『六甲山・東部・仁川渓谷』 『芦屋川』情報

ここは『六甲山』を、取り巻く環境・自然の保全や「身近な遊び場」を、考える上で私には、とても重要かつ、大切な【場所】です。

【仁川の自然を考える会】や【甲稜中学】そして地元の子供会や、小さくても活動に大きな意味を持った、幾つかの『環境・保護グル−プ』との出合い。そういった、地域の中で『仁川渓谷』の自然環境を真面目に、考える人達との交流・交友から様々な『渓流』を、使ったプログラムが生まれました。

私自身も、小学校4年生の「夏」から、この西宮市に残った自然環境を使って遊んでいました。当時は、殆ど農業・用水を引き込む水路の掃除に、時々・農家の人達が交代で訪ねて来る以外には「ハイキング」や、渓谷の『岩場』を登りに来る、少人数の登山者の姿・以外を渓谷の中に見る事は無く。現在の様に、住宅地が山腹斜面や尾根部に建設されていませんでしたから、いたって静かな渓流の中は白砂・底の綺麗な水流と共に、子供が夏に、ちよっと冒険・気分で泳いだり。冒険心を満足させるのには、最適な「自然環境」を残していたものです。

山・登山と呼ばれる「遊び方」の、世界とでも呼べる環境に長く携わっていると、『六甲山』に、代表される様な地元や都市・近隣の身近で、いつでも気楽に立ち入れる「場」の、山を徐々にですが・他の山々との、標高や難易度との比較で『軽視』しだす、傾向が強まります。そういった数理的に、比較・判断する山での体験を積み重ねる事に、最も精神的にも心理面でも、「上達」の二文字と共に、意識が影響されているのが「クライマ−」=『クライミング』と呼ばれる、遊びを好みにする人達で、クライミング要素の高くなる「沢登り」愛好家も、少しばかり表面に見える『活動や行為』が、違っても意識面での「山の比較」には、面白いもので・とても似通った、ものを持っています。そういった『比較・論』の中では、六甲山の東端・古くから住宅地に近く。上流部を開発された農業地や行楽・施設、車道に遮断され。下流部は様々な都市環境に遮られ・流れる水自身が、かなり古い時代から『渓谷・内』に構築された、水路で利用されている、こういった人工的な環境に前後も・周囲も取り囲まれた、言ってみれば「閉鎖」された自然・環境の中の「渓流」は、馬鹿にされるのは仕方のない事でした。

この『閉鎖された自然・環境』としの、『仁川渓谷』の価値を、再発見したのは子供時代ではなくて、どこも同じの「高度経済・成長」と呼ばれた『時代』の、多分?この「渓」が最も汚れて・環境が最悪だった頃です。泳げた・記憶・遊べていた頃の記憶を持っていなかったら、『再発見の機会』は、きっと随分と後に、なっていた事でしょう。別に「レィチェル・カ−ソン」の著作を、当時に読んでいたからとか、特別に「自然保護」に意識や興味が高まっていた訳ではなく。周囲の大人達に、そういった進歩的な意識を持った人が、いた訳でもありませんでした。

先見性に富む、先輩が、いなかったのが残念と言えば、非常に残念な環境でしょう。古典派・軍隊的な子供の活動には、当時も参加して「山を中心」に、かなり、他の同時代の少年達と比べれば山歩き・キャンプに焚き火・そういった遊びに費やしていた時間は本当に多かったのに、取り巻く・利用している「環境・場」に関する、本質的な『意識は希薄』使い捨て・文化の中に、取り込まれた「遊び方」を知らず知らずに、教えられていたように思います。

『山とか。クライミング』の世界から見ていれば、都市化の波に埋もれて。沢関係者からは、見向きもされない、こんな小さな渓流に肩入れして何が、面白いのかと。

消えようとする「自然」に、子供時代の、想い出が重なって。
その上に重ねた、自分自身の「クライミング」の原点とも感じる「渓谷の岩場」の、存在が、渓流を含めた自然環境の保全から環境・保護へと意識を向上させて、くれた様です。

身近な『自然環境』の、再発見と遊び方を新しい、視線と方法で提供します。

ただ。使うだけではなく。

エリアやコ−スを多くの人達が安心して使え、事故を未然に防ぐ活動や作業も、山で生きる道を選択した者の役目。プロのガイドならば、山からの恩恵に還す、活動は当然でしょう。

以前は、定期的に『仁川渓谷の岩場』も私が清掃・整備の手を
加えていました。その、当時ならば「三段岩」=(右・写真)も
この様に、草付も綺麗に剥がし、クラック・ラインも快適な「課題」
として、いつでも楽しめました。

