個人単位・家族参加や少人数の参加者で集まるタイプの企画と、少し違った様々な活動や意識を、持った『組織・グル−プ』が、チャレンジド支援で合同で集まる企画。これを、私は『ジョイント・プラ』と呼んで、私の交友関係の中で積極的に企画・実施しています。難しい事では、決してありません。意外と簡単な企画です。 |
視覚障害者のハイキング・クラブと神戸コ−プ主催の子供達のボランテイア活動『地球子』達に、私のガイド講習の参加者を支援メンバ−に、加えて。西宮市の森林公園から「甲山」その、山頂での簡単な野外料理『昼食』を組み合わせて、伊丹のネィチャ−ゲ−ム協会から、指導者を派遣して貰って山頂で遊ぶ。ハイキングは北山公園から阪急『甲陽園』まで、公募ボランテイアの青少年も参加して、企画を実施。サポ−タ-には、アウトドア情報センタ−所長の下条氏も、加わった豪華スタッフだった。
ハイキングと「野外料理」これに、誰でも自然の中で楽しめる『ネイチャ−ゲ−ム』等の、遊びを加える企画で実施します。
山の経験が長い仲間がいると、こんな風に頂上でも
簡単に美味しくて、子供達も喜ぶメニュ-が作れます。
西宮市の『甲山』山頂での参加者・集合写真 |
甲山を下り。満開の桜を眺めながら北山貯水池から、丘陵部へ
サポ−トは子供達が交互に行う。大人のメンバ-は、それを補助するのがこの企画のパタ−ン。
小さな子供達に、とっては非常に緊張する体験でもあるので視覚障害者の人達にも、その感覚や緊張はダイレクトに伝わるが、周囲からの確実なサポ−トが、あれば大丈夫。
西宮市の甲山周辺は手軽なハイキングに適したコ−スの宝庫。この種類の「企画・実施」に最適環境 |
障害者メンバ−の方達には、サポ−トに慣れない子供達の誘導や補助で、御苦労・不安の負担を我慢して頂く部分はあります。それでも、子供達が実際の『体験を積む』機会を得られる事にも、意味がある事を理解して、我慢してもらっています
公園や交通機関でのサポ−ト体験の機会
は徐々に、増え出したが実際のハイキング
や、生活環境で緊張関係を持ちながらの
支援プログラムの機会は、少ない。
『ボランテイア専門の団体が公募して集めた。一般の支援メンバ−の多くは学生達だったが、この活動で最終地点となる駅で、解散のイメ−ジが強かった為か、改札から駅・そして帰宅の為の電車の乗り降りまでサポ−トが必要だと言う事が、理解できないのか?気が付けば、殆どの学生たちが先に帰ってしまった。 |
『公募ボランテイア』の活動の難しさを見た思いがあった。コ−ディネ−タ−や、支援・参加のメンバ−に悪気が、あった訳では無いが。やはり、ある種の常識や、活動への理解が何か欠けているとしか思えない。この辺りの、感覚を説明するのは難しいが、説明しておかなければ、ならない範囲だと考えるのも何か悲しい。
『六甲山・東お多福山の山頂』個々で、実施した『ジョイント・プラン』でも、伊丹ネイチャ−ゲ−ム協会や尼崎の青少年本部メンバ−や、公募募集で集まった「ボランテイア参加者」が大勢加わった。企画内容は充分に、多人数で活動できる範囲だが。人数が多ければ、良いと考えるのは組織の論理で、私は活動の価値を参加者の人数だとは考えていない。 |
子供達には『ゲ−ム』等の、楽しみや遊びが
必要な部分は、あるが。
チャレンジド参加者が加われなければ、あまり意味がない様にも感じる。代わる企画や活動を工夫する必要も感じ出した。
サポ−ト講習と考えれば『野外料理』を企画内容に加えるのに、大きな意味は無い。 短い『体験・機会』の、時間でも良いと考えていたが、一日を苦労も緊張感も含めて共に過ごす 『機会』には、何か楽しみや、遊びの部分も必要なのでは、そういった意識の中で事前準備や装備、費用で負担が増えても企画の中に「野外料理」を加える、価値がある様に思う。 |
『ネィチャ−・ゲ−ム』が、妥当な選択肢なのか?インストラクタ−のスキル能力も大切だが
基本的には担当者のパ−ソナリティ−が最も
重要なのだと、思っています。
こちらは同じ六甲山・範囲でも少し手軽なコ−ス『仁川』から森林公園 〜『甲山』を経由して、北山緑化・植物公園を抜けて阪急『甲陽園』まで神戸コ−プの『地球っ子』グル−プの子供達をメイン・サポ−タ−として実施 |
エスニック風インドネシアの『揚げバナナ』 を野外料理メニュ−に、少しばかり簡略 クッキングで山上で子供達にも提供 |
昼食のメインは韓国チヂミ |
2006/04/04 (火) 17:53:07
山桜とつつじ、が咲き並ぶ季節は ハイキングに最適。 仁川の『地滑り記念館』から甲山・森林公園までの区間はサポ−ト体験のコ−スとしては安全で使い易い。 |
この種類の『企画』は実施・主催者 の考え方や、交流範囲のジャンルや 仲間達の顔ぶれで、内容が変る。 それに大人社会の悪習慣なのか 『社会貢献とかボランティア活動』と 名が付けば、何かしら成果に反映 できると書類を書きたがる連中も声を かけて来る。 私は、そういった書類や成果の公表に 特別な興味は持っていない。 |