地球的な『温暖化』傾向の中で、標高も低くアイス・クライミングの、条件を掴むのも困難な「場所」です。外的な危険に加えて近年では、『凍る滝・見物、観賞ハイカ−』も、急増しています。アイス・クライミングの対象として、利用。使う場合には御自身の判断と責任により、他者への「安全」にも、注意して下さい。
【特選・関西アイス・クライミング・エリア・ガイド】
MCS 国際山岳プロガイド 舟橋 健
MCS・アイス・クライミング講習会・プラン用に開拓した場
「ドライ・ツ−リング」の練習場所としても使えます
関西に住む、クライマ−に、とっての「アイス・クライミングの場」は
1960年代・70年代から、先達・先輩達から伝えられ、継承・紹介されて来た「一般的なエリア情報」しか「場の存在」は、知られて・いなかった。その後、知られ出した情報の多くは、八ケ岳であり、南アルプスと中央アルプス周辺の、アルパィン・クライミングの記録を元に、ごく一部に、当時としては珍しい純粋なアイス・クライミングに目標を設定した・練習場所(ゲレンデ)としての、位置づけ。記録の紹介として、山岳地の中でも、比較的・接近が容易で外的な危険性が少なくて済む、山域の中での「場」が知られ出したばかりであった。
80年代に入って。『フリ−・クライミング』の『場』と、同じ感覚・意識の変化で『アイス・クライミングの練習地』として、今までならば見向きも、されなかった低・標高の山域や山岳地帯までのアプロ−チで発見されていた氷瀑が存在していた、エリア・ル−トにも、多くのクライマ−の興味と視線が、向けられる様に・なって初めて本格的に開拓される『氷・アイス・クライミング・エリア』も、続々と出現する。
戦前から、良質の花崗岩でのクライミング・エリアとして知られ冬季のアイス・クライミング・氷雪技術の練習・場所としても著名だった。『鈴鹿・山系の御在所岳・藤内壁』を、筆頭に、中央アルプス・宝剣岳への入山口、近くの『野猿の岩場』が、当時としては関西圏から、比較的、容易に訪ねる事が出来る、数少ない「アイス・クライミングの場」として、知られていたが、アイス・クライミングに特化して、集中的に技術の向上を目指したり。先鋭的なアイス・クライミングを目的とする集団も、関西範囲では殆ど、見受けられなかったので。アイス・クライマ−の絶対数が少なかった為、大きな話題として新たに発見・開拓された『場』の情報等が、大きな話題や情報、関係の噂として知られる事は少なかった。一部・例外は、当時・組織枠から離れて、同人・組織的な活動を活発化させ出した、若手のクライマ−達で、神戸・京都範囲での若手クライマ−の活躍が始まり出した頃だ。
『アイス・クライミング』の技術と用具・革新が急速に、一般の登山者から先鋭的なクライミングを指向する、クライマ−に浸透するまでの期間は、意外な程に短く。カッティングから、『ピオレ・トラクション』に代表される・先進・進歩的で、効率的なアイス・クライミングの技術が紹介され出した頃には、『場』は、身近には無くとも・八ケ岳の様に比較的・誰でもが雪山・登山からの延長線・上で立ち入れる「山」に、技術を使える『場所』が、良く知られていたのも・アイス・クライミングが広く知られ、情報が多くの登山者・クライマ−に使える環境と、なった。
ピオレ・トラクション=Wアックス・テクニックと呼ばれる。アイス・クライミングの技術が、それまでの「カッティング」に、代表される・最も古典的な氷雪・技術に、とって変れたのは氷河は無くとも、厳冬期に水流が凍結・滝さえ完全・結氷して『氷瀑』が、形成される条件を有していたからで、そういった『滝』が、本格的に氷結・凍る滝が、手頃な場所に存在していないと思われていた、関西・範囲で活動している『クライマ−』には、場の存在が少なく。技術的な進展や、体験の蓄積で国内・関東範囲のクライマ−と、こと氷に関しては記録にも、特筆すべき比較できる記録内容を、打ち出す飛びぬけた存在を見る事は、少なかった。
