大好きな『六甲山』に関する私の、お勧めプランとガイド・アドバイスこれまでに公表した雑誌・新聞、記事などの記録も含めて公開 |
『六甲山』の自然環境は、随分と変りました。この写真の六甲山・東端の『甲山』も以前には植生の乏しい本当の「禿げ山」でした。昭和30年代の空撮・記録の一枚から。私は、この山の麓で幼少期から過ごして来たので、この周辺の自然の破壊や環境の変化を誰よりも、良く知っています。 |
四季を楽しむ『ベスト・ハイキング・セレクション』関連・情報 |
思い入れの深い『山』です。資料を整理しながらノンビリと制作進行・予定
『震災で崩壊・消失してしまいました』 多くの登山者が、この上に立ち感動も味じわいました。 |
震災以前の、これが『ピラ−ロック』と呼ばれ,親しまれていた岩場です。 震災後に『万物相』辺りに歴史的な、地名や名称を無視して勝手な『名称・看板』等を、設置している方が、いますが・・・ 山史とは、言いませんが少しは過去からの恩恵を考えて欲しい。 |
『芦屋ロック・ガ−デン』各・岩場の正式な伝承・名称と 位置に関して最も、信頼度の高い『情報』を紹介します |
プロガイド舟橋・執筆『六甲山の岩場・情報』 |
プロガイド舟橋・執筆『六甲山の沢・渓流・情報』 |
意外と知られていないのですが、地元『関西』にも『山と渓谷・編集部』が存在していて関西・範囲、独自の情報を発信。山関係でも良い、書籍・ガイドブックを発行しています。下(写真)の書籍も、その『関西ヤマケイ』の代表的な優秀ガイド『六甲山』関係の集大成として、ぜひ一読を薦めます。 |
特に『ヤマケイ関西・別冊山と渓谷・六甲山』は、絶対に持っていたい特集号です |
2006/04/04 (火) 2:06:37
ピラ−ロック |
1983年10月31日(撮影) |
国内「ロック・クライミング」発展で重要な山であり バリアフリ-登山に関しても最も、初期から活用 された山域としても注目を集めている。 |
『自然災害』の現場を知らない。観念的・イメ−ジのみの自然保護・論者と 『砂防』『土砂流出・災害』等での意見は私は違う。 |
2006年 『六甲山』 『こんなイベント情報』 |
『砂防堰堤』と呼ばれる構造物 を嫌い、批判する人達は多い。 特に「沢を楽しむ」登山関係の 人達に、その傾向は強く、私も 無用・不要と感じる場所にある この山中の、コンクリ−トの堰堤 に楽しい想い出を持っている訳で は無いが、防災という観点からは 絶対に必要な箇所は存在する。 できれば必要だと言う「箇所」の 建設には、誰にでも判るような形 で、説明責任は行って欲しい。 ある日、突然に建設される今の 方法は、理解されないだろう。 利権や怪しさが、漂う山中の工事 や、生態系の破壊や長期的に見 て、それが本当に『必要』なのか を提示する責任が、作る側の行政 には求められている。 |
ここが、かってと同じ『場所』だとは思えないほどに変貌、甚だしい(写真)が、現在の『万物惣』 |
数年間、誰かが勝手に設置した『名称を掲示した、看板』が、全く違う岩場跡に設置されていた。しばらくは放置していたが、あまりに多くの登山者・通行する人達が間違った『岩場の名称』を、使い始めたので本来の 『岩場・名称』場所に、移動させた。放棄すべきかも知れなかったが、それは行えなかった。設置者は最後まで、まちがっていた事を知らずに過ごしているのだろうか。 |
2008年2月、今度も『芦屋ロックガ−デン』入口とも呼べる地獄谷の『ゲ−トロック』下に、(下・写真)の看板が設置されていた。岩場の呼称、名称『ゲ−トロック』は正しいが、山岳救助の為の呼称?という注釈が書かれていて、この注釈に関しては、かなり問題。大正末期に岩場に名称が付けられてから、誰が『救助用・呼称』として使用したのか、今現在・六甲山・範囲で設置されているナンバ−標識の、設置物と同一視しているのは確かだろうが、歴史的な経緯を無視して、勝手に名称の説明は大きな間違い。 |
2010年10月10日 (撮影)ピラ−ロックも年々と木々が生い茂り出して、真下から以前の形状を思い起こすのも難しくなり出した。特に震災以前の『形状』を知っている、登山者も少なくなり出したので、最近も訳の判らない『地名・間違いの看板/標識もどき』を、勝手に残していく者が現れ出した。 (下・写真)風化箇所の浸食よりも先に、植生の問題で、この辺りの地形は変化し出しているようだ。 |