、似たような『不法ペィント箇所』に、他の色のペンキを重ね塗ったり、立木の樹皮を剥がすと言う乱暴な対処の仕方を見受けていましたが、2009年5月から、これらの更に、問題のある行為が目立ち、現場も増加中。各色の使用状況から、個人とは限らないようです。見え難い場所でも多数発見されます。
芦屋ロックガ−デンの地獄谷を登り詰め、尾根に出る少し手前に残された透明なシ−トに消えかけた文字を読むと、『私は山に生えている木です。生きて成長する私に無造作に巻かれた標識テ−プは、苦しい、せめて、ゆるく巻いて下さい。そういった意味が書かれていました。これを設置された方の心情は私と同じです。文字は消えかけていましたが、伝えたい気持ちは充分に理解出来ます。このシ−トの付けられた木にも、その周辺にも多数のペンキ、中には樹皮を削り取り、マジックインキで訳の分からない、地名の表記とか、針金が食い込んだ枯れ出した木とか・・・・数メ−トルの距離には、立派な公設の地形表示の看板類が完備している場所で。

2009年5月15日(撮影) この辺りまで落書きが増加している

誰かが、落書きの消去・作業を行なっているようです。数日前に見たときとは、かなり毒々しい色が消え出しています。

5月15日 つい数時間前に作業をしていたように感じる『落書き消去』多分?ワイヤ−・ブラシで擦り落としているのだろう、地面に飛散したペンキの粉は、まだ湿っていず、つい最近の作業だと感じた。消すのが一番。

比較的、利用者も少ない『荒地山・東側』にも、落書きが増加している

芦屋ロックガ−デンの範囲で、過去から最も名称が知られていて入口の『ゲ−ト・ロック』と、同じく入門者・初心者レベルの人達もロッククライミング気分が、手軽に楽しめ、かつ眺望も素晴らしかった岩場として、この『ピラ-ロック』は、地図上に名称が記載されていて、特別に『名称・表記の看板』などが、設置されることなど無かった。

震災で、かっての姿を失ったが、位置が変わった訳でもなく、地図からも場所が判断できるだけでなく、場所の特定は容易な岩場跡で、あったので間違った位置の、崩壊箇所の岩に『ピラ-ロック』の表記看板が設置されたのは、一種の驚きでも在った。
設置を発見後、しばらくは静観して、見ていた。設置グル−プが、必ず正式の場所に変更させると考えたからだが、いくら待っても正しい位置・場所に戻さないので、私が回収後本来の岩場下に移動させた。

個人的に、この看板が必要だとは思っていないが、撤去する事もないとの判断だが、この表示板を設置した人は、全くロックガ−デン周辺の、地形も歴史も、理解していないようだ。


一時期、無責任なプログ情報やクチコミでの
知識として、この『ピラ−・ロック』が、本来は
存在していた場所が間違って知られ出してしまい。間違った位置の表示・看板を写真・記述で
説明したり、記録を書く人達が増加。
今、現在も正規の地形を誤って、他の人達に
教えている人達が存在している。
こういった無用な山中に放置、設置される『標識モドキ』の、問題に関して登山・関係の雑誌などでも問題提起されたのは、関西でならば『山と渓谷』別冊の『関西ハイキング/99年の春号』が最初かもしれない。
御在所岳・裏道 最初に発見されたのは90年代の、後半時期なので、かなり批判を受けていたが、全国的に見て、最近では、この種の表示を歓迎する登山者も増加。
北アルプスの稜線と、混同でもしているのか、穂高の稜線の岩に印された赤ペンキとは本質的に異なる。これらの表示に設置者は責任を負っていない。無言の表示に、確実な保証は決して無いし、途中で途絶えたり、間違った表記が印されていても、これも誰も責任を負わない。本人達にしか理解出来ない、表記には他の人達への、善意を全く感じない上に、最近では危険な箇所へ誘導しようとする悪意さえ感じる、場所も存在し出した。
(下・写真)百丈岩から、鎌倉峡に急激に増加し出した、表六甲・範囲と同種の無意味で誰の役にも立たない落書き。
2006年〜2007年、百丈岩には季節を問わず、頻繁に通っているのだが『鎌倉峡』に入るのは、新しいエリアの開拓に着手し出した、2006年の春まで奥部の渓流域の状態を見る機会は少なかった。

この辺りも、表六甲の一般的なハイキング・コ−スと同じ様に、ペンキを使用した無用な『落書き』が増加していて、標識?テ−プ類も年々と増えていた。
2007年4月に撮影 『鎌倉峡』コ−ス内には、数多くのゴミが残置されていた。2008年5月初旬に再訪すると、昨年より回収された形跡が見受けられて、登山道のゴミ類や河原の漂着物も減少し出しているようだった。しかし、下・写真の様な立木に残置された年月を経て汚らしく変化した、標識モドキ?のボロ布や変色して枝に付着したようにしか見えないゴミ類は、依然として多い。それでも数年前に比べると、清掃、回収を積極的に行ってくれているハイカ−は増えているようだった。
2009年5月25日 撮影
『甲山』周辺での、公園整備・事業が一段落し、これまで駐車スペ−スやトイレ施設も完備していなくて、滅多にハイカ−が訪れることも無かった北側の仁川渓谷・上流域に容易く、誰でもが入ることが出来るようになったので、最近では以前の静けさや、奥まった山の雰囲気が消えてしまった。こんな場所にまでと言う、渓谷・奥にまで落書きが。そして、10年以上も前から怪しく見ていた、渓谷の『コヤガケ』は、見るも無残な形で朽ちて放置されている。09年05月25日 月曜日
『落書きの除去作業を終えて、まだペンキの痕跡は残るものの、かなり元の状態に戻りつつある 2009年10月
奥高座・方面の登山道の露岩の汚らしい『ペィント落書き』は除去作業の、おかげで、かなり綺麗になりつつある
Tuesday, 13 October, 2009