少なかった、故に特筆すべき゛「記録」を公表・実践活動を続けていた若手のクライマ−の存在は、同じ関西圏に住み・似通った地域で日常的なトレ−ニングを続けている、だけに特に興味と敬意を持って・動向を注視していた。技術と用具・面での進歩が急速に、拡大し・ようやく、多くのクライマ−の、間で広義の『アルパィン・クライミング』から、離れて、純粋な『アイス・クライミング』として、広範囲な活動が始まった。当時は、まだ意欲的で情報や知識を、真摯に学んでいた者達には、まだ充分に『残された・課題』が過去の記録情報から、調べられる範囲で点在・存在していて。
熱意と情熱『夢』に、忠実で、若さが有効な能力・利点として、新しい『場』の開拓に打って出る、若手クライマ−が、台頭して来た時期でもあった。
彼等。若手の多くは、これまでの社会人・山岳会に代表される『組織』内での、狭い既存・情報や自分達の継承している、範囲の知識や技術・それら以外の専門雑誌に続々と、登場して来る広く・国際的なクライミングのム−ブ・メントに敏感で、既存の情報を知識として、活用はするが、以前のクライマ−の様には『場の限定』や、範囲の制限には束縛されない。自由な発想と共に、遠く・南北アルプス方面へ気楽に、出かけるだけの金銭的な余裕に、恵まれていなかったので、短い冬の期間を自分達が最大限に動ける、範囲で精力的に活動した。
そういった、若手のクライマ−には、派閥意識やセクト主義的な、悪習に全く染まっていない高校生から大学生が、多く含まれていたので、キャリアは不足していたが情熱的にも、意欲に関しても好感の持てる連中が多かった。そういった若い層との出会いは、当時は簡単で手頃な岩場が点在する『六甲山』等での、気さくな会話から、彼らとの山行が増え出していた。。山岳会・組織といった『枠内』でしか、活動が出来ない、層は・そういった新進・気鋭の才能を持ったクライマ−を活動・山行に気楽には迎え入れられず。発見・開拓が進み出した関西・中京、範囲での新しいクライミング・フィ−ドや小川山に代表される、最も活動が活発なエリアでの、新しい波にも完全に乗り送れ出した、のも無理からぬ事だった。
『自分達が発見・開拓』した、山域でも無ければ、新たにル−トを開拓
切り開いた路を持たない、既存の情報・常識でしかクライミングを行え
ない、層のクライマ−とは、根本的に意識や情熱が違っていた。若手の中には、プロガイドからの意見や共に、新たな開拓に加われる世代間や、立場による制約を気にしない者達も、多くて。・そういった積極性が彼らのクライミングそのものを、各段に向上させる結果ともなった。
常識的な、これまでの「情報」に、捉われずに「場」を探せる立場
にいた、既存の山岳・組織に所属していなかったクライマ−達の
中には、一時期・意外な『穴場的な場』で、アイス・クライミングを実際
に、楽しむ経験が行えた。そういった、例の一つが、大阪・範囲の若手
クライマ−や、私達が、発掘?開拓した。比良山系の沢登りコ−スとし
ては、以前からポピュラ−に名を知られていた「貫井谷」左俣であり。
金剛山の様に、比較的・簡単なハイキングで名を知られた山域の沢
や、和泉山系の「サカモギ谷」その他の、意外と都市・近郊から、ほど
近い・山域の沢・谷でのアイス・クライミング体験だった。
これらの以前から登山者に利用されていた『場』は。完全・結氷して
いても、これまでならば氷瀑を積極的にアイス・クライミングの練習
場所として見て、技術的にチャレンジする対象として使われたと言う
記録は、殆ど無くて。滝・部分を巻いたり、逃げても完登のタイトルは
個人の意識の中では、矛盾せずに得られていた様子なので、初登
や初・開拓という言葉は適切ではないが、理念・意識としては本当の
意味での「チャレンジ」氷のクライミングとは言えるだろう。
『比良山」「金剛・和泉山系」共に、これらのエリアでの、実際の
『アイス・クライミング』の、実情は「運」に左右される、領域が多くて
八ケ岳での『アイス・クライミング』の現場、等とは比較できる内容では、決して無かったが、こういった身近な場所・山での氷体験を積んだ、若手のクライマ−達は次なる、ステップで『大峰・大台』『三重県・範囲』等の山域でも、岩のクライミングも含めて、活躍していった経緯があった。
