我に5月の空を |
1984年5月8日 『北摂・山系・惣河谷・奥壁』フリ−クライミング・ル−ト開拓・記録 |
『CLIMBING JOURNAL(1984/1) 9号 CLIMBING REPORT) |
これまで、一般的に『裏六甲山系の岩場』として紹介される事が多かった
「惣河谷・奥壁」だが、武庫川を境に、中山連山・及び、その西北に位置する「奥壁」を含めて周辺の山々を北摂連山と呼ぶ方が正しい。惣川谷・自体も本流では無く、支流の上部に壁が位置する事から、ここでは『北摂・山系、惣川谷・支流の奥壁』とした。
不遇な『岩場』の筆頭に上げられる。 『山と渓谷』紙面に、一度「岩場案内」が出たが 六甲山の岩場として紹介されていた記憶があるが 位置的に六甲山・系と呼ぶのには無理がある。 |
私が初めて、この『岩場』に手を触れたのは1969年 噂は大阪のクライマ−から聞いていた。 『百丈岩』よりもスケ−ルがあると・・・・・ いつもの様に期待に胸膨らませて。 当時の私達には、確かに大きなゲレンデだった。 アプロ−チの渓流と滝も楽しかった。 終了点で自衛隊・隊員と出合ったり、クライミング中に 『土砂崩で死ぬかと思ったり』豪雨の中・滝の様な ルンゼ・クライミングを体験したり。 面白かった。宝塚から毎回、歩いて入渓して滝を越えて 見上げる、この『岩場』には思い入れも強い。 最近は見に行っていない、久しぶりに遊びに行こうと考 えている。 |
岩場としての規模・スケ−ルは『六甲山・範囲』の岩場よりも大きく、岩質も比較的・風化の影響を受けていない緻密な花崗岩で、大きなルンゼ状・岩壁として内容も他に無いものを持っている。 岩場全体は『急峻なルンゼ』と形容して良く。フリ−クライミングの対象としての環境を有していたが、70年代までに開拓されたル−トは3級・程度までのフリ−・ル−トが存在するだけで、訪ねて来るクライマ−の多くはエイドを含んだル−トを選ぶ事が多かった。私がフリ―化を目標に入谷して、3本の新しい『フリ−・ライン』を開拓しても再登者が多くなった、岩場ではなく。現在ではアプロ−チの問題もあり、殆どクライマ−が訪れる事は無い様だ。 |
『情報』としては、最も初期に岩場のル−ト紹介・ガイドとして役立つ記述は『山と渓谷・日本の岩場シリ−ズ・ゲレンデ編79番』に『豊田陽一・氏』が書いた解説が、最も役立つ・ものだと思われる。 |
2006/04/07 (金) 9:27:05
落石には細心の注意が必要な岩場 |
1981年(撮影) |
2002年ごろから、かなり遠方の方達から『武庫川・流域の岩場』の一つとして、この岩場に関しての情報を問い合わせて来る方が増え出した。『武庫川・流域』の範囲に加える岩場としては、少し位置的に無理があるし、これまでに『裏六甲山・範囲の岩場』と説明されている事にも、個人的には違うと言う意見を持っているが、今更『北摂山地の岩場』と変えるのにも、意味も無く、説明上の慣例に従って『裏六甲の岩場・武庫川・支流の奥壁』と言う説明でも構わないと感じている。この岩場は現在ではクライミングの対象として手軽に入山するのは困難で、アプロ−チ範囲は実は、無断で立ち入ることは本当は禁止されている。 70年代から80年代には今の様に土砂搬出の範囲も、渓流に迫っていなくて渓流が岩場へのアプロ−チとしても、個別の『沢コ−ス』そして、奥壁に接する滝群も面白い練習場所だったので、クライミング目的とは違う遊びでも、登山者の姿を見ていた。そして岩場・終了点の土砂も比較的、安定していて中央ルンゼ最上部・意外は立木・潅木により土砂の落下も抑えられていたが83年の台風の被害から、終了点からの落石・土砂の流出が危険となって、アプロ−チの問題と共にクライマ−の利用も極端に減少。 |