【穂高岳・涸沢】  稜線の詩 【夢と希望の山々】

『六甲山の岩場』から、中学の1年の夏に初めて雑誌写真で見た『穂高岳』に、憧れを抱いていた。その、山で
青春の一時を、有意義に過ごせたのは幸運だった。アマチュアから、プロへの修業期間を長く、穂高の山々で過ごした。自分を鍛えた、最高のフィ−ルドでもあり、多くの参加者と感動や発見を共にした 『山』でもある。
81年ごろから『岳人』等に、穂高岳・周辺での
アルパィン・クライミング関係や岩場のル−ト・ガイド
の記事を、よく書かせて頂いた。
故・長谷川氏にも、雑誌社に推薦や、ガイド業務に
役立つと、御好意を受けれていた。

岩崎氏には、分不相応な『連載・担当』の機会も頂戴
して、稚拙な文章力に右往左往・勉強の機会を頂いた。
プロガイドとしての、経験の蓄積と、学習の『場』として
実に様々な講習生と山行を共にする、機会を得られた。

正に『山は私の、学校』と言えるでしょう。
プロガイドとしての、私との出会いやガイド企画でのクライミング講習や、実際の本格的な山でのガイド山行で、人と人との出逢いから、深まる『縁』が、生涯の伴侶との出逢い。

そういった、素晴らしい機会に繋がった
『山』で私との『縁』が、役立った例も数件。
良い想い出。
表紙・写真は私です
込み合う、残雪期の穂高で貸切ル−トで楽しさを
満喫。ここは『涸沢槍・東稜』クラシック・ル−ト
『プロガイド』としての、付加価値。貴方に誰も知らない『記録』も公表されていない本物の開拓・初登攀の機会と喜びを提供できます。プリミティブの言葉の意味を、体験できるでしょう。
穂高にも未知、発見の感動が待っています。先輩達の作り上げた、記録とル−トやコ−スでしか、ガイドの職務を行わないタイプと私は違う。
記録は公表・発表していない

『古典派』ル−トを知っている

忘れられたアルプス開拓期の名コ−スや、隠れた場所への
道も涸沢時代に走破した。

滝谷や、他の穂高の岩場で私の設置した
下降支点を利用した、人も多いでしょう。
このタイプのパラグライダ−を俗に『タンデム』と呼びます。二人乗りのパラグライダ−
日本国内では、多分?北アルプス・穂高岳・周辺での稜線や山頂からの二人乗り飛行
を行ったガイドは私が、最初でしょう。
私の、バリアフリ−企画での『穂高岳ガイド』色々な意味で思い出深い
視覚障害の少年との北穂高沢この時の記録は「日本テレビ系列の・今日の出来事ニュ−ス特集」で全国・放映された。
『六甲山』から開始したクライミングの基礎・講習から、年間の『スク−ル・プログラム』で5月〜6月は残雪期アルパィン・スク−ルで穂高岳のバリエ−ション・ル−トへ。
屏風岩・東壁ルンゼ下部アウトサイダ−・ル−トから継続クライミング開始時の写真・使用
阪神淡路・大震災、後の最初の復帰・ガイド山行も穂高でした
衣類などはICI石井スポ−ツ新大久保・店からの支援・応援品
【感謝】 岳沢・南稜から主稜線を縦走
様々なテレビ番組で『穂高』を登って来ました
今日の出来事・ニュ−ス番組・特集にて全国放送

2006/04/05 (水) 1:25:26

2006/5/4