現在では『金剛山』で、アイス・クライミングと言えば、再び、以前の様に、そんな場所(山域)では、アイス・クライミングが出来る筈は無い・と多くのクライマ−達から、馬鹿に、されるかも知れない。それは、他の低山・での『場』とも、共通する「一般・常識」的な、場所の限定・情報に左右されている人達が多いからで。『固定・概念』とでも、呼べる『意外と身近な山』の現実を、知らない。エリアとして、利用出来た・登った、と言う体験を、実は持たない。人達の判断基準が・狭過ぎる、それが理由の最大・要因。そして、そういった『常識』で、判断している人達が、たまに知った情報を見ると、其れが『穴場』として、評価を受けて、存在が貴重だと言われる。
それでは。関西・範囲、エリアとして最も身近名『穴場』を、具体的に『アイス・クライミングの証拠写真』と、共に掲示して紹介『ガイド』する事にしましょう。比良山・金剛山、方面は雑誌の記事などで、幾度かアイス・クライミング・エリア(沢ル−ト)として、紹介されていて。情報は比較的、知られているでしょう。
これらの『山・域、エリア』で、同じ様な気象条件・下で『アイス・クライミング目的』で、出向くならば、ここに紹介する『場』や、私が、前日・範囲で講習会に参加する人達に毎回、個別に連絡・紹介している、周辺の『穴場』の方が絶対に、様々な要因で、お徳だとは思います。
特に『裏・六甲・エリア』から、近いにも・関わらず情報を公開していない『場』ならば、更に氷結・確立は高い。
ここで『紹介』している条件が揃えば、アイス・クライミングが、楽しめる・練習場所として使用出来る。『滝』での条件が悪すぎる場合には、ドライ・ミックスド系のテクニックの実践場所としての価値も、見出せます。実際に、私はトレ−ニング場所として、以前より活用しています
ドライ・トゥ−リング系に、全く興味が無ければ、転進しての「岩でフリ−・クライミング」の方に、手軽に遊びに行ける範囲ですから、その上・近くには、有名な『温泉』も、あります。
『六甲山系・北部』俗に、一般的には『総称して・裏・六甲山』と、呼ばれる事が多い。山域・範囲としては『六甲山』山頂・部から北面。有馬温泉の少し、先から『扇状』に、山頂・山稜へ広がる、幾つかの沢筋の中に、点在する
「滝」が最も、集中する位置・環境に結氷・凍る滝が集中する「エリア』が、存在していて戦後から『凍る滝』の、記録や情報は公表されていた。
これまでの、19年間に映像として『裏・六甲範囲と周辺・山域』での、アイス・クライミングとして見れる『場面』が、紹介できたのは、実は実際の『業務』回数の多さに、比べると数少ない。その、理由には折角の私からの最適期・情報を、最大限に利用・使用しない取材・撮影・側の『自然』に、対する無関心・無理解さが主な原因
いつ。凍るのか?最適期の判断は、ある程度・予測が付くもので。アイス・クライミングが目的であれば、『凍る・滝の観賞』ハイキングが目的のハイカ−達よりも、条件の予測判断や状況・理解の能力が要求される。
前夜に、テレビ・ニュ−スを見てからでは、遅すぎたと言う事が多いのも、そういった後出し情報に頼っているからで自分で予測したり、判断できない人には『裏・六甲』の、手軽に遊びに入れる、場所での『最適期・アイス・クライミング』を、体験する機会は余程の好期に恵まれない限りは巡り合わないと思います。
七曲滝 |
少し、山域・エリアは離れるが、、意外と近くの山中に、あと二箇所・氷床渓流として、条件が揃った時には、快適な『アイス・ウォ−キング』を楽しめる「場」が、あり。そちらの方も、興味のある方は、探してみると楽しめると思います。こちらの方は、更にアプロ−チが容易なので・知っている人は、以前から知っている。そうった『場所』でしょう。
いつか、業務・関係か『バリアフリ−・プログラム』で、使える機会が、ありそうなので一般・公開せずに『隠し持っている』場・の中の一つです
この『有馬温泉街』から、程近く。手頃なハイキング道からの探索・観賞も比較的、簡単な『凍る滝・情報』は、一時・多くの登山者や、クライマ−には、忘れられた『場所』であり。
情報だったのを・私が依頼を受けて新聞紙面に連載・情報を執筆。その中に「特選ガイド・有馬・上流域の凍る滝」として、公表。次に、他誌にも「特選アウトドア情報」や『季節の穴場・情報』として、紹介を書き。
