【使えなくなったフィ−ルド・失われたクライミング・エリア南紀・白崎】
石灰岩の美しき・白き岩場。発見・開拓、時に立ち会えた幸運。
最も、初期に【白崎・海岸の岩場】のクライミング情報を、公開したのは私でしょう。
当時は、『クライミング・ジャ−ナル』に、私が執筆した記録が唯一の『白崎の岩場』を知る、情報だった筈です。
フットワ−クは誰よりも、軽く。フルタイム・クライマ−と、全く同じ環境を『プロガイド』として、維持していたので。当時としては、関西はもとより全国的に見て、殆どのクライマ−が、存在さえ知らなかった。この南紀の海に面した『石灰岩』の特異な、環境を持った『岩場』を、CJ紙面に紹介したのは中々にセンセ−ショナルな出来事だったらしい。雑誌を見て、駆けつけた・と言う地域・地元、範囲のクライマ−の話しは、後々に聞き及んでいる。
『情報』を知れば、自分自身の目で確かめ。その岩肌に自分自身の手を、触れたくなる筈の「クライマ−」特性なのだが、岩場が都市近郊・近くに点在していて、積極的に「新しく開拓」しようと、考える活動的かつ、積極的なクライマ−や、集団が少なかった時期だったので『関西』から、この素晴らしい石灰岩の未知の『岩場』を、訪れるクライマ−は、意外な程に少なかった。開拓グル−プは、当時としては最も岩場の発見や新しいル−トの開拓に、積極的で活動・範囲にも広がりを持った。大阪の林君・率いる『OCS=オオサカ・クライミング・ソサエティ−』の、若手クライマ−達。
CJ紙面に、取り上げられた内容は、多くのクライマ−達の興味を惹くだろうと、私自身は予想していたが。雑誌が発売された「翌月」に、仲間達と再訪しても休日だと言うのに「クライマ−」の姿を、一人も見なかった。
『開拓』の、進展は当時の他・地域の新しく、発見・開拓されつつある『岩場』と、比較すれば、かなり遅くノンビリとしたペ−スで進み。おかげで、私は初期の開拓・時期に、大いに『海の岩場・シ−クリフ』での快適・環境でのクライミングを満喫させて頂いた。
SHIRASAKI
既成・概念とか、過去から残る『情報』に、ある意味
縛られ。固執しているタイプのクライマ−達には。
急速に変化し始めた「当時のクライミング環境」に関して一種の、抵抗感が強まった時期が、あったのかも知れない。古くからの、クライミング仲間に「海岸岩壁」シ−クリフの良さとか、海を身近に感じる快適なフリ−・クライミングを電話口で、いくら説明しても。
翌日・翌週に付き合ってくれるクライマ−は少なかった。そんな中で。唯一の例外は他国で、実際に石灰岩のクライミングや、本物のシ−・クリフを体験しているクライマ−なのだが、実際には私の周囲には、まだ国際派と呼べるだけの、体験を積み上げている仲間は、それ程・多くは無かった。海外クライミングの経験者は関東の友人たちは『ヨセミテ』関西の友人や仲間は、殆どがヒマラヤ関係の氷雪・系の体験を積み出した頃なので「石灰岩」で、海の岩場に、積極的に興味を示して、付き合ってくれる奇特な仲間は、本当に少なかった。アラン・ドレザックは、そういった奇特で変った種類の仲間の、一人だった。
経歴・出身も少しばかり、変っていて。
最初に知り合った頃は、私に「アイス・クライミング」の指導・講習を依頼して来た。正真正銘の講習生だったが、途中から技術・交換。一種の「バ−タ−貿易・風」に、私がクライミングを無料・指導。アランが南紀の海で、私に「スキュ−バ−・ダイビング」を、教えてくれるそういった遊び仲間の関係へと進展していった
『何一つ・情報』が、出ていなかった時に・私の誘いで『白崎』に付き合ってくれたのは「アラン」ただ、一人。
南紀ツア−で、立間戸谷で「沢」を楽しみ。隠れた穴場(当時)の岩場を、数箇所・再訪してから。
仲間2人を連れて、以前から実行しようと・していた『白崎・半島、岩場・一周』トラバ−スを楽しんだ。
こんな・変った「クライミング」に、付き合ってくれたのは、丁度・二人とも、仕事を辞めたばかりだったから。けっこう、日数も必要な『遊びプラン』だったが、沢も、山も・岩も楽しんだ中々に、想い出に残ったツア−だった。
