『兵庫県・○○湖・周辺の岩場』
1980年代の前半期に、人造湖の北側に造成された『モビレ−ジ○○』別荘地に仲間の一人が、家族用の
こじんまりとした『別荘』を所有していて、神戸周辺から西宮・尼崎の若い仲間達と、機会ある毎に何かと
使わせて頂いていて、その当時の若い連中と周辺の岩場・探査と小規模な岩場で、クライミングを楽しんでいた頃には、この地域・山域で、クライミングが行なえる等とは誰も考えてもいなかったようで、幾つかの岩場は毎回、私達意外に登山者も含めて、他のクライマ−の姿を見る事は無かった。雑誌を含めて、この周辺にはクライミング対象の岩場などは皆無・存在していないと、神戸・大阪の登山者が見向きもしなかった頃なので、別荘を中心に車道から確認できるような『新しい岩場』の発見が続いていて、その中には『岩場』までのアプロ−チを見つけられずに、無駄な山歩き、藪コギで時間を無駄にしたまま、今現在も岩場に、たどり付けていないものも数箇所・残したままだ。

最初に『別荘地』近くの、東篠湖・周辺で発見したダム下に位置する右岸の大きな岩場は、開拓の為に支点を設置したりせずに利用していて、そのうち時間と仲間を揃えて『エリア』として、開拓する予定だったのが、少し再訪する時期を失っている間に、取り付きまでの敷地に大きな宗教施設が建設されたり、ダム管理の体制が強化されたりと、幾つかの障害が生じて結局は、その後に開拓の手を触れずに、忘れられてしまった

『○○湖』への古い幹線道路から、年々その「岩場」南側に、開発が進む『別荘地』を眺めていた特徴的な幾つかの岩場へも、アプロ−チ確認の為に入山してはいたが、初期に気楽に山服斜面からトラバ−ス気味に、使用出来ていた潅木斜面も今では、立派な『造成地から別荘地』へと変貌していて、岩場に触っていない。

82年頃に、何か他の山行予定が都合で中止になったのか、使わせて貰っていた別荘所有者の若い友人を引き連れて、前々から気になっていた『岩場』の偵察に入り、メイン岩壁・下に位置する渓流・奥の壁でル−トを1本、拓いた記憶が残っているが、その時に撮影した写真は紛失しているようで、記憶の方も何故か殆ど残っていない。周辺の小規模な岩場とは異なり、それなりのスケ−ルだったと、それだけは覚えているのだが。

2006年も師走に近づいた、ある日に記憶を頼りに、その『岩壁』を探してみた。
そして、ここは機会を作って、来なければならないと感じた。詳しい場所は秘密です・・・・
この周辺に足を向けていたのは、ほんの僅かな期間で、その後は・すっかり岩場として本格的な開拓や
他の岩場を探す、時間は取らなかったが、最近になって『三草山』の石切り場・跡が一つのクライミング・エリアとして記録も公表されて、手軽なフリ−クライミングの場として知られだしたので、再び『三草山』周辺と
隣接・地域的にも程近い、この昔の遊び場を思い出した。
(左・写真)1980年〜82年に東篠湖、近くの別荘地
へ向う道路・横に見つけて来た岩場を若い友人達と
一緒に、登りに来て半日・遊んだ『岩場』
多分?畑と河川の改修工事で山肌を削り取った跡
なのではないかと思われるスラブ状の岩場で自然
状態が半分以上は残されていて、左右の岩場に人の
手で削られたような雰囲気が残っていた。

岩場までは車を降りて徒歩3分・程度。

この頃は、周辺の立木の高さも低く、車道周辺には
障害物や小屋なども存在していなかったので、車道
を通過中に見ていた登山者やクライマ−も、いたと思
われる。

何本かのの「リング・ボルト」を残置してある。
その後、仲間達が何度か利用していたと聞くが私は
最初に数本のル−トを拓いた後に、この小さな『岩場』
に立ち寄った記憶が無い。

数本のル−トは、当時・当然だった下から上への
基本スタイルでのル−ト開拓。
Monday, January 08, 2007
記録・資料を整理後に情報追加の予定
Wednesday, 08 April, 2009