テレビ関係での、限られた冬・期間の『凍る滝・観賞山行』等で、ある時期に、かなりの情報量を、連続して『場の紹介』として、行ったので今・現在では関西・範囲を超えて、広範囲の人達に『冬のハイキング・凍る滝・観賞』の、定番。ポピュラ−なコ−スとして、人気が急速に広まってしまった。
しかし、この「凍る滝・情報」は、一時期、忘れられていた『場所・環境』だったが実際には、古い「六甲山」関係の「ガイド・ブック」や「ハイキング地図」に、付属として付けられてい冊子・等には「写真・入り」で紹介されていて、比較的・多くの登山者・ハイキング愛好家が長年に渡って、それらの「情報」を見知っていた。
そういった訳で、『有馬・上流域』範囲に、限って考えれば・特に貴重・珍しい『情報』と、言う訳でもなく。興味を持つ、人達は大勢いたはずだが、これまで反響や影響を与えられなかったのは、それら出版・本関係の中で、記述された『情報』で、掲示されている「写真や説明文」に、明らかな間違いや、誤解が多くて『滝の名称』さえもが、全く異なる名称だったり、地図・上にも誤りが見受けられた。
そういった『情報』としては、不完全で不親切な内容だった為と、六甲山・系と言えども『冬の谷』に、入ると言う一般のハイキング愛好家から、判断しての一種の「恐怖感・抵抗感」が、最近の登山者・ツア−参加から山歩き体験を、楽しみ出した人達と比較して、はるかに常識的で正等だった、からだろう。
最近では、そういった『安全な山歩き、の為の安全・感覚や常識」』
は、幾分だが形骸化され。明らかに、無謀・無知、常識の範囲からも
逸脱した様に、見受けられる人達や、商売としての「感覚」のみを優先
させて、安全・基準の適正数を無視して『バスに乗って・乗せて』山に
上がって来る・ツア−の様な、問題児?も多数、・出現。
一時期、TV映像や新聞・記事に私が提供した『情報や映像』を、見て
幾つかの、そういった連中からの怪しい『問合わせが続いた』
大抵は、会社「名称」や、ツア−担当ガイドの『氏名』を名乗らない輩で
興味の対象は、殆どが『最適期・日時』であって。危険箇所の有無や
必要な『安全・情報』に、関しての質問は受けなかった。
それらの「問合わせ」の、一人は直接の私との約束・日時を確認時(当日)に
私からの、連絡に『忘れていました』と、答える様なツア−・ガイドだった。
大量の「FAX送信」での、質問を勝手に、送りつけて来るK社に関しては、
一般・通念や社会常識さえ疑わしい。そういった『例』は、登山関係では
以前ならば、まだ許せる範囲の『学生・達』程度だったが、今は、それが
立派な?大人の組織や個人まで、自分で探査・調査や調べる方法を知らない
アイス・クライミング・ガイド(裏・六甲山)七曲滝・百間滝・他 |
私以外に、この『渓・場所』で実際に、これまでに本格的な『アイス・クライミング講習会』を、行って来たガイドやクライマ−は存在していないと思われる。氷雪・技術の練習・課題『場所』としてこの「渓流・域」の「滝」が、氷結した時に利用していた、登山者やクライマ−は、戦後から少数いたのは確か。それらの先輩達は表・六甲山の『芦屋ロック・ガ−デン』との、対比的な名称として裏・六甲山の『有馬アイス・ガ−デン』と、この辺りを称して。
他の、ロック・クライミングや沢・滝への、想いと同じ様に愛着と親近感を抱いて、これらの『環境を』を、次なる『夢』へのステップとして使用していたが、垂直の氷瀑を登る為の、技術や用具には恵まれていなかった時代でもあり、意識も『本格的なアイス・クライミング』への、指向・段階では無く。記録的に特筆すべき、報告や示唆的な情報も、継承する私達には、あまり大きな影響は与えては、くれなかった。
『影響』を強く、受けなかったが、それが先輩達・先達者への敬意や尊敬を、持たない事とは別だ。