数年前より、異なる「意識で、共有・使用」出来ないクライマ−
が、増え過ぎたので。私も、清掃・整備の手を加えるのを止めて
しまいました。

「1本の草さえ、抜かない」強度にも、不安があり・明らかに無用な自分勝手な思い込み・支点の設置。年々、増える岩場・周辺のゴミの山。ホ−ム・ゲレンデが荒れていくのは、やはり悲しい。
10回・以上は各種・内容TVで「仁川渓谷」は、映像で紹介されています。

私が主催して、実施している「バリアフリ−企画」
での、この渓流を利用した、多くの子供達も加わった沢登り、では新聞社からの取材も実に多い。
震災後からの『企画』だけでも、小学生の参加者は
300人を越えている。最近では、関西の夏の定番
映像として、私の実施している「キャニオニング」と、共に、紹介される事が多くなって来た。

『子供達の環境・教育』体験・学習、等。実施・企画の「趣旨・趣向」が、プロガイド参加・協力で社会的に、意味を持つと判断出来る「企画」でしたら、無料・支援。ガイド利用・に関する費用を請求しない、『ボランテイア』参加での協力も行えます。
『企画・内容』を、証明できる公的な資料と、共に担当者からの相談にて、お応えします。

『沢の無料・講習、企画』の利用を、山岳グル−プや組織で、御利用・頂ける方法は・ありません。例外は、「チャレンジド」を中心とした・ハイキングやアウトドア・スポ−ツを支援・サポ−トする為に組織化・グル−プ結成された『活動』を、行われている方達です。自分達の「遊び」だけで、組織・グル−プ活動されている方達には、ボランテイア意識を感じません。

最近では、私の企画を取材したTV映像や新聞・記事で紹介された
『仁川渓谷』を見て。登山(沢)愛好家も夏には、この小さな渓谷に集まり
だしました。しかし、滝を巻き、泳ぐのを嫌っている人達が大半。遊び方の
ポィントが判り難いというのも理由でしょうが、場の使い方が下手なのは勿体無い
ボルダリングと同じで。30数年前から、沢下りスタイルを楽しんでいた私にはキャニオニング・タイプの沢は得意
(某)山関係で、凄い人数で六甲山のハイキング道を歩いているグル−プと頻繁に私は出会う。相手は私の事を見知っている様だが、私には懇意にしている人は誰一人いない。毎回・唐突にその中の、女性が私に声をかけてくるが大抵は「私達も活動してます」障害者のハイキングに力を、貸してます。そういった意味の事を、強調・主張したいらしい。そのグル−プが年1回ペ−スで、そういった活動を近郊の山で行っている事は以前より知っている。私に言われても、そう思うが彼女達には何か弁解染みた言葉が必要らしい年に1度か。

自分達が山歩きの楽しさを知っていて、それが機会として年に1度ならば、はたしてどう思う・感じるのだろうか。機会を与えている、そういったニュアンスを感じる、言葉や態度を感じると私には、同じ仲間とは感じられない。これは、何故だろう。
各種『最新・渓流・専用装備レンタル』
2004年・山と渓谷『別冊・ちよつと山まで』
多分?アルパインガイドの系列の中にいて、行政や郵政省・その他のボランテイア枠での支援を受けて、無料講習や道楽・企画を頻繁に実施しているのは私だけ。この時もカンポ支援の推薦枠を頂いて、子供達を大勢・川で遊ばせた。
仁川渓谷
こちら夢通り・撮影風景

2006/04/07 (金) 10:21:41

NHK神戸放送局『チャレンジは手を取り合って』は録画していますが、写真は残念ながら手元にありません。同様に、他の企画・取材の多くも写真が少ないのは惜しい。
親子・参加に向いたコ−ス&プランです
阪急『芦屋川』より
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又、当サイトに掲載されている『情報』に、関しては自然環境下での渓流ですから状態は、変化しています。安全に関する、判断は当サイトには、一切・関係しません。

担当プロガイド同行時のみ、最適で安全な、講習プログラムで整備したオリジナル・コ−スでの『遊び方』が、体験できます。
『仁川渓谷』には、普段の生活環境や市販の情報誌や六甲山ガイド本では、紹介されていない数多くの観賞や発見に恵まれた、隠れた穴場が無数に存在しています。この渓流・谷筋の自然は誰のものでもなく、自由に自然を楽しめますが、ハイキングとは違った技術や知識を必要とする箇所や危険が存在しています。『沢登り』『渓流内を遡行』する場合は、充分に注意する必要が在るのは当然の事です。

コンテンツ内で、紹介している情報は担当プロガイドの舟橋の経験や知識の、ほんの僅かな部分を、一部だけ紹介しているだけです。
90年代から、私の開拓・整備コ−スでの『企画』を、真似する人達が増えて来ました。
確かな判断基準と目を持てば、良い時期のみ楽しめます
『仁川渓谷・遡行図』
Monday, 26 October, 2009