『山と渓谷』BOOKS欄・書評にて掲載 |
製作進行中 |
『記録・未発表』穂高岳の岩場は、かなり詳細にガイド・ブックや専門誌の記録や紹介記事により解説、紹介されて来たので、一般的に知られていない岩場やル−トが存在している事を、知るクライマ−は少ない。 |
穂高岳・周辺には数多くの『岩場』クライミング・ル−トが開拓されているが、全ての『情報』が公開・公表されている訳ではない。ガイド・ブックや雑誌に紹介されている『遊び場』以外にも、多くのエリアとル−トが存在している。 |
顔見知りの『常駐隊メンバ−』から、望遠鏡で監視?されながらの『ル−ト開拓』居候達は皆、若くて装備は乏しかったが情熱があり、元気だったので数度この未開拓な『岩場』に引き連れて、クライミングを楽しんだ。ここも、記録を公表することも無く『記憶』にだけ残す私の開拓ル−トの一つ。 |
穂高岳にも、稜線上の岩場や『ジャンダルム』に、柱状節理を見られる岩場は点在しているが、ここほど顕著に垂直のクラック・システムが存在する『柱状節理の岩場』は、少なく『穂高の岩場』の、中でも面白い課題を提供してくれる。僅かに先達・先輩達の記録を知る場所だが、まず他のクライマ−が訪れる事は無くて、現在では完全にクライマ−からは、忘れられているエリア。静かな環境と共に、数多くの解決を待つ『課題』が残されている。 |
5ヶ所の環境が全く違い『ル−ト』の、質も内容も異なる岩場。これらは情報を紹介せずに個人的な交友関係の中だけで、クチコミ情報としてのみ他のクライマ−に知られている程度なので、これからもプリミティブな雰囲気を残し、未開拓・発見の楽しさを残して、次ぎの来訪者にも少しは創造性と想像性のある『クライミング』を提供してくれると思う。ガ゜イド的には、そういった機会を提供出来るのは幸せ。 |
『登山体系』が、世に出なければ今現在、岩場の存在やル−トさえもが知られる事無く、記録も忘れられたであろう『場』は、穂高岳にも多い。重箱の隅・・と表現される『有名・岩場』が、同じ山域に点在していても、初登以後に他のクライマ−の手が、触れられずに忘れられた『場』は本当に多い。 |
残雪期『涸沢ベ−ス』の、一般ル−ト以外でクライマ−の姿を見る場所やル−トと、言えば『前穂高岳・北尾根』と『北穂高岳・東稜』数年に一度か?ごく僅かに『奥穂高岳へダイレクトに上がるルンゼ』等、本当に数本のル−ト以外に、クライマ−を見る場所は無くて、この時期ならではの岩と雪の『ル−ト』が、まるで他には存在していないように毎回、雑誌類には同じパタ−ンの情報と紹介記事が出回る。他にも面白い『課題』は存在しているし、組み合わせ方で楽しみ方は倍加する。そういった例の一つが、この辺りの縦走路に飛び出るミックス的なクライミングを楽しめる『古典ル−ト』岩が脆いが、それが登れ無いという理由では無くて、逆に良いトレ−ニングを積める場だとも考えられる。順番待ちの無駄な、待機時間や人為的な落石の危険、その他の問題が予測出来る時や、短い利用時間の中での使用に適しているル−トを知っていて、使えると私達ガイドには、ここを詳しく紹介したいと思えなくなる。 |
感覚的に、すっきりと『稜線やピ−ク』に抜け出られて、登って来た反対側の風景をクライミング終了後に満喫楽しめる『ル−ト』を、ガイドするのが個人的に好きだ。とっておき、と表現できる、まず他のクライマ−と同じ場で会わずにすむ『場』を、利用できるのも、一つの楽しさの提供能力。 |
30年〜40年、前の先輩達が今から考えれば、かなり古典的な技術 や用具で、苦心・苦労して乗り越えた数々の課題を、進歩・発展した 現在のクライミングで、楽しめないのは少し、おかしい。 |
『未開拓』と言う、表現は幻滅には正しく無いが、初期の開拓者達が 発見して、ル−トを開いて以降に他の違った視線や意識でのル−ト が開拓されず、質的にも内容的にも更に面白い課題を発見できる 『場』は、幾つも残されている。 既成ル−トを、再登できれば次に、自分達の発想や力で現在・利用 できる用具や技術で、新しい『課題』を設定、解決するのも楽しい。 ガイド的に、こういった機会を利用するのは事の他、充実し楽しい。 まだ『発見』の、チャンスは残っているし何時の時代のクライマ−にも 『創造性と想像性』を、発揮出来るオリジナル『課題』は、必ず見つかる それは、どの時代でも同じ事だろう。 継続、組み合わせる課題の数量は質的な『内容』と、共に無限。 |
『ピオラのル−ト』で、触発・感化?を受けたので、すかさず穂高岳で、場を発見して仲間達と開拓。当時としては中々の内容で 主稜線・上の格好の遊び場所。 |
大崩落、後からクライミング対象として使えなくなった古典ル−トの代表 |