夏期にでさえ、『シャワ−・クライミング』のル−トは、下部に3本。上部に2本のラインを開拓するまで、右岸の巻きコ−ス(潅木帯の尾根・登り・一部に露岩の突破は、あるがクライミング対象とは、呼べない)と、左岸の岩場からの、滝・中段への入渓(1969年に、私と、中学時代の友人が、ピトン2本と潅木・利用で)した、時にしか『滝』の中に入った、痕跡は何一つ見つけられず、支点や登られた形跡も、存在していなかった。それらの、経験から、考えて。夏期に登ってから、氷結時に『アイス・クライミング』の、ル−トとして、更に再評価して『ル−トを開拓』したのが実情。
現在では、中段「滝内」及び、滝の落ち口「終了点」に、確実性の高いハンガ−・ボルト類を使用しての『支点』を設置してあり『アイス・クライミング』時には、有効に利用できるので、使用して下さい
時として、上段(中央)ラインでのクライミング内容はゲレンデの域を超える、ある意味で非常に『危険率の高い』課題となるので、リ−ド時には充分に注意してのトライが、必要でしょう。数年に、一度ある程度の、完全・結氷、状態での恵まれたコンディション時の、クライミング時にも、午前・中の気温・上昇で上流からの水量・増加や不安定な、氷塊・土砂の落下は当然な環境です。1度の気温・上昇にも注意する、感覚が大切です。他の、アイス・エリアと同一・環境と誤解していては、危ない。実際に、不注意なハイカ−には、そういった自然変化での「怪我人」が、数人・出ています。
通常の『アイス・クライミング・プロテクション』が、使えない。
使えたとしても、墜落は止めれない。
そう、最初から想定して、用具類も、工夫して下さい。スクリュ−・タイプのアイス・ピトン類は、概ね高価ですから、この辺りの薄く・空洞・軟弱な氷瀑?での、乱雑・無神経な使用では刃先が、あまりにも勿体無い。
フック・タイプのアイス・ピトンや、精神的な『確保・支点』の使用は、個人の判断と好みです。他には、アイス・クライミングとしての現場で、異なる特殊な装備や用具が、必要な訳では在りません。
特に、結氷・状態の良い時の『最・左端』のラインは最新のギア類や12本・スパイクの、アイゼン使用のクライマ−には、容易です。多分、40年〜50年、前のクライマ−の中にはカッティングのみで、中段までならば登り切った方は、いそうです。
『滝』部で、残置されたリング・ボルトは発見しましたが、残念な事に、残されたロック・ピトンの形式は、たいして古い物では、ありませんでした。私達が、中学生の時に・打ったピトンは当然ですが、当時は回収していましたが、そのタイプと、比較しても、新しい「物」でした。
滝谷・出合いや、D沢のクラック奥・部で見つけたナゲ−ルの歯爪や海外で虚空の壁のような環境・下で足元に発見した、水晶の岩帯などを六甲山に、期待するには遅過ぎた・世代です。
個人的には。98年、以降は『結氷・状態』が、不満足でも『目的・意識』を、ミックスド・テクニック(ドライ系)に、切り替えれば、ここは中々、有効で有益な『実践・場所』として、近辺では最も・便利で価値の高い『エリア・ル−ト』としての『価値』を、見出せる環境だと考えています。価値や魅力は、クライマ−側の、意思や意欲で倍加するかも知れませんよ。
『場』の、共有が絶対に・不可能なフリ−主体
の岩場と、違って『ドライ系・テクニック』を使用
活用する事が、可能な『場』と、考えれば。
満足出来る、トレ−ニングも可能な筈です。
私自身は、ノビノビと、楽しんでいます。
ただし。アイス・クライミング目的で滝に取り付い
ている時には、取り付き・斜面・付近に近寄る
時として、真下まで接近して来る「ハイカ−」や
写真・愛好家の人達には、細心の注意が必要
です。クライミングを知らない、危険性を理解して
いない。中高年・登山者には、こちら側が注意
するのが、当然です。
混雑する、事が当たり前の状況に、なって来た昨今の『時期』には、休日にはクライミング・ラインの取り付きに、整理要員として、愛想の良さそうな仲間を一人ぐらいは立たせる。それぐらいの配慮も必要な、状況です。
凍る滝・現場では、クライミング中に落す、落氷・カケラに注意しておかなければ、なりません。跳ね・飛ぶ『落氷・ツララ』は、予想以上に、広範囲に被害を及ぼすので、その点も、充分に想定・注意して下さい。危ない『場面』を何回も、私は目撃しています。何か・あってからでは・遅過ぎます。『注意・義務』が、要求されています。
