大好きな『六甲山』に関する私の、お勧めプランとガイド・アドバイスこれまでに公表した雑誌・新聞、記事などの記録も含めて公開
『六甲山』の自然環境は、随分と変りました。この写真の六甲山・東端の『甲山』も以前には植生の乏しい本当の「禿げ山」でした。昭和30年代の空撮・記録の一枚から。私は、この山の麓で幼少期から過ごして来たので、この周辺の自然の破壊や環境の変化を誰よりも、良く知っています。
まずは『六甲山』の話しをするなら芦屋ロック・ガ−デン地獄谷から国内アルピニズムの歴史を感じ、記憶を辿る岩尾根からの「風吹岩」へ。ここを楽しまなければ、六甲山の魅力を知らないのと同じ。
何冊もの雑誌・ガイドブックにTV等で、紹介していても本当は、歩きに入らなければ真価は見えない
『朝日・関西ワイワイ 特集記事』 女性の為の山歩き『魅力の六甲山』
四季を楽しむ『ベスト・ハイキング・セレクション』関連・情報
『新聞・雑誌』六甲山・関係の情報提供・ガイド記事・関連情報

思い入れの深い『山』です。資料を整理しながらノンビリと制作進行・予定

『六甲山の渓流』沢登り・キャニオニング・子供達の遊び場としての川・情報
『講習会・利用』の渓・滝を主にセレクトして紹介・ガイドしてあります。
『震災で崩壊・消失してしまいました』 多くの登山者が、この上に立ち感動も味じわいました。
震災以前の、これが『ピラ−ロック』と呼ばれ,親しまれていた岩場です。
震災後に『万物相』辺りに歴史的な、地名や名称を無視して勝手な『名称・看板』等を、設置している方が、いますが・・・
山史とは、言いませんが少しは過去からの恩恵を考えて欲しい。
冬季『限定の凍る滝』観賞ハイキング情報
『六甲山で『アイスクライミング』情報
『芦屋ロック・ガ−デン』各・岩場の正式な伝承・名称と
位置に関して最も、信頼度の高い『情報』を紹介します
ロッククライミング国内・発展の山としての『六甲山』
RCC(ロック・クライミグ・クラブ)創設地
『六甲山』の魅力と楽しみ方(幾つかの新聞情報)
『ガイド・スタンス・登山考現象学』辛口・批評
『六甲山』から見える、登山者の意識と行動・問題
プロガイド舟橋・執筆『六甲山の岩場・情報』
プロガイド舟橋・執筆『六甲山の沢・渓流・情報』
意外と知られていないのですが、地元『関西』にも『山と渓谷・編集部』が存在していて関西・範囲、独自の情報を発信。山関係でも良い、書籍・ガイドブックを発行しています。下(写真)の書籍も、その『関西ヤマケイ』の代表的な優秀ガイド『六甲山』関係の集大成として、ぜひ一読を薦めます。
特に『ヤマケイ関西・別冊山と渓谷・六甲山』は、絶対に持っていたい特集号です

2006/04/04 (火) 2:06:37

忘れられた『古仏巡り路』 新聞・連載、執筆案内で紹介
ピラ−ロック
1983年10月31日(撮影)
2006/04/26 (水) 12:52:52
国内「ロック・クライミング」発展で重要な山であり
バリアフリ-登山に関しても最も、初期から活用
された山域としても注目を集めている。
『自然災害』の現場を知らない。観念的・イメ−ジのみの自然保護・論者と
『砂防』『土砂流出・災害』等での意見は私は違う。
2006年 『六甲山』

『こんなイベント情報』
『砂防堰堤』と呼ばれる構造物
を嫌い、批判する人達は多い。
特に「沢を楽しむ」登山関係の
人達に、その傾向は強く、私も
無用・不要と感じる場所にある
この山中の、コンクリ−トの堰堤
に楽しい想い出を持っている訳で
は無いが、防災という観点からは
絶対に必要な箇所は存在する。

できれば必要だと言う「箇所」の
建設には、誰にでも判るような形
で、説明責任は行って欲しい。

ある日、突然に建設される今の
方法は、理解されないだろう。

利権や怪しさが、漂う山中の工事
や、生態系の破壊や長期的に見
て、それが本当に『必要』なのか
を提示する責任が、作る側の行政
には求められている。
『六甲山』予備・知識
(順次・加筆しています)
ここが、かってと同じ『場所』だとは思えないほどに変貌、甚だしい(写真)が、現在の『万物惣』
数年間、誰かが勝手に設置した『名称を掲示した、看板』が、全く違う岩場跡に設置されていた。しばらくは放置していたが、あまりに多くの登山者・通行する人達が間違った『岩場の名称』を、使い始めたので本来の
『岩場・名称』場所に、移動させた。放棄すべきかも知れなかったが、それは行えなかった。設置者は最後まで、まちがっていた事を知らずに過ごしているのだろうか。
2008年2月、今度も『芦屋ロックガ−デン』入口とも呼べる地獄谷の『ゲ−トロック』下に、(下・写真)の看板が設置されていた。岩場の呼称、名称『ゲ−トロック』は正しいが、山岳救助の為の呼称?という注釈が書かれていて、この注釈に関しては、かなり問題。大正末期に岩場に名称が付けられてから、誰が『救助用・呼称』として使用したのか、今現在・六甲山・範囲で設置されているナンバ−標識の、設置物と同一視しているのは確かだろうが、歴史的な経緯を無視して、勝手に名称の説明は大きな間違い。
Monday, February 25, 2008
2010年10月10日 (撮影)ピラ−ロックも年々と木々が生い茂り出して、真下から以前の形状を思い起こすのも難しくなり出した。特に震災以前の『形状』を知っている、登山者も少なくなり出したので、最近も訳の判らない『地名・間違いの看板/標識もどき』を、勝手に残していく者が現れ出した。

(下・写真)風化箇所の浸食よりも先に、植生の問題で、この辺りの地形は変化し出しているようだ。
10年10月10日 日曜日