名づけて『白崎グランド・トラバ−ス・ル−ト』一部の区間で、釣り人に邪魔されて・簡単な箇所を巻いた・以外は、ほぼ岩壁・内を忠実に横断クライミングした。引き潮にも、助けられ。最終部分では、岩穴を潜り・抜けたりと、非常に変化に富んだ面白味の、あるクライミング体験だった。恐かったのは、海面が近い箇所の『核心部』で、墜落するとギア装着の身体で、浮いて来ないのでは・と言う恐怖心と。子育て中の海鳥・達の威嚇・攻撃。
再訪する『機会』を、失ってしまったのが残念。講習・企画で使いたかった。
その後。再登?(トラバ−ス・クライミング)したと言う、話しは聞かなかった。狙っていたクライマ−は、いたようだ・と言う・話し、噂は聞き及んでいる。何でも、最初が楽しいものです。
ついでに。海面から白崎の岩場に取り付いて「開拓クライミング」を、行おうと。シ−カヤックを駆使して(実際は入手・出来なかったので)手持ちの、ファルト・カヤックにクライミング・ギアを積載して。途中、波で海に沈むのではと言う、状態ながら、壁面に近づいたが・波浪・激しく。命が、惜しいので『敗退』
その、次に、懲りずにチャレンジしたのが。馬鹿な方法で。これも、海外から日本に来ていた仲間が付き合ってくれた。スキュ−バ−・ダイビングとクライミングの融合とか、言いながら。この手の、遊びに付き合ってくれる「関西系」クライマ−は、徐々に絶滅していた頃だったので、このチャレンジも記憶には残った
エデイも、遊び仲間としては一流だったが?子育て奮闘中から、スキ−ぐらいしか、遊びチャレンジには、付き合ってくれない。
カレルが、カナダかアラスカ??に、移住して
からは。神戸・在住の在住者の世話役・係り
として、活躍する『エデイ』の様な、人物は最近
では、いない様だ。
子供達が、少し大きくなったら私の企画に参加して、また・一緒に遊べるだろう。
インタ−・ナショナル・スク−ルの方の子供達を
連れて、交流・企画でチャレンジドの参加者と楽しむ、「キャニオニング」が、良いのでは。
2度・この岩場を使用したTV業務を行った。
同じ様な、内容のTV番組は、相も変らずの『関西風』お笑い・系で、この岩場は
便利に、使えていた。顔見知りのイントラ達も、この岩場でのTVロケの体験が多くて使える数少ない「エリア」だった、だけに現在のクライマ−立入り・禁止。
『クライミング禁止』の、問題は、とても残念な現実。
ジブラルタル・ロックを別にすれば南仏の『カランク』は スケ−ルや本物の環境として比較できないけれど 雰囲気や『風』に見る夢として白崎は恰好のエリアだった。 |
彼の持ち込んだ独語圏の情報の恩恵に好くした |
【ライム・スト−ン・クライミング】 関連情報 |
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2006/04/05 (水) 0:47:31
1986年 『岳人5月号・P171』アラン・ドレザレック氏の投稿原稿 |
発見1979年 |
現実的にはクライミングを白崎 で行っている、クライマ-は存在 している。 『クライミング禁止』措置は地元 関係者の中でも、無視している 部分もあるが・・・・・ |
その後も、この海岸・岩壁トラバ−スの楽しさに、目覚めた私は南紀・周辺から日本海・沿岸での シ−カヤック・利用での、コ−スト・ツ−リングの機会に目星を付けた、ラインの探査に個人的な情熱を傾けているが、今・現在も、この遊びに積極的に付き合ってくれる仲間は見つからない。 |
山岳プロガイドの職業と『シ−カヤック』での、海岸岩壁でのクライミングの場を、求めての私の海での活動は 別に、矛盾していないのだが80年代のクライミングは、海岸の岩場でのクライミングでも、陸側からの岩への接近にしか、多くのクライマ−は、興味が無かった。海側から『発見』できるエリアでの、活動と言うジャンルは理解され難いが、一部に日本海側で積極的な活動が後に見られ出した。太平洋側としては、この南紀の『白崎の岩場』は、国内でも最も初期の『シ−クリフ』と呼べるかも知れない。 |
20数年ぶりに、『白崎』の懐かしい岩場をシ−カヤックに乗って洋上から眺めて来ました。 Monday, 26 October, 2009 |