まず。滅多に完全・結氷(氷瀑・状態)に、遭遇できない。
過去に、この『七曲滝』と「支流の滝」『百間滝』の、有馬・上流域の代表的な3滝が、私の目で見て完全『氷瀑・状態』だったのは、実際にはアイス・クライミングを、目標・目的として入山、足を踏み入れた時期よりも、はるか以前の頃。「七曲滝」を最初に、登攀対象として発見した時だ。1967年・頃だったと記憶している。時期は、2月・初旬で同行者が、現在、京大「岳志・山岳会」OBで、ヤルンカン遠征にも参加していた、当時・私の中学の同級生だった『牛田・氏』だったのか、?他の、仲間だったのか、友人が誰だったのかも覚えていない・・・
この時には、自宅の庭先で雪ダルマが、作れる『冬』も、まだ来る様な時代だったので、渓流内の水流は全てが完全・凍結していて、当時としては唯一、持参できた「X型のカンジキ」では、まともに氷面を歩く事さえ困難で、恐怖の連続・体験。何処で、入手したのか覚えもない工事用の少し、大きめのハンマ−と、これも友人が家から勝手に持ち出して来たという「釘抜き」?2本を交互に使って、段差の突破に足場を刻みながら登った。今の様に、谷中に多くの「砂防堰堤」も、なく迷路状の雪谷から、脱出?山行。少しばかり、無茶な登山だったが、キャラバン・シュ−ズ履きの子供としては、少しばかり自慢げな下山だった。今から、想い返せば。かなり危ない。
76年〜78年、以降からの「アイス・クライミング目的」での、実際の活動では、67年・頃に初めて目にした程度の『完全・結氷』したと言えるほどの、状態に滝が『氷瀑』化した状態を、見ることは無かった。
震災後に、一度『強烈な寒気団・流下』で、久しぶりに周辺の滝が良い状態に氷結したが、氷瀑・状態に形成されたのは、別の
「奥・滝」の、方で、新聞・記事には、残念な事に、そちらの『凍る滝』は情報として出せなかった。担当者が、その頃には『名の知られた・滝』の、方が、記事としては良いとの判断だったが。刻々と変化する『自然』を、ニュ−ス的に、記事にするならば、私からの助言を聞かなかった、のは非常に惜しかった。次の機会が、と考えるならば、少しの手間を惜しんだのは間違い。メディア関係者には、そういった『限定された、自然からの条件』を正しく、理解する努力が足りない。もしくは、理解する、基礎的な能力に、欠けている、のかも知れない。番組・編成やニュ−ス時間に、合わせて凍ってくれるはずも無いのに・・・・。。。惜しいと、感じた機会は多い。最近も、この数年『取材・協力』には、力を貸しているが。
定番化した「滝」から、動かない。意欲を感じない、関係者が多い
『情報』も、固定化されると、面白味は薄れると、思うのだが。他にも・ありますよ・・・・・。そして、最適期も、大切。
古い記憶の頃の様には、形成されないが。それでも、最近・アックス類のピックをガンガン・岩に叩き付けなくとも、楽しめる程度には凍った「場」で、生まれて初めての『アイス・クライミング』を、体験。そういった人達にも講習・企画で、実際の氷を楽しんで、貰えた機会は何度もあって。そういった『講習・内容』を「大阪新聞・紙面」のアウトドア・ガ−ルズ企画で、可愛いモデルさん参加での講習シ−ンの写真を、紙面で大きく取り上げられたりも、しています。それらの、記事は『凍る滝・観賞』ハイキングが目的の、人達にも注目されていて「氷結・情報」としても、意外に好評。同じ様に「産経新聞社」からの、依頼では女性・参加者の写真を出して、頂いたので。こちらも反響が大きかった。時期になると『電話』が、鳴り止まない転送・機能で回した、私の携帯の充電が、山中で更に不安と少しばかり問題もありますが、折角の自然からの『贈り物』しかも、期間は短い。お楽しみ、頂けて。かつ、安全面でも手助けが出来る方達が、いるのは光栄。プロガイドとして、役立てるのはうれしく感じるものです。
この様に、近年では『情報』としては、私からの発信で、少しばかり『忘れられていた』場の、再発見・的な現象で、冬の谷・歩き。凍る滝・観賞ハイキングに、本格的なアイス・クライミング目的や、少し変ったクライミングを体験しに来る、仲間達とか、それを取材しに上がって来る人達も、含めて。ここは『混雑する山中』に、なってしまいました。責任の、一端を感ぜずにはおれません・しかし、ブ−ムの影に、危険な落とし穴。これまでなら、無かった事ですが、地元『有馬警察署』から、現地に注意・看板が設置される事態は、放置して置けませんね。
『アイス・クライミング』の練習でもと、考えて上がって来られる方達には。それなりに、使える「場」ですが。使える『時』に来なければこの場所では話になりません
同じ事は『三下谷』にも、言える事です。
私の、HP内には、少々のヒントを含ませてありますが、発見の喜びとか、開拓の努力を抜きにしての『利用』以上の、体験も若いクライマ−には、楽しんで頂きたいですね。
【状況・予測や判断で、少しばかり重要なヒントをガイド・アドバイス】
「長期・予報」よりも、気象・天気予報に関しては、当たり前ですが、周期サイクルの短い・地域枠の「気象情報」を、細かく・詳細にチエック。継続的にデ−タ−を、集積しておき、地元の情報を大切に。『気温の低下・現象の確認は、当然・大切ですが、地域的な「風向」も、最重要・的なチエック・ポィントです』
それでは、『時の運』を、自分で捕まえて、楽しいアイス・クライミングを体験されんことを・・・・・・・
『滝登攀ル−トとして、下段に3本。 上段に2本の開拓ライン。上段の水流 真ん中を登るラインは、中間プロテクションを、取るのが困難で落ちると致命的。 「七曲滝」そのものも、岩質は危ないので 注意は必要。 |
冬季の『凍る滝・観賞ハイキング』を、目的のハイカ-の皆様が、安全に渓谷内を歩ける様に危険箇所に私が、少し整備の手を加えてあります。使用時には、確認が必要です |
私費での整備・機材の設置です。ロ−プ等を取らないで |
『新聞企画アウトドアガ−ルズ体験アイス・クライミング取材・時の七曲滝、結氷状態』 |
2005年12月14日『10数年間で一度あるか、無いか?』 この、時期としては非常に珍しい寒気流入で、七曲滝が 結氷。こういう予測には強い私は、早朝に入山して確認。 神戸新聞・夕刊に写真で出ました。 2008年1月、久しぶりに本格的な寒気が南下して裏六甲 の降雪も数日間続き、条件が良くなりました。 観賞としての氷結・滝の状態も良くて、この期間に入山した 登山者は幸運だったと思えます。 夏は水流の無い『穴場』や、一般登山道からは見えない 少しばかり、不便なエリアが、良い条件となり本格的な アイスクライミングの対象として利用が出来たのも、08年 の冬の話題でした。 |
過去20年間ほどの期間内で、私自身は通い慣れた「ハケ岳・ジョウゴ沢のF2程度」に氷瀑・形成された六甲の凍る滝を20回、以上は実際のアイスクライミング環境として,利用しています。当たり年は巡って来ます |
『六甲山アイス・クライミング情報 No2』は,一般公開の情報量を遥かに越える大量な体験・情報を持っています=ただし、講習&ガイド利用者にしか紹介・公表しません。 |
2006年・2008年1月・初旬の氷結・状態も『アイス・クライミング講習会』に利用出来ました。 |
壮年期を過ぎた、風化浸食も進んでいる花崗岩の『滝・岩』なのでミックスド・テクニックのトレ−ニングには注意が必要だが、急傾斜・箇所のベルグラ・アイスと岩を組み合わせた練習課題は中々、楽しめる。 |
2006/04/03 (月) 15:10:25
滅多に、完全結氷の状態にならないので薄く、岩に張り付いたような 『ベルグラ・アイス』や、細いツララの集合体の様に不安定に岩盤の上 に垂れ下がる下層の岩との、密着度に不安が残り、体重を乗せるのが 本当に恐い、そういったタイプの氷にも『課題意識』を持ち込めば、貴重な場所として発見、トレ−ニングには充分に役立ちます。 |
『アイスクライミング』『凍る滝・観賞ハイキング』どちらを楽しむ か、選択は自由です。自分の判断で、責任を持って安全に遊ぶ 行為なのですから、禁止事項を書き連ねるなどの野暮な事は致しません。実力・能力を超えた無謀な事だけは止めておきましょう。 |
2011年1月 17日から継続的に寒気が入り、アイスクライミングが可能。近年では、かなり